所与でない節目

私は間もなく学生生活を終える。というか、この記事の書かれている時間からして、これを人が読んでいる時に、確率的には相当な場合に私は社会人である。
学生から社会人への移行は、人生全体で見ても大きな節目である。
ここまで、卒業・進学という形で数年おきに節目が与えられてきた。が、次の節目はいつだろうと考えた時、それは60歳だか65歳だか(我々がその年齢に達する頃にはまた伸びていそうだ)である。
ここまでの節目の頻度と比べてあまりにも長く、人生の時間的半分近くが次の節に詰まっている。

ここで、QuizKnockの田村正資さんのツイート(ポスト)を引用したい。

これはQuizKnock初期メンバーであるこうちゃんの卒業に際してのもの。

この先の節目は、与えられるものではなく、自らの判断で作るものだ。
私は多分初めて自分主導で引越しをして(大学進学時は親に80%くらい投げていた)、変化のコスト(金銭・時間・労力)を感じていた。
これから人生を動かすには、このコストに負けず、自らの力で変化を起こす必要がある。その際には、途中でやめてしまいたいとか、やっぱり今のままでいいかと考え出すとか、心理的に引き留める力が働くはずだ(もっとも、現環境があまりに不満で、そこから逃れての環境変化の場合はそうとも限らない)。

自分の人生は自分でデザインするもの。
これからも、どこかできっと大きな節目を作ると思います。
その時まで(その時からも)、ここで人生を綴り続け、わたし自身の変化と、時が流れても変わらない幹を捉え続けていたいと思います。

皆さま引き続き、どうぞよろしくお願いします。


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