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AI vs 教科書が読めない子供達

皆さんが認識しているAI。それには大きな誤解があるという。それは、皆さんが恐れているシンギュラリティは来ないと言うこと。だが、私たちにはそれ以外の恐れるべき物があるのだ。筆者はそう述べている。

AIというのは

「AIにより生活が便利になっていく。」この発言自体が間違いなのである。AIというのは人工知能のことであるが、科学が人間の脳に追いつくほどの技術を持つことはなく、AIが人間ほど賢くなったり、賢くなって追い抜いたりすることはないのだ。つまり、AIというものが完成するかというのはまだわからず、今みんなが言っているAIというものは、AIに至るまでの技術のことである。AIの技術の一部が開発され、それを人間の日常生活で活用されているのだ。正しくは、「AI技術により生活が便利になっていく。」というのだ。

今までAIにはブームが3回あり、1度目は特定の作業しかすることができなかった。迷路を解いたり、パズルをしたり、特定の範囲内でその作業を完成することしかできなかったのである。2度目は教えてもらうことをひたすら覚えることしかできなかった。大量のデータを教えてもらい、それを覚えて物事を判断し活用する。将棋やオセロなどのゲームができるようになり、人間に勝つことができるようになった。しかし2度目のブームというのはここまでだった。3度目のブームはディープラーニングができるようになったのである。ディープラーニングというのは、多くの情報を読み込みその中から特徴を割り出す技術で有り、「この画像は何」という識別が幅広くできるようになったのだ。情報量の多い中から物事を判断できるようになったため、クイズ王にも勝てるようになった。そんな中、筆者は「東ロボくんプロジェクト」に参加することになった。

東ロボくんプロジェクト

東ロボくんプロジェクトというのは、ロボットを東大に合格させようというプロジェクトである。しかし東大にロボットを合格させると言うことは不可能だという結果はもうわかっていたのである。ではなぜ、筆者はこのプロジェクトに参加したのか。実はロボットはMARCHには合格するというのは証明されていたのだ。東大とMARCHの違いというのは、問題の出し方なのだ。ロボットは統計的に言葉を認識するため、言葉の使い方次第で理解できないと言うことがあるのである。では、なぜ東大に合格できないのか?ロボットにはどういう特徴があって、どういうものが影響しているのか?これらのことを追求するために筆者はこのプロジェクトに参加したのである。

東大には合格できないロボットであるが、彼には点数のとれる分野ととれない分野があることがわかった。ロボットがとれる分野は、世界史と数学、とれない分野は英語、国語だったのだ。この差は何なのか。世界史や数学というものは、この問題が出たら、こういう流れで、この式を使って答えを出せば、答えが出る、そういう物である。いくつもの問題を重ねて、統計的に答えが出せるようになれば、問題はかなりの正答率で答えられるのである。しかし、英語や国語というのは事象を理解しなければならない。人の気持ちやその場の状況、それらを統括して理解した上で問題を解かなければ正解できないのだ。ロボットに事象を理解する能力はないのだ。だから、このように理解して解く問題が多い英語や国語を解くことができないのである。これらを経て、筆者はロボットの事実という物に気づく。それは、AIの決定的限界は「意味」と言うことだった。

AIの限界

AIは物事を計算して答えを出す物で有り、意味という物を理解しているわけではなかったため、人間に追いつくことはできないと筆者は言うのである。例えば身近な物で言うと、siriだ。是非試してほしいのだが、siriに「この近くのイタリア料理店を教えて」というのと「この近くのイタリア料理店以外を教えて」というのを問いかけてみてほしい。全く同じ答えが出てくるそうだ。siriというAI技術は意味を理解するのではなく、言葉の単語を一つ一つ捉えて分析して計算結果として答えを出しているのである。だから、「以外」という言葉は経験上理解することができないので、単語としてわかる「近く」「イタリア料理店」これらを分析して、提示するのである。Googleにおいても、翻訳をする際に「岡山と鳥取に行ってきた」と「岡田と鳥取に行ってきた」いうものを区別することは難しいそうだ。私たちは岡山という土地を知っているからこそ、その状況や前後の意味を考えて、岡山という土地と鳥取という土地に行ったのだと理解することができる。岡田という土地は知らないため、岡田という人物と行ったと言うことを理解することができる。しかし、AIというのは前後の関係や状況を理解するのではなく、言葉一つ一つを分析し、答えを出すため、岡山が土地であること、岡田が人であることがわからないのである。これらの例を見てわかるように、AIというものは意味や状況を理解することができず、ただ与えられた情報に対して自分の持っている個々の情報を計算し、つなぎ合わせて答えを出すのである。だからこそ、人間のようになることは難しく、そのように状況や意味を理解することができないため、感情なんてもってのほか、全く理解することができないのである。また、AIが得意である数学ができることは3つのことだと言われている。

数学の3つの力

一つは、論理性である。答えを出すために、こういう理由があって、こういう流れになるから、この答えが出せる。そのように原因と結果がしっかりわかっていて、一つの答えを出すことができる、これが数学ができる論理性という力だ。

二つ目は、確率である。人間が暮らしている中で、何事も答えが一つの物だけではない。では、答えがいくつもあるときには数学はどのような力を発揮するのか。それが確立だ。答えがいくつも存在するときに、答えを一つ言い当てると言うことは不可能だ。だが、計算や分析を重ねたら、次に何が出るかという予測という物はできるのだ。例えば、サイコロを振る際に何が出るかという物を言い当てることは不可能である。だが、一つの目がどれくらいの確率で出るかという物は計算をすればわかることなのである。数学は論理的に答えを出した後に、この確率という力を持つことができたのである。

三つ目は、統計である。論理性も持ち、確率もわかるようになった今、統計という物ができるようになるのだ。だいたいこの事象が起きるのは何回だから、次はこの事象が起きるだろうと、確率を使い、論理的に見ることが可能なのである。これが統計だ。例えば、Aさんが行う行動に関して、一回見ただけでは判断ができないが、何回も見てAさんが行動を行うパターンを確率的に計算し、論理的に思考し、統計したら、次行う行動というはだいたい予想ができるのである。

このように数学ができることと言うのは、論理・確率・統計この3つだけで有り、全ての数学はここに起因しているのである。AIというのは、この機能を備えているため数学や世界史のように、状況を一切無視して統計に従い、一つの答えを出すと言うことは可能なのである。しかし、国語や英語のように周囲の状況を理解し、意味をわかっていなければ解けない問題には歯が立たないのである。だから、感情はわからないし、AIが人間を越えることはないと筆者は言うのである。

では、AIが人間を越えることはないし恐れる物はないのか。そうではないのだ。人間にはもっと恐れるべき物があるのだ。それは「AIの代替」である。

本当に恐れるべきもの

たとえ、AIが人間を越えることはなかったとしてもAIが私たちの仕事上のライバルになると言うことはあるのだ。いわゆるホワイトカラーと言われている事務職や、銀行の受付などはAIが行った方が正確なのである。人の技術に頼るよりも、AIに頼んだ方が間違えることがないのである。さらに銀行の融資を査定する役職の人も代替される可能性があるらしい。現在すでに代替している銀行もあるようだ。このように記憶力や数学に関して、人間よりもはるかに正確さを持つAIに代替される職業という物はたくさんあるのだ。では私たちはAIに勝てるところで活躍したら良い、そういう考えになる。だが筆者は言う。あなたたちが持っている能力で本当にAIに勝てるのですか、と。

あるとき、受験終わりの勉強やりたえてほやほやの方々に向けて実験をした。彼らは受験のために勉強をたくさんしてきたのだから、一般的な人たちに比べれば知能が上と考えられる。そんな人たちに、「奇数と偶数の和が奇数になることを説明しろ」という問題を出した。すると、その中でしっかりと答えられた人は全体の中でごく少数だったという。皆、奇数になると言うことは理解できるのだが、それを説明することはできなかったのだ。筆者は、そのときあることに気づいた。彼らの多くは説明するという説明文を理解してないのではないだろうか、この疑問が生まれたのである。なぜなら「1+2は3だから」などという説明文を理解していないような答えが多かったからなのだ。そこで、筆者は読解力を調査する基礎的読解力テストというものを実施した。

すると驚くことに、テストを受験した内の3分の1の人が回答できなかったのである。我々人間がAIには勝てると言われていた意味を理解する力読解力でさえも、60%しか自信を持って勝てると言えないのである。では私たちはどうやって読解力を上げたら良いのか。実はその結論という物は出ていないのである。小さい頃に読書をしてる人が読解力を持っているのか、毎日勉強をする学習習慣がついている人が持っているのか。これらは全て実証されていないのである。読解を得意としている人の共通点というのは見つかっていない。だが、大人になってから読解力が上がっている人だって居るし、子供の頃から読解力がある人も居る。様々なので、まだ私たちが希望を捨てるのは早いのである。今からでも遅くないと言うことを信じて、読解力を意識して生活していく地道な努力が必要なのではないだろうか。筆者はそう述べているのだ。

考察

AIに変わられてしまうと言うのは、悪いことではない。その分自分自身の時間ができるということだ。だからこそ、この時間に何をするかが重要になってくる。人間の価値を上げるためには重要度緊急度グラフの中で、緊急度が低く、重要度が高いところにどれだけ時間を使っているのかが大切と言われている。自分の教養を上げるためにも、今自分がどの位置にいるのかという立ち位置の把握をし、今後どのようなAI技術が活躍し、どのように勉強をしていけば活躍できるのかを考えながら過ごしてくことが大切である。AIに便利にしてもらうことだけを考えるのではなく、AIを使う側にならなければならない。

勉強をすることは楽しい。自分が勉強をしていることがどう自分につながっているのか、そこを繋げられれば繋げられるほど楽しいのではないだろうか。今日もあっちゃんのユーチューブ大学でお勉強をしました。

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