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龍体文字とフトマニの答え    ~ウロボロスと知恵の実の謎~

今回の記事は、

全ての原理性の話になっているので、

かなり難しいと思うので、

集中できる時に読むことをお願いします。

書いた僕自身ですら、

体調が悪いと読めません。(笑)

それと、

ヌーソロジーを知っていると、

少し分かりやすい内容になっています。

なので、

全ての謎を解く方法

と言う記事を上げているので、

そちらを見てから読むことをお勧めします。



回転と逆回転と言って、

何が言いたいのか分かるだろうか?

この世界は回転でできていて、

回転には、

正転と公転がある。

正転とは、右回転で光の波動性からの振動性。

公転とは、左回転で闇の振動性からの波動性。

より具体的に言うのなら、

N極とS極の様なもので、

N極(上)から始まるものが、物理性(闇属性)となり、

S極(下)から始まるものが、神秘性(光属性)となる。

更に詳しく言うと、

斜め左上(N極)から始まるものが、闇の物理性となり、

斜め右下(S極)から始まるものが、光の神秘性となる。

無限のマークが表(物理)を示し、

フトマニの回転がその裏(神秘)の役割となっている。

どういうことか?と言うと、

無限のマークとは、

ウロボロスのことで、

ウロボロスとは、

二面性がある。

表は、物質性(二面性のウロボロス)を表し、

裏は、意識性(一面性のウロボロス)を表している。

そこから生まれるものが、

エネルギーの流動性そのものになる。

二面性が物質(振動)エネルギー、

一面性が意識(波動)エネルギーとなる。

ちなみに、

ウロボロスとは、

これのこと↓(一番上の画像)

そして、

ウロボロスとは、

神秘性(意識性)と重なることで、

二面性のものを一面性に変える。

それを示すのが、

レオナルド・ダ・ビンチのこの絵になる。↓

言うなれば、

意識が統合し、

意識レベルが高い程に、

ウロボロスとは、

一体化し一面性になることを、

この絵が示している。

ちなみに、

そのことを、

物質意識から神秘意識への移行、と言う。

分かりやすく言うのなら、

3次元意識から4次元意識の移行となる。

だからこそ、

ウロボロスとは、様々な形があって、

その形の意味とは、

進化することによって、

その在り方が変容することを意味している。

その変化は、

二面性から一面性になることにはじまり、

丸の形を紡いでいくことが、
(調和性を高めること)

ウロボロスの進化論(3の進化論)となる。

現に肉体も丸からできていて、

肉体に浸透する程に、

丸ばかりになる。

その丸を応用することが、

進化そのものになるのである。

その代表的なものが、

曼陀羅となる。

まさに、

丸こそ進化の象徴なのである。

なので、

逆をすることは、

ウロボロスの退化論となり、

自らの滅亡となる。

逆とは、

意識性ではなく、

物質性に囚われることである。

この考え方は、螺旋を繰り返しているので、

少し分かりにくいかも知れないが、

基本的には、

立体的(意識的)に物事を捉えられれば、

よく分かるものになる。

なので、

物質意識に囚われることが、

ウロボロスの自滅と共食いとなり、

物質意識を越えることが、

ウロボロスの消滅を意味し、

ウロボロスの消滅そのものが、

意識の進化論になる。

ちなみに、

ウロボロスとは、捉え方を変えれば、

トーラスのことで、

トーラスとウロボロスは、

裏と表の二面性の関係がある。

ちなみに、

トーラスとは、これのこと↓

どういうことか?と言うと、

生命的(神秘的)な捉え方が、ウロボロスとなり、

物質的(電気的)な捉え方が、トーラスとなる。

実際に上の画像と比べると、

ウロボロスの形と殆んど同じになる。

と言うよりは、

ウロボロスの背景(ウロボロスの影)が、

トーラスの形となっている。

これは、

ウロボロスとトーラスが、

表裏一体であることを意味し、

ウロボロスは、意識性、

トーラスは、物質性であることを示している。

更に噛み砕くのなら、

リンゴの形もウロボロスの影そのもので、

トーラスの形状が、

リンゴの形状そのものになっている。

まさに、

意識世界の反映が、

自然界にあることを、

現象そのものが示している。

なので、

意識こそ創造主なのである。

更には、

フトマニも、

それを決定付けるものになっている。

フトマニとは、

物質性とは正反対の神秘性を、

的確に示すものになっている。

どういうことか?と言うと、

フトマニの縮図とは、

真ん中の3つマークが理解のキーポイントになる。

これこと↓(一番上の画像)

ただより詳しく理解して欲しいので、

龍体文字のフトマニから解説しようと思う。

これのこと↓(一番上の画像)

龍体文字のフトマニとは、

生命そのものの在り方が、

全く違うことを意味している。

全く違うとは、

物質と意識の在り方が、

逆転している、

と言うことである。

何故なら、

龍体文字は、普通のフトマニより、

枠組みが少ないからである。

特に中心から1つ外の枠組みは、

普通のフトマニとは違い、

龍体文字のフトマニは、

全く枠がなくなっている。

これそのものが、

物質と意識の在り方を、

逆転させている証拠になる。

どういうことか?と言うと、

フトマニとは、

意識性と物質性を示すもので、

中心の2枠が、

意識性と物質性の中心核となっている。

真ん中が、意識性で、

その外が、物質性。

と言うことである。

そして、

普通のフトマニは、

中心核から外に一歩でも出ると、

物質枠があることを、

枠の在り方が示している。

逆に、

龍体文字のフトマニは、

中心核から外に一歩出ても、

そこに枠はなく、

枠がないからこそ、

そこには、

物質の超越が示されている。

それが意味するものとは、

次元の違いで、

3次元と4次元の違いが、

そこにあることが分かる。

難しいので更に詳しく言うと、

中央にあるマークを、意識性とすると、

その外の枠組みは、物質性となり、

更にその外の枠組みは、意識性となり、

更にその外の枠組みは、物質性となっている。

そして、

龍体文字のフトマニは、

2回の繰り返しで全体の図式が終わり、

普通のフトマニは、

2,5回の繰り返しで全体の図式が終わっている。

これは、次元の違いを示すもので、

龍体文字のフトマニは、

2次元からの4次元を意味するもので、

普通のフトマニは、

2,5次元からの5次元を示すものとなっている。

言い換えるのなら、

意識主体に書かれたものが、

龍体文字のフトマニで、

物質主体に書かれたものが、

普通のフトマニだと分かる。

この様に、

全ては二元論から、

物事の全貌が見えるのである。

更に言うと、

フトマニとは、

円を中心に波紋が広がることで、

現象そのものの在り方を示している。

言い換えるのならば、

それは、

転換を繰り返していることで、

意識性と物質性の関係そのものを示している。

ただこの現象は、

意識と物質の一体化から生まれるもので、

不完全な意識体は不可能な現象になる。

何故なら、

機械が壊れると動かないことと同じで、

正しい認識と身体を作ることが、

意識から物質へのアクセスの起動条件、

となるからである。

なので、

一体化の先には、

意識と物質の境目がなくなることを、

意味している。

これこそ、

意識開発から生まれる超能力そのもので、

意識次元の違いがそこにあることが分かる。

裏を返せば、

意識次元の超越は、

フトマニの在り方すら変えることを意味している。

それを示すものが、

ミステリーサークルとなるのである。

これこそ、

能力開発の現れで、

龍体文字の示すものとは、

物質超越力となる。

裏を返せば、

超科学となるもので、

超科学とは、

宇宙人の存在とも言えるものになる。

更には、

中央のマークにも違いがあって、

現象の変異としてそれが現れている。

普通のフトマニは、

中央から見て、

真ん中のマークが波動性を示している。

そして、

上と下の渦巻きのマークが、

螺旋の回転を示している。

その回転の在り方が、

右回転と左回転を示していて、

右回転は、神秘性、

左回転は、物理性を示している。

付け加えるのなら、

上の渦巻きは天を示し、意識性(光)となり、

下の渦巻きは地を示し、物質性(闇)となる。

まさに、

陰陽の二極が全てを表している。

となると、

全ての万物の在り方を示しているのが、

闇と光の回転そのもので、

その回転を表すものが、

フトマニの縮図となる。

ちなみに、

回りの文字は、

その現象から生まれる結果なので、

真ん中さえ分かればその他のことは、

自ずと分かることを意味している。

そして、

龍体文字のフトマニは、

真ん中のマークがそもそも変異している。

分かりやすく言うのなら、

波動のマークから円(螺旋)のマークになっている。

その変異は、

上に上がる波動性ではなく、

円の様に回る、

振動性からの波動性となっている。

意識の在り方が、

物質を超越しているからこその、

振動性からの波動性に、

意識が変異している。

と言うことである。

結果、

上下にあった渦巻きが、

左右にも動ける様になっている。

それは、

龍体文字のフトマニの、

上の画像の画面から見て左下を見ることで、

それが分かる。

あきらかに中央のマークの位置が、

移動している。

これは、

何かの間違いではなく、

物質の変異性と流動性を示している。

なのでそれは、

闇と光の転換を意味していて、

転換は一体化を意味している。

ちなみに、

一体化から生まれる回転は、

コマのように回るのではなく、

一つ一つの枠組みが、

星の自転と公転のように、

交互に交差しながら回る仕組みになっている。

何故なら、

そうしないと、

物事の辻褄が合わないからである。

ちなみに、

カタカムナは、完全に意識主体の縮図で、

その在り方は、

螺旋そのものになっている。

そして、

その回転の在り方は、

右回転となり、

光派生の力がカタカムナであることを、

示している。

となると、

フトマニとは、物質を主とした、

左回転が基本の縮図となることが分かる。

結果、

龍体文字のフトマニは、

物質を超越した、

1次元上の、

フトマニとなっていることが分かる。

更には、

上下のマークが、

オタマジャクシのようになっていて、

そのオタマジャクシが示すものとは、

上と下を繋ぐ架け橋であることが分かる。

その架け橋のことを、

意識性と言って、

完全なる意識性が、

物理現象に繋がっていることを、

そのオタマジャクシが示している。

しかもそのオタマジャクシは、

左回転の動きからはじまっていて、

左回転が示すものとは、

物質意識は闇から全てがはじまることを、

意味している。

なので、

闇の克服なくして、

力の解放はありえないことを、

図式と、

オタマジャクシが示している。

言い換えるのなら、

いくら上辺で理解しても、

何も身に付かなく、

自身の中に全てを宿すことが、

答えに通じることを意味している。

そういう裏の背景が分かるからこそ、

生命の縮図がフトマニとなり、

物質の縮図が無限のトーラスになる。

纏めると、

生命の縮図は、右回転(光)で、

物質の縮図は、左回転(闇)となる。

生命体(意識)の進化は、右回転に宿り、

物質体(機械)の進化は、左回転に宿る。

と言うことになる。

このことを他の言葉で表したものが、

ヌースとノースで、

ヌースとは、右回転。

ノースとは、左回転となる。

全ては繋がっていて、

世界線でよりシンプルに捉えた言葉が、

ヌースとノースになる。

ちなみに、

ノースとは、北を表す言葉でもあって、

その意味とは、

世界線の違いを意味している。

このことは話がズレるので、

深めて話すことは、あえて省略する。

纏めると、

グノーシス主義(自然主義)は、

ヌースとなり、右回転を意味していて、

その他の主義は(不自然主義)、

ノースとなり、左回転を意味している。

それはある意味、

争いの火だねとなり、

人は常に、

右回転(神秘主義)か、

左回転(物質主義)かで揉めていた、

と言うことである。

ここから話の内容が変わり、

だいぶマニアックになるので、

チャレンジャーは続きを読んで見てね。(笑)





何となく世界の仕組みが分かって来たかな?

全ては、

回転から生まれているんだよ。

ただ、

その回転を回すには、

やり方があって、

そのやり方とは、

自然体から始まるものなんだよ。

だからね、

自然体が右回転となり、

不自然体が左回転となるよ。

感覚を開くことが、右回転となり、

感覚を閉じることが、左回転となるよ。

生の回転が、右回転(進化と柔軟性)となり、

死の回転が、左回転(退化と硬化性)となるよ。

右回転とは、神秘からの物質現象となり、

左回転とは、物質からの神秘現象となるよ。

言い換えるのなら、

これが、

ヌース(正転)とノース(公転)そのもので、

地球の在り方そのものを示しているよ。

なので、
 
この世界とは、

どちらを主にして捉えるかによって、

力の扱い方が異なることを意味しているよ。

物理を主として考えるのなら、

左回転となり、

神秘を主として考えるのなら、

右回転となるよ。

ちなみに、

物理科学は、左回転となり、

学問そのものも、左回転となるよ。

となると、

神秘科学は、右回転となり、

右回転とは、感覚学問となり、

感覚学問とは、原点学問になるよ。

裏を返せば、

原点を知らないと、

本当の感覚学問にはならない、

と言うことだよ。

ここが普通の学問と違う所で、

途中から学べないことが、

感覚学問の難しさになるよ。

何故なら、

途中から学ぶことは、

左回転からの右回転にすることで、

右回転からの左回転にすることが、

本当の理解の在り方だからだよ。

分からないと思うので詳しく言うと、

基盤を知らないで基礎が作れることはなく、

基礎から学ぶことを、

左回転(闇)からの右回転(光)、または、

具体性からの抽象性、と言うんだよ。

そのことを、

型を作り、と言うんだよ。

なので、

基盤から学ぶことを、

右回転(光)からの左回転(闇)と言って、

抽象性からの具体性、と言うんだよ。

そのことを、

型生みと言って、

創造性の確立、と言うんだよ。

左回転からの右回転とは、

創造性まで到達しないことで、

創造性を勘違いすることが、

左回転からの右回転なんだよ。

どういうことかと言うと?

左回転からの右回転とは、

物質を主とした、外(模倣)の知識で、

右回転からの左回転とは、

神秘を主とした、内(創造)の知識になるからだよ。

外の知識と内の知識の違いは、

創造性の違いを生んで、

外の知識が、機械進化となって、

内の知識が、生命進化となるんだよ。

外の知識は、外面に繋がることで、

内の知識は、内面に繋がることだよ。

その違いが、

創造性の違いとなって、

1からの理解が、外の創造性となって、

具体性(1)からの抽象性(0)。

0からの理解が、内の創造性となって、

抽象性(0)からの具体性(1)となるよ。

それを示すものが、

ラマルジャンとニコラ・テスラで、

ラマルジャンとニコラ・テスラは、

1からの外の創造性と繋がるものだよ。

ちなみに、

アインシュタインも動画では紹介されていないけど、

その内の一人だよ。

気になる方はこちらの動画を見てね。↓

それと、

僕がしてることは、

それらの人達とは真逆で、

0からの内の創造性となるよ。

纏めると、

1からの理解は、基礎作り(外枠の構築)となり、

0からの理解は、基盤作り(内枠の構築)となるよ。

外枠と内枠の違いは、

外(物質)に結果を求めるのか?

それとも、

内(空間)に結果を求めるのか?

その違いになるよ。

外は、3次元の物質の答えを示し、

内は、4次元の神秘(肉体)の答えを示す、

と言うことだよ。

全ての答えは基盤に宿るからこそ、

高次元は、0(内)に宿り、

低次元は、1(外)に宿る。

と言うことだよ。

高次元とは、波動の法則で、

上に上がる意識性。

低次元とは、振動の法則で、

下と左右に広がる物質性となるよ。

なので、

高次元の世界は、

2の進化論となり、

上と下の4次元世界(立体)となるよ。

低次元の世界は、

3の進化論となり、

下と左右の3次元世界(平面)となるよ。

数の違いが次元の違いとなるよ。

分かりやすく言うのなら、

上と下で、2次元。

下と左と右で、3次元。

と言うことだよ。

2次元は、上昇気流に乗ることで、

3次元は、並行世界に残ることだよ。

言い換えるのなら、

3次元の世界とは、

物質軸の世界だからこそ、

意識を変化させないと、

上の世界に上がれないことを示しているよ。

だからこそ、

やるかやらないのかは、

自分次第で、

やればできるのは、

意識性(基盤)あっての、2次元と4次元の話で、

やってもできないのが、

物質性(基礎)あっての、3次元の話になるよ。

2次元の世界線は、答えが出ている世界で、

3次元の世界線は、答えが出ていない世界だからだよ。

2次元の世界とは、意識の世界線で、

3次元の世界とは、物質の世界線で、

答えの違いを生み出すものが、

3次元の世界線だからだよ。

なので、

高次元の世界ならば、

無理矢理は、通じるもので、

低次元の世界ならば、

無理矢理は、通じない、

と言うことだよ。

全ては、

上下左右が世界の在り方を決めていて、

上下のことを、

波動性(1次元性からの2次元性)と言い。

左右のことを、

振動性(2次元性からの3次元性)と言うんだよ。

全ては、

0の想いから生まれ、

波動性は、1となり、

振動性は、2となるよ。

1と2の違いが全てを生み出して、

その時に、

3次元の世界が生まれて、

3次元の世界が、

世界の在り方を難しくするんだよ。

何故なら、

物質の要素がそこに生まれるからだよ。

その時に、

答えの明確化と不明確化が生まれ、

波動性は、纏まること、

振動性は、纏まらないことを示しているよ。

だからこそ、

全ては0地点に還らないと、

答えが出なくなるんだよ。

理解とは体現性だからこそ、

0地点に還らないと答えが出ないんだよ。

そしてこの世界は、

波動の法則から作られていて、

そのことを、

想いの具現化と言うんだよ。

その想いの具現化から全てを回すことを、

歯車を回すと言って、

波動(想い、光)あっての振動(願い、闇)こそが、

本当の世界の在り方だよ。

物質からそれを捉えると、

全てが逆となり、

振動(願い)あっての波動(想い)、にすることが、

1つの大きな間違いとなっているんだよ。

しかも、

その間違いとは、

物質だけでは終わらず、

意識にも存在していて、

そのことを、

カルマの法則、と言うんだよ。

カルマの法則とは、

残留思念のことで、

残留思念のことを、

カバラと言うんだよ。

カバラとは、

因果律の力そのもので、

因果律の力とは、後悔の念そのもので、

その後悔の念を力に変えるのが、

カバラなんだよ。

だからこそ、

カバラとは、闇の力を主として、

力を使うことなんだよ。

なのでカバラとは、

裏の力であり、

裏の力は表に還す必要があるんだよ。

そのことを、

一体化と言って、

一体化のことを、

真の力と言うんだよ。

なので、

カバラとは、力の欠片で、

力の欠片を答えとすることは、

間違いなんだよ。

何故なら、

カバラの力とは、

あくまで通過点で、

通過点の先にこそ、

本当の答えがあるからだよ。

その答えとは、

正反対にあるもので、

そのことを、

生命の樹、と言うんだよ。

力とは無効を知ってこそ、

真の力となるんだよ。

その誤りを正せないことが、

3次元世界に留まることを生み出すんだよ。

まさに、

そのやり残したことを生み出すことが、

カバラであり、

カルマの法則なんだよ。

分かりやすく言うのなら、

力に囚われることが、

カルマの業の中に入ることなんだよ。

力に囚われないことが、

カルマの業を抜けることで、

その先にあるものが、

生命の樹(無効の光)なんだよ。

全ては、

二元性であり、二元論なんだよ。

転換劇であり、螺旋階段なんだよ。

だからこそ、

囚われることが、過ちそのもので、

過ちの裏にこそ、真理があるんだよ。

結果、

転換と変容こそ答えで、

全てを乗り越えた先にこそ、
(定めない先にこそ)

真の答えがあるんだよ。

全ての過ちは、

力の誤認識(定めること)が生み出していて、

定めることが、

逆回転を生み出していて、

その逆回転の力ことを、

カバラ(闇の原理性)、と言うんだよ。

なので、

定めないことが、

正しい回転となって、

そのことを、

生命の樹(光の原理性)、と言うんだよ。

全ては克服してこそ一体化して、

一体化するからこそ、

全ての歯車が回り出すんだよ。

だからこそ、

その闇の原理性を光の原生性に変えることが、

高次元世界に行く鍵なんだよ。

言い換えるのなら、

カバラとは、低次元に囚われるとで、

地獄の扉を開くものが、

カバラでもあるんだよ。

裏を返せば、

得意分野(闇属性)だけを活かすことが、

カバラの本質なんだよ。

本当の力とは全面のもので、

全面のものとは、

全ての克服に宿るものなんだよ。

だからこそ、

全ては裏返すことで、

力に囚われることは、

余計にそれを難しくするんだよ。

自身の花を咲かすことは、

そういう囚われを無くすからこそ、

花啓くものなんだよ。

それこそが、

本当の力となるんだよ。

だからね、

本当の力を咲かすことを、

右回転からの左回転と言って、

右回転からの左回転が、

生命の樹(光)からのカバラ(闇)となるんだよ。

力とは、

光からの闇に派生してこそ、

真の力となるんだよ。

全ては、

理解を完全にひっくり返した時に、

分かるものなんだよ。

その完全性ことを、

一体化、と言って、

一体化のことを、

終わりの始まりと言って、

終わりの始まりとは、

物質世界から神秘世界に変わることを、

意味しているんだよ。

そのことを、

「本来の世界の在り方」

と言うんだよ。

全ては繋げて考えられるからこそ、

分かるんだよ。

だからね、

知恵の実が禁断の果実だと言う理由も、

ここにあるんだよ。

低次元理解は、知恵に拘ることで、
(力を得ることで)

高次元理解は、感覚を得ることなんだよ。
(力を無くすこと)

知恵が掴むものは、具体的(低次元)な理解で、

感覚が掴むものは、抽象的(高次元)な理解だよ。

その違いが、

低次元と高次元の違いで、

低次元(具体性)が、高次元(抽象性)を、

無意識に拒むからこそ、

何も分からないんだよ。

高次元とは、意識の世界で、

低次元とは、物質の世界なんだよ。

まさに真逆こそが、

世界の在り方なんだよ。

力に囚われるものほど、

これが分からないし、

受け入れられないんだよ。

裏を返せば、

力がいるものが、低次元で、

力がいらないものが、高次元なんだよ。

裏の裏を返せば、

バランスを取れることが、

真の成長であり、

真の高次元の証なんだよ。

裏の裏の裏を返せば、

力があってできることは、

低次元の証なんだよ。

ある意味当たり前のことだからだよ。

理解とは、

当たり前を越えてこそのもので、

当たり前を越えることを、

本当の理解、

と言うんだよ。

裏の裏の裏を知らないものほど、

それを勘違いするんだよ。

裏の裏の裏を知ってこそ、

全ては1つになるんだよ。

だからこそ、

力とはあくまで、

オマケなんだよ。

オマケだからこそ、

オマケに囚われると何も分からないんだよ。

分からないからこそ、

知恵(低次元)を得たものは、感覚(高次元)を拒むんだよ。

そして、

拒むからこそ、

次第に逆が見えなくなり、

何も分からなくなるんだよ。

全ては自身がそうしているんだよ。

だからこそ、

知恵の実とは、禁断の果実だと言うんだよ。

理解とは、順序を間違えることで、

正反対を受け入れなくするものなんだよ。

それが、

0と1の違いで、

0を基盤(感覚)を知ること、

1を基礎(知覚)を知ること、

と言うんだよ。

理解とは0に戻した時に、

全ての歯車が回り出すんだよ。

その歯車を回すことが、

神秘の扉を開くことなんだよ。

それを示しているのが、

龍体文字であり、フトマニであり、

ウロボロスであり、知恵の実なんだよ。




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