私の推し活スタイル

最近目にする「推し活疲れ」
いやいや、推し活って日常を豊かにするものでしょう!?という認識の私にとっては、全くもって理解できない概念でした。

ただ、Xのおすすめタブを眺めていると、確かに疲弊している人も多いなという印象。
ぶっちゃけると「嫌ならやめればいいのに」が率直な感想です。
そこで、そもそもなぜ「推し活疲れ」が出てしまうのかということの私的目線な分析と、私の推し活スタイルについてを書いていきます。

まず、推し活疲れを挙げている人の大部分が承認欲求が高い人。これだけは決めつけてもいい。
推しのことをどれだけ知っているか、少しでも認知されているか、どれだけグッズやスパチャでお金を貢いだか、現地に行ったか等々……
もし本当に推し活を心の底から楽しみたいなら、比べることを辞めればそれで楽しくなります。そもそも推し活って推しを応援するものじゃないんですか?自分のため"だけ"にやってるんですか?
後者に重きを置いてる人は向いてないと思うし、そのうち燃えます。
でもSNSをやっていると、どうしても数字が目立ってしまうので、他人と比べてしまうのは自然なこと。少しでも自分の向く方向がおかしいなって感じたら離れるのも吉です。私はブレてきたら挨拶ポストだけ置いて、他は全く見ないようにしてます。

少し話が逸れますが、私は創作家として活動を始める15年前からひとつの事を貫いています。「やりたいこと、好きなことをやりたいようにやる。ただし他人には迷惑をかけない」
これ、結構難しいんです。他人に迷惑かけたかどうか自分目線では分かりにくいので。
なので、自分がされたら嫌なことはしないようにしてますし、自分にとってどうリスペクトされたら気持ちがいいのかを考えながら推しを応援しています。

いま1度自分を振り返って、これを推しが見てしまったらどんな気分になるのか、を考えて動くと同担も幸せになれると思います。

ちなみに、古参新参の話について。
私はこれくっそどうでもいいと思ってます。今を見てる人なら同担です。
古参の人もいまをしっかり見て応援してるならそれでいいと思います。ただひたすら自分語りのように昔を語り続ける、あの頃から見てるんだぜ的な自分に酔ってるタイプは勝手にさせとけばいいと思います。そういう推し方が好きな人は好きだと思うので。私は無理。
あとクソデカ主語も無理。きちんと全部、主語は自分だけにして語りましょう。このノートもそれを意識して書いてます。
新参、ようこそ。大いに沼れ。

人間誰しも承認欲求はあります。私もあります。よく、見て見て!病になるし、それを見てもらってギモヂイイイイってなるのも事実です。
ただ、そこから何が生まれるのか、何のためにしているのか目的を見失わないように推し活をしていかないとなって思ったので、自戒の念を持ってここに残します。

同じ悩みを抱える人へ、少しでも心のもやもやを晴らすきっかけになりますように。

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