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恐竜卵屋 その8

  連載小説  僕の夢?


   十五 ぼくの夢ってなんだろう?

午前中は草取り、午後は何もしないでぼーっとしている日課を、二日、三日と繰り返しているうちに、とうとう約束の期限を半分きってしまった。
それなのに、ぼくは答えを出していないし、義広は夢をみつけていない。

天使のおっさんはというと、この間まったく姿を現わさなかった。
修行が順調にいっていると勘違いしているのか、それとも未だに大天使に説教されているのか・・・。

修行が始まった日からずっと晴れて暑い日が続いていたけれど、ちょうど折り返し地点の日にひさしぶりに雨が降った。
こんな日は草とりはなしだなと喜んだのもつかの間、代わりに納戸に押し込んである古い掛け軸の整理という渋い仕事を手伝う羽目に陥った。

文字がほとんど消えかかった桐箱を開けて、ぼくらがどんな絵が描かれた掛け軸か伝えると、じいさんが桐の箱に【夏・柳】というように新たに書き直していく。

「えーっと次は・・・なんだ、これ?」

「山にススキだから秋じゃないのか?」

「あーくそめんどくさいっ。なぁ、なんで春夏秋冬なんてあるんだ?」

延々と続く作業に嫌気がさしてきたのか、義広がぶつぶつと文句を言い始めた。

「なに言ってる。季節があるからこそ彩りがあるんじゃないか。わしの歳になるとな、こんなに暑くてかなわん夏だって、来年は味わえないかもしれないから愛おしいんだぞ」

「ああそれだったら大丈夫だって。じいさんだったら、どう少なく見積もってもあと十回は夏が来るからさ」

「フン、ありがとな」

義広とじいさんは。漫才のようなかけあいをしている。

もう来年は夏を味わえないかもしれないか・・・。
考えてみれば、ぼくだって次の夏を確実に迎えられるという保証はどこにもない。

ぼくはあと何回暑い夏を経験できるんだ?
十回、イヤ最低でも二十回は欲しいよな。じゃあ三十年後は・・・、えーっと四五歳になっていて・・、あれっ、その頃って今の父さんに近い歳だ。
父さん、今年で四八かぁ。その歳になったとき、ぼくは何をやっているんだろう?父さんみたいになりたいのか?大体父さんの夢って何だよ?夢、持ってたのか?

昨日の夜、ぼくが

「父さんって、いつ休みなんだ?」

と聞いたら、母さんは言った。

「本当は週二で休みが取れるのだけど、この仕事は日当だからそんなに休めないの」

こんなふうに自分を犠牲にして働くのが父さんの夢のわけないよな?

夢・夢・夢。この時になって、ぼくは初めて自分の夢を真剣に意識した。
ぼくの夢ってなんだろう?母さんのは?みんな夢をもっているはずなのに・・・、見つからないのか?それとも捨ててしまったのか?

その日の帰り、義広が心配そうに言った。

「なぁ、そろそろヤバイかも」 

「なにが?」

「塾」

そういえばずっと無断欠席している。そろそろ家に連絡がある頃だ。

草取りの時は一応日焼け止めを塗っていたけれども、ぼくらの顔や腕はハワイで泳いできたのか?と思えるほどまっ黒になっていた。
これではどう見ても一日中塾でしぼられている受験生には見えない。

「どうする?」

「どうするって言われても、修行なんて二、三日で終わらせるつもりだったから何の対策もうってないしなぁ・・・」

「オレ、なんかもう少しって感じなんだ。だから昨日天使のおっさんが来たときはアドバイスがもらえると思って喜んだのに、がんばってくださいね、一言だから、なーんの役にもたたないでやんの」

「えっ?天使のおっさんが来たのか?」

 ぼくはもう一週間以上会っていない。

「昨日、裕也と別れてすぐに目の前に現れたぞ。おまえのところには来なかったのか?」

「ああ」

「へぇ、なんでだろう?オレ、てっきり裕也のとこにも激励しに行ったと思ってたぞ。そういえば天使のおっさん、変なことをいってたなぁ・・・」

「変なこと?」

「期限までに夢を見つけられる可能性があるのは、もうオレだけかもってさ」

「こっちは金とか夢はもういいって感じだもんな。天使のおっさん、それに気づいたんじゃないのか?」

「そうかもな。まっ、ここまできたらジタバタしてもしかたがないから塾のサボリはできるだけねばろうぜ。で、もしばれたらばれたときだって」

「それしかないよな」

この時ぼくらは塾からの連絡は、もう少し先だと思っていた。けれどもこの憶測は甘く、嵐は三日後にやってきた。

じいさんちの修業を終えて家に帰り、靴を脱いでいると居間のドアがカチャリと開き

「裕也、ちょっといらっしゃい」

と呼ばれた。
深く考えもせず居間に入ると、そこにはこの時間にはもう仕事に出ているはずの父さんがいた。

「こっち」

テーブルを挟んでぼくは父さんと向き合う形で座った。母さんは、父さんの隣だ。

「今朝、塾から電話があったの」

ああヤバい、ついにばれたか。

「裕也、あなた毎日塾に行くって出かけていたけど、本当はどこに行ってたの?」

答えられるわけない。だからぼくは返事をしない。父さんも、無言。

「何とか言いなさい。そんなに陽に焼けておかしいとは思っていたけど、あなた親に言えないような所に行ってるの?」

「へんなとこには行ってないから」

「じゃあ、どこに行ってるの?」

 母さんの声が殺気立ってきた。

「今は言えない」

「今は言えないって、なに、それ?海南には行かないって言うし、塾は休むし、一体なにを考えてるの?」

自分でもわからない。だからいまでも修業に行くんだ。

「今年は高校受験なのよ、わかってる?裕也、聞いてるの?」

母さんのヒステリックな声が響く。でもぼくは何も言わなかった。

もしかりに話したとしても信じてもらえないよな。夢発見をサポートする天使と出会って、その夢を実現するために恐竜の卵をもらったなんてさ。

ふーっと大きく息を吐きながら、父さんが目頭をもんでいる。

「あのなぁ裕也、おまえはよく気がつく子だから、家の経済状態が今どんな状態かわかってるんだよな?」

ぼくは顔を上げずにうなずいた。

「正直いって確かにきつい。けどなぁ、だからといって海南に行きたいっていうおまえの夢を諦める必要はないんだ。父さんは、おまえの夢をかなえてやりたい。そのため・・・」

おまえの夢をかなえてやりたい?
このことばが頭の中で何度もリピートした。そして、ああそうか・・ようやくわかった。

「違うね」

ぼくは父さんの話を遮った。

「違う?なにが違うんだ?」

「海南でバスケやりたいっていうのは・・・、ぼくの・・・ぼくの夢じゃなかった」

父さんの顔が歪んだ。

「なに言ってるんだ。おまえはバスケを始めた頃から海南に入りたいって言ってたんだぞ」

「ああ、そうだよ、そうやって小さい頃からいつも父さんに言われ続けたからね」

「おまえ・・・、なにが言いたいんだ?」

「裕也、止めなさい!」

バンッとテーブルを叩いて、母さんが立ち上がった。

「勉強するのがイヤだからって、父さんをなじるようなこじつけ・・・」

「違うって!父さん、父さんはいつも海南の試合に連れて行ってくれたよな。その時、口癖のようにオレは愛媛の高校でずっとバスケをやっていたけどいつも二回戦止まりだった。高三の時、地元開催の総体で海南の試合を見て、そのチームプレーにほれ込んだって言ってただろ。
それに就職でこっちに出てきてから、もし自分に子どもができたら海南のバスケ部入れたいと思ってた、ともね。
ミニバスを始めたころからバスケ続けろよ、で県下一の海南に入ってインターハイに出るんだ。父さん、海南でプレイするおまえを見たいんだっていうセリフを、ぼくは何百回も聞かされてきたんだ」

そう、まるで暗示をかけるかのように。ぼくは手をぐっと握りしめた。

「海南で・・・海南でバスケをやるのは、ぼくじゃなくって父さんの・・・夢だったんだ」

父さんの肩がぐらりと揺れた。

「オレが・・・、オレがおまえに夢を押しつけたっていうのか?裕也、おまえ・・・バスケ嫌いだったのか?」

「嫌いなわけないだろ?バスケは好きさ。でも・・・わかったんだ」

ぼくは城山の6番みたいな実力がないことを、そしてなによりもバスケでもっと上を極めたいという思いがなかったことを。

「何がわかったんだ?」

「ぼくが海南に行く必要がないってことがさ」

こう答えた瞬間、母さんがぼくの頬をパシッと叩いた。

「いいかげんになさい!父さんは、あなたのためにこんなにがんばっているのに、なに勝手なこと言ってるの」

「ぼくのため?ぼくのためにしたくもない仕事をして、ぼくのために金を貯めて、ぼくのために海南に行けっていうのか?もういいかげんしてくれっ!そんなのまっぴらだ!
なんで自分のためって言えないんだよ?なんで自分のためにしないんだよ?なあ、ぼくを海南に入れることだけが父さんの夢じゃないよな?ほかにあるよな?」

「・・・生意気なことを言うな。おまえに・・・何がわかる」

やっとしぼり出したかのような父さんの声は、かすかに震えていた。

「ああわかんないよ、でも誰かのためになんてまちがってるって!ぼくは、ぼくのために自分の夢を見つける。だから父さんも・・・父さんも自分の夢、思い出しなよ。自分のことをもっと大事にしてくれよ」

父さんの目が大きく見開いた。その目は、あまりのも哀しげだった。

ぼくはその眼を見ているのが耐えられず居間を飛び出し、そのまま外に出た。そして自転車のペダルに足をかける。

「裕也!」

母さんが追いかけてきたけれど、そのまま走り出した。
行くあてもなく、ただやみくもに自転車を走らせるぼくの中で、父さんへの暴言の後悔と海南の呪縛が解かれた喜びがごちゃ混ざになっていた。


  十六  片桐

がむしゃらに走っているうちに、いつのまにか隣町の総合公園まで来ていた。

喉がカラカラだ。自販で冷たい麦茶を買おうと思ったけれど、手ぶらだったことに気づく。

チェッ、水でガマンするか。駐輪場に自転車を置き、公園の水のみ場まで歩くと、そこでは先客がばしゃばしゃと顔を洗っていた。
水浸しの顔を下に向けたまま、細い腕が蛇口の上のコンクリートに置かれたタオルを探している。

ぼくはその手に、タオルを渡した。

「ありがとう」 

その人が顔をあげた。えっ?

「裕也くん」

片桐が、少し驚いた顔をした。でもそれよりもっと驚いたのは、ぼくの方だ。

「あ・・あの、な・・・」

舌がもつれる。そんなぼくを見て片桐は、ふふっと笑った。

「ここ折り返し地点」

折り返し地点?ああそうか、トレーニングしてたんだ。そういえば義広が「片桐、県大会出場」って言ってたよな。

「県大会、いつ?」

「三日後」

「そうかぁ、県大会に出れるなんてすごいよな」

「バスケ、負けちゃったんだね」

「あっ、う、うん。二回戦でボロ負け。実力の差をマジ思い知らされたよ」
「あんなにがんばってたのにね・・・」

そう言った片桐の体には、ぬれたTシャツがべったりと貼りついていた。
すっげえ汗。こいつ、なんでこんなに走れるんだ?

「あのさ」「ねえ」

ぼくと片桐の言葉が重なった。
ぼくがしゃべるのを躊躇していると

「あそこに座らない?」

と、片桐がケヤキの木が日陰を作っているベンチを指さした。

「あっ、ああ、そうだな」

ぼくらはベンチに隣り合って腰かけた。これって、まるでデートじゃん。
暑さとまっ黒に日焼けした片桐の両パンチで、頭がぼーっとする。

「さっき、なに言いかけたの?」

この声で、熱気の中をふわふわ漂っていたぼくの意識が一気に地上に戻された。

「えーと、あのさ・・・片桐は走るの好きか?」

「もちろん」

「じゃあ・・・さ、走りつづける先には、何があるんだ?」

「走りつづける先?」

片桐はちょっとの間ぼくを見つめてから、すっと視線を自分の足元に落とした。

「先なんてわからない」

「そんなことないだろ?片桐みたいに走りの才能がある奴って、ほら世界陸上とかオリンピックとかさ、ずっと上を目指すんだろ?」

「オリンピック?」

「あっいや、オリンピックはたとえだけど、そんなのを目指して練習してるんだろ?」

片桐は、ふっと小さく笑った。

「もっと上を目指せって、みんなそう言うね。でも・・・うーんちょっとちがうかな。わたしはね、今走りたいから走るの。今走るのが好きだから走るの」

「今走るのが好きだから走る?それもわかるけどさ、そんな実力があるんだから目先のことだけじゃなくって、もっと長いスパンで考えた方がいいんじゃないのか?」

ああこれは、ぼくが義広に言われた言葉だ。

「そういう考え方もあるかも知れないね。でも、わたしは今なの。今の好きをやっていくうちに、もっと大きな好きが見つかると思うから。でもそれが走りとどう繋がるのかはわからないけどね」

今の好きから、もっと大きな好きが見つかる?そんなのもあり?
じゃあ、今の、本当の好きがぼくを先にすすめるのか?

「片桐ってさ、どうしてそんなに自分のことがわかるんだ?どうしてそんなに強いんだ?」

片桐はナイキのシューズに零れ落ちた光の輪を見つめて、小さな声で言った。

「わたし・・そんなに強くないよ」

「あ、わるい。あ、あのさ、強いって変な意味じゃなくって、えーっと芯があるっていうか・・・、他の女子と違ってというか・・」

しゃべればしゃべるほどドツボにはまっていく。

「わたし・・・ね、中学に入る少し前にこの町に引っ越してきたから、ここに知り合いは誰もいなかったの」

「へぇ、そうなんだ。知ってる人がいないのって、ちょっと寂しいよな」

「・・・寂しくなんかない。だって・・わたし、それまでだって一人だったもの」

「一人?」

「こっちに来る前にいた小学校って、一学年が一クラスしかない小さな学校だったの。五年の時、クラスの女子にはじかれたっていうか、干されちゃって。大きな学校だったら学年が変わってクラス替えのときなんかに、そんな状態が解消するかもしれないけど、何年もずっと同じメンバーでしょ、だから、仲間外れは卒業までずっと続いたの。
わたしがもっとしおらしく泣いて謝ればまた仲間に入れてもらえたかもしれないけど、はずされた理由なんかわからなかったから、なんかこっちも意地になっちゃって・・・学校だって毎日休まずに行ったのよ」

そんなことがあったのか・・・。くそぉ、片桐をいじめたやつらゆるせない。

ぼくがよほどひどい顔をしていたのだろう、片桐はあわてて言った。

「あっ、やだ、こっちではそんなこと全然ないから、そんな顔しないでよ。小学校を卒業するまでの二年間はだれもはなしかけてこないし、遊びにも誘ってもらえなかったから一人でいるしかないじゃない。
担任の先生もこんなわたしに気がついて、ほかの女子と仲良くさせようとしたけどやっぱり無理だった。
でね、そのときわたし、何をしていたと思う?」

片桐が、ふふふっと笑い始めた。

「そんなのわかるわけないよ」

「だよね。わたし、このときずーっと空を見てたんだ。それに自分のこと。あと、ときどき人かな」

空?自分?人?

「ぼーっと空を見てると、小学生は小学生なりにいろんなことを考えちゃうんだよね。どうして?なんて疑問が次から次へと出てくるし・・・」

「あっ、それ、わかる」

今のぼくがその状態だ。でもなぁ、同じ状態でも片桐は小学生の頃経験したのに、こっちは中三だもんなぁ。疑問に対する答えだって全然でないし・・・。

「答えはね・・」 

ぼくが聞きたいことを先取りするかのように、片桐がしゃべり始めた。

「全部が全部、すぐで出さなくてもいいと思うの。だって十歳の頃全然出なかった答えが十五なってようやくわかったことだってあるから。まだ出せない答えはたくさんあるけど、わたし、その疑問を大事にしたい。
もちろんいろんなハテナ?なんて無視して、なかったことにだってできるけどね」

「でも、できないんだよな。っていうか、そういうことしたくないんだよ。もう・・・さ」

ぼくが言うと片桐はうれしそうに笑い、うーん、と大きく腕を伸びした。

「走るのか?」

片桐がうなずいた。

「県大会、がんばれよ」

ようやく言えたのは、これだけ。

片桐はもう一度うなずいてから立ち上がり、何度か屈伸をしたあと軽く走り始め、ふいに振り返った。

「裕也くん、わたし、こっちに来てから空と同じように裕也くんのこともずっと見てたんだよ」

えっ?ずっと見てた?ぼくを?

その場に取り残され、ひとりパニックになっていると公園のゲートへと走り出していた片桐がもう一度立ち止まった。

「まちがっていたらごめんね。でも、もし裕也くんが何していいのかわからなくってもがいているのだったら、いろんなことを試してみたら?」

「試す?」

「そう、いろいろ試しながらやっていると、それが本当に好きかどうかわかるから」

「それって途中で変えてもいいのかな?それに高いものを目指さなくっても・・・」

「みんながみんなトップアスリートになる必要ないじゃない。じゃ、行くね」

片桐の姿が見えなくなったあとも、ぼくはひとりベンチに座っていた。


試してみろ・・・か。

答えが見つかったわけじゃない。でも今までもやもやしていた気持ちが、片桐と話して少しだけ落ち着いた。

帰ろう、帰って、もう一度父さんに話そう。今の気持ちをうまく話せないかもしれないし、わかってもらえないかもしれないけど、でも、話そう。


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