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アダムとイブの真実         ~知恵の実の罠と闇の克服~

アダムとイブの秘密を知るには、

確かな理解と、

闇の克服が必要だよ。

それには、

成長の仕方を知る必要があるよ。

成長に必要なことは、

なんだと思う?

それはね、

自身を信じ、相手信じること。

一人で成長を目指すなら、

頑張ることは、当たり前だけど、

人から助言を貰って成長するなら、

相手を信じることは、当たり前だよ。

だって、その相手は、

自身が選んだ人だから。

だからね、

その自身が選んだ人を疑うことは、

自身を疑うことと同じことだよ。

自身が選んだ人が間違ってるのなら、

あなた自身が、そもそも間違ってるんだよ。

そういうことが分からないと、

本当に大切なことほど、

気が付けないよ。

だから、この文章を読むなら、

そういう気持ちで、

じっくり読んでね。

じっくり読まないと意味がないよ。

想いの共有だけが、

真実の扉を開く鍵になるからね。

何事もね、

自身の裏にこそ、

本当に大切なことがあるんだよ。

その自身の裏に気が付くことが、

本当の学びで、

その学びのことを、

自身の闇を知る、って言うんだよ。

その闇と向き合うことが、

本当の光になって、

本当の光になることが、

価値ある学びなんだよ。

だからね、

外にある知識は、それを紛らわせる為に、

あるようなものだよ。

外の知識は知れば知るほど、

知った気になれるからね。

知った気=知らない

だからね。

けど、それが分からないから、

安易な欲望ばかりを駆り立てるようになるよ。

そう考えると、知識は罠だよ。

だからね、

欲望を満たす学びと、

大切なことを満たす学びは違うんだよ。

欲望を満たす学びは、ある意味簡単で、

大切なことを満たす学びは、難しいよ。

何故なら、

大切なことを満たす学びは、

克服が必要だからだよ。

自身を克服できるからこそ、

人生は花啓くものだよ。

それこそ、理想だよ。

理想を目指すことこそ、

人生の本当の意味だよ。

だからね、

簡単なものほど、先に学んだらダメなんだよ。

簡単なものを先に学ぶと、難しいこと学べなくなるんだよ。

だから、簡単なものって、

麻薬みたいものだよ。

麻薬だからこそ、自身の闇を見なくなるんだよ。

闇を見ないことは、麻薬そのものだよ。

麻薬と簡単も同じだよ。

だからこそ、

簡単なことほど、自身の内面を遠ざけるんだよ。

簡単なことってね、

具体的なこと全てだよ。

形として学べること、全てだよ。

形とは、自分ではない誰かが作ったものだよ。

この意味、分かるかな?

自分で見出だしてない、ってことだよ。

自分で見出だしてないってことは、

分からないことが、あるってことだよ。

その分からないことを知ることが、

本当の学びだよ。

だからね、

その自分でない誰かが作ったものに、

頼りきることは、

まだ見ぬ罠を自身で作ることなんだよ。

そう考えるとね、

勉学全てが、

罠なんだよ。

でも、その勉学の中で、唯一、

その穴を抜けれるものがあって、

それって何だと思う?

分かるかな?

自身で少し考えて見てね。

では、発表するね。

それは、

「道徳」

だよ。

道徳こそ、勉学の基礎なんだよ。

道徳とは、物事の裏と表が見えるものになるからこそ、

全ての基礎なんだよ。

だからね、

これができなくて何を学んでも、

泡の骸なんだよ。

今の時代の人々は、きっとそういうことに、

疎いよね。

物事の裏を見なくても、
 
簡単に様々なことを、お金さえ出せば、

教えて貰えるようになったからね。

けどね、

昔はそうじゃなかったんだよ。

昔は、簡単には学べなかったんだよ。

だから、今の時代の人々は、

学べることに、ありがたみが無さすぎるよ。

しかも、学ぶべきものを、勘違いしてるよ。

そういうことも、きっと分からないよね。

昔は、色々なことが、形になってなかったし、

色々なことが、不完全だったからこそ、

学びの場にたどり着けることも至難だったし、

礼儀もできないと、門前払いされるし、

勉学って高貴なものだったんだよ。

だから、

人間性ができてなければ、

学べなかったんだよ。

それに真実ほど、

悪人に渡さないからこそ、

ある意味、慎重にもなるんだよ。

だからこそ、

昔は道徳は当たり前で、

基礎だったってことだよ。

だけど、今の時代は、

全ての価値が、お金になっていて、

お金や、地位や、名誉ばかりが先に来て、

外の世界を主にしてしか、

物事を考えられなくなってるよ。

この意味、分かるかな?

お金や地位や名誉を得ることが、

学びじゃない、ってことだよ。

何かを得ることに固執し過ぎることは、

道を誤ることだよ。

現代はそれに、固執し過ぎだよ。

生きる糧を得ることは、確かに大事だけど、

生きる糧と、本当の学びは少し違うよ。

物事の核心を付くことが、

学びの本質だよ。

核心を得ることは、手放すことだよ。

その意味、分かるかな?

得ることは、迷うこと。

捨てることは、迷わないことだよ。

言い換えるなら、

得ることは、見失うこと。

捨てることは、得ることだよ。

この世界は、陰陽だよ。

だからね、

偏り過ぎることで、

本当に大切なことほど、

見えなくなってる、ってことだよ。

だからね、

学校の先生が全てを知ってるんじゃないよ。

教授が全てを知ってるんじゃないよ。

科学者が全てを知ってるんじゃないよ。

偉い人が全てを知ってるんじゃないよ。

成功者が全てを知ってるんじゃないよ。

結果に囚われないで、成果のみを、

追い続けたものが、全てを知ってるんだよ。

分かるかな?

だからね、

お金さえ払えば、

何でも学べる。

そういう安易な思い込みが、

愚か者を量産し、

本当に価値のあるものほど、

見えなくなっているんだよ。

学びの価値を下げることは、

そういう停滞の結果を、生み出してるんだよ。

停滞=価値を知らない

価値を知らない=足元が見えてない

なんだよ。

結果、

全てのことが、

本末転倒になって、

結局は、水の泡になるんだよ。

分かるかな?

だからね、

安易に価値を下げては、ダメなんだよ。

安易に価値を下げると、甘えが生まれて、

甘えがあると、本当に大切なことって、

絶対に分からないんだよね。

甘えはね、

良く言えば、光なんだけど、

悪く言えばね、闇への入り口なんだよ。

何事にも裏と表があるんだよ。

闇を克服したものだけが、

甘えの中の、闇を消せるんだよ。

闇を克服してないものは、

甘えの中に、闇を宿すんだよ。

だからね、

何事も、克服が全てなんだよ。

でも、そういうこと知るのは、

大変だからこそ、

そこから無意識に逃げて、

逃げた結果が、

自身の都合の良いことばりを、

正当化する考えを生み出して、

次第に、

甘えばかりが蔓延する世界を、

自身の愚かさから生み出してるんだよ。

そして、最終的には、

スッ転んで、怪我をしてから、

ハッとなって、

その時にようやく、

気が付くんだよ。

だから、

足元を見てねって、何度も言ってるんだよ。

でも、分からないから、

何度も何度も自身で、

その落とし穴に落ちるんだよ。

だから人は、

真実ほど、

体験しないと、分からないんだよ。

体感しないと、気が付けないんだよ。

未熟だからこそ、

何度も同じことをするんだよ。

だから、学びって、

頭じゃないんだよ。 

頭は二の次なんだよ。

心が先なんだよ。

心が学びなんだよ。

心を変えられてこそ、学びの本質なんだよ。

心さえ変えられれば、

落とし穴なんかに、落ちないんだよ。

頭で考えてるから、

落とし穴に落ちるんだよ。

だけど、皆、

心まで到達してないから、

結局、どうしようもないんだよ。

だから、

道徳を学べって、言ってるんだよ。

道徳を実践しろって、言ってるんだよ。

何事もかもが、実践が足りなすぎるんだよ。

実践の伴わない理解なんて、

何の意味もないんだよ。

そういうことが、分からないから、

本当の意味で、何も生み出せないんだよ。

何も生み出せないからこそ、

何にも変わらない現状を生み出してるんだよ。

自身でその結果を、生み出してるんだよ。

自身で無自覚に価値を、

下げてしまっているからこそ、

大切なことほど、気が付けなくなっていて、

与えて貰えなくなってるんだよ。

自身がそれを受け取ることを、

拒んでいるし、

相手を拒否していることが、

その大半になるからね。

だから、

全ては自身に返って来てるんだよ。

自身の行為そのものが、結果を生み出してるんだよ。

根本を知るって、そういうことだよ。

価値を下げるって、そういうことだよ。

自身の在り方が、答えを導くんだよ。

在り方を変えることが、真実となるんだよ。

だからね、

それが分からないのは、自身の問題だよ。

自身を知らな過ぎるから、そうなるんだよ。

そういう人ほど、

先人たちが苦労を重ねて、築き上げて来たものを、

無自覚に、蔑ろにするんだよ。

未熟な者達が、愚かだからこそ、

蔑ろに扱うんだよ。

適当に扱うんだよ。

この意味、分かるかな?

失礼なんだよ。

相手に敬意がないんだよ。

自分が知らないことを、教えて貰ってるのに、

敬意が足りないんだよ。

感謝が足りないんだよ。

簡単に分かることや、

できることの中になんて、

本物なんて決してないんだよ。

だからね、

これって、本当に愚かなことだよ。

その愚かなことすら、分からないから、

何にも見えてこないんだよ。

目先の利益ばかりに囚われてるから、

何にも見えてこないんだよ。

足元を見るって、そういうことだよ。

相手を立てるからこそ、分かることがあるんだよ。

その相手に敬意を持てないことは、

自身に敬意を持てないことと、

同じだよ。

それが、どういう意味をなすのか分かる?

相手を立てられない人は、

自身を立てられない、ってことだよ。

自身を立てられないで、

分かることって、ないんだよ。

自身を蔑ろにして、

分かることもないんだよ。

だから、

相手を大切にできるからこそ、

自身も大切にできて、

自身も相手も大切にできるかこそ、

分かることがあるんだよ。

そのことを、真実と言うんだよ。

皆、自身が見えないんだよ。

見えないからこそ、相手を立てて、

自身を見るんだよ。

それができなくて、学びなんて、

言えないんだよ。

そういうことをできない人が、

多すぎるからこそ、何も変わらないし、

分からないんだよ。

無自覚で、自身ばかり可愛がってるから、

愚かなんだよ。

そういうことを、子供だって言うんだよ。

子供だから、何も分からないんだよ。

事実って、それだけなんだよ。

だからね、

何も分かってない人達って、

皆、子供なんだよ。

身体だけが大人で、

中身は子供なんだよ。

それを取り繕ったり、

隠したりするから、

見栄ばかりが先に来て、

自ら望んで、

欲望の落とし穴に堕ちてるんだよ。

自身の間違いを認められないから、

そうなってるんだよ。

だから、

価値を下げると、全てがおかしくなるんだよ。

価値を下げることで、

敬意がなくなるんだよ。

敬意がなくなることって、

尊厳がなくなることだよ。

尊厳が大切だと言っているのではなく、

相手のやって来たことに対して、

失礼なことをするなって、

言ってるんだよ。

そこには最早、

当たっているのか?

間違っているのか?

そんなことは、どうでもいいんだよ。

人は、当たっているから何かをすんじゃないんだよ。

正しいから、何かをするんじゃないんだよ。

好きだから、何かをするんだよ。

正しさなんて、後なんだよ。

正しさなんて、本当はどうでもいいんだよ。

そのどうでもいいことに、

拘りすぎてるからこそ、

何一つ正しさを知らないんだよ。

この盲点に気が付いてよ。

だから、

その後のものを自身の都合で先に出すなよ。

本当は、自身だって、

そんなこと、どうでもいいんだろ。

人に合わせて取り繕ってるだけだろ。

だから人に、

そんなどうでも良いことを押し付けるなよ。

って、なるんだよ。

だからね、

本当はね、

人はただ好きだから、

何かを学んでいるんだよ。

その好きを簡単に侮辱されたらね、

誰だって怒るんだよ。

それって、自然なことなんだよ。

自分の好きな人を侮辱されたら、

誰だって怒るよね。

それだけなんだよ。

それだけのことすらも、

させてくれないこんな世の中だからこそ、

俺は怒ってるんだよ。

だからね、

自身の物差しで、相手を自身の都合の良いように、

測るんじゃね~よ。

ってなるんだよ。

そういうことは、

自身でちゃんと積み重ねて来てる人ほど、

良く分かっていて、

ちゃんと分かっている人は、

そういうことは、絶対にしないんだよ。

それがどれだけ大変で、

高貴なことだと理解してるからね。

でも、

何も知らない人は、

知らないからこそ、

平気でそういうことをするんだよ。

だから、

簡単に得たものは、

簡単に考える。

与えられることも、それと同じ。

だから何事も、

自身の姿勢を正さないと、

どんどん理解は、無自覚に、

おかしくなって行くよ。

おかしいことに、無自覚だからこそ、

何故そうなったのかも、分からないよ。

分からないからこそ、何度も同じ過ちを引き起こすよ。

全ては、簡単に考えてるから、

起こることなんだよ。

簡単がどういうことなのかも、

分からないから、そうなるんだよ。

全ては、

価値を下げることが、

その道筋を作ってしまうんだよ。

そして、

未熟な人ほど、

その道を辿るんだよ。

だから自然と、

自身の都合の良いようにしか、

考えられなくなるんだよ。

簡単に与えられるほど、

そうなるんだよ。

自身の闇を知らないから、

そうなるんだよ。

だから、簡単は罠なんだよ。

しかも、

簡単に間違えたからそ、

罪を償う、度量も育ってないんだよ。

だから、

覚悟することの意味も分からないし、

勘違いしか、生まれてないんだよ。

だからこそ、間違えた時に、

その罪に簡単に自身が押し潰されるんだよ。

ちゃんとしたことを学んでいたら、

絶対にそうはならないよ。

取って付けたようなことばり、

学んでいるから、バカを見るんだよ。

形から学ぶって、そういうことだよ。

勉学を先に学ぶって、そういう意味だよ。

足元が見えなくなることが、

勉学の罠だよ。

だから常に、

勉学は後に考える必要があって、

先に道徳を置かないといけないんだよ。

道徳があるからこそ、

全てが1つに繋がるからだよ。

足元を極めることこそ、

全ての基礎だよ。

だから、

そこまで、学ぶことが、

本来の学びの在り方だよ。

中途半端に覚悟も決めずにやってたら、

そんな所には、

絶対に辿り着けないよ。

だから、殆どの人達が、

足の引っ張りあいをしてるんだよ。

間違っているのからこその、

足の引っ張りあいになるんだよ。

本当のことを学んでいたら、

絶対にそうは、ならないよ。

フォローされるのが、

本物だからね。

だからね、

何事も、

簡単に学んでは、いけないの。

簡単に考えては、いけないの。

簡単に考えていなければ、

そんなことには、

絶対にならないから。

積み重ねってそういうものだよ。

努力ってそういうものだよ。

本当のものほど、

簡単には、やられないんだよ。

だから、何事も軽く見ては、

行けないんだよ。

だから、学びこそ、

価値を下げては、ならないんだよ。

学びは、厳しさがあってこそなんだよ。

その厳しさがないことが、

自身で価値を下げ、

自らを滅ぶことを、自身で選択するんだよ。

だから、

安易に価値を下げて、伝えることって、

良くないことなんだよ。

だから、ここで言っていることは、

全てが、大サービスの大バーゲンなんだよ。

そこに気が付いてね。

話が長くなりすぎて、

アダムとイブが全く出てこないね(笑)

これより下を読むと出てくるので、

読みたい人は、更に読み進めてみてね。


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・  












さて、変わり者は、

先を読みに来たかな?(笑)

内容的には、

ちょっと気質が変わる気がするけど、

せっかく書いたので、

気になる人は、読んでみてね。

では、続きを始めるよ~。

だからね、

安易に知れるものほど、

核心は、遠退くものなんだよ。

自身の無知さが遠ざける原因なんだよ。

でも、絶対に気が付けないよね。

気が付いちゃいけないからね。

全てが崩壊するからね。

だからね、先に外を知ることって、

本当に危険なことなの。

その危険なことを先にしてるのが、

現代なの。

その危険なことを先にし過ぎてるから、

深い内面ほど、戻れなくなってるの。

だからね、

先に外を学ぶこと、

偽りなんだよ。

順序を間違えてるからこそ、

偽りになってしまうんだよ。

この世界は、

順序を追うことが全てで、

順序を間違えることが、

崩壊の定めを生んでいるんだよ。

力に囚われることが、

その一番の要因になっていて、

最大の落とし穴になるんだよ。
 
だからね、

全てを手放して、

原点に帰らないと、大切なことほど、

分からないんだよ。

罪の清算をしないと、

本当の理解って降りてこないんだよ。

そういうことが分からないと、

力に囚われ、

力に囚われたからこそ、

全ての過ちが生まれるんだよ。

それを理解しないと、

自身の内面には、とてもじゃないけど、

帰れないよ。

帰れたとしても、中途半端になってしまうよ。

中途半端に罪を清算しても、

何にもならないよ。

また、欲望の世界にハマって、

滅亡のループを辿ってしまうよ。

だからね、

手放すことは必須で、

自身の内面と向き合うことが、

全ての清算になるよ。

力を手放すことが、

その肝だよ。

全ては自身の清算であって、

理解であり、力の源だよ。

それが、ワンネスに通じてるんだよ。

ワンネスまで到達しないと、

理解は理解で終わり、

力も力で終わって、

本当の意味では、価値がないよ。

目指す場所は人それぞれだから、

そこは、各自の判断に委ねるけどね。

だからね、

そういうことを知らない人ほど、

そのツケが溜まってるよ。

溜まってるからこそ、

真実ほど見えなくなってるよ。

事実とは、そういうものだよ。

隠すものや、溜まってるものが、多いほど、

見えなくなるよ。

簡単なのに、間違え過ぎてるからこそ、

見えなくなってるよ。

自身に拘り過ぎるのも、良くないよ。

本当にそれだけだよ。

事実がシンプル過ぎるからこそ、

難しかったりするだけだよ。

だからね、

先に外を知っては、行けないの。

先に外を知ることが、

余計に物事の理解を難しくするの。

だから、

成熟するまで、

真実って知ってはならないの。

形として与えらたものは、必ず、

間違いに通じていて、

過ちに通じてるから。

その過ちに毒されると、

悪に変貌するよ。

闇の眷族となるよ。

だから、未熟な状態で、

力や知恵を得ることが、

そもそもの間違いなの。

それが、根本原因なの。

本当に力を得たいなら、

形あるものから得るのではなく、

形ないものから得るしかないの。

形ないものから力を得ることは、

間違いが許されないからこそ、

それこそ、真の道なの。

真の道が、道徳の道なの。

道徳の道こそ、真の力の道なの。

想いが力の根元で、

想いと重なるのが、道徳なの。

だからね、

先に外を知ることが、禁忌そのものなの。

形を先に知ることも、禁忌なの。

それを表してるのが、

アダムとイブなんだよ。

アダムとイブは、

知恵の実を食べたからこそ、

自身の内面に帰れなくなったんだよ。

欲望と邪悪に囚われたってことだよ。

何にも知らないからこそ、

知恵の実を食べることで、

欲望と邪悪の渦の中に、

自ら落ちてしまったんだよ。

何にも知らないからこそ、

その結果が、

欲望と邪悪になってしまったんだよ。

生命誕生ってそういうことで、

子供を見るとそれが、分かるよね。

子供は、欲望のままに生きていて、

大人になってもそれをやり続けている人がいて、

未熟なものほど、

邪悪になって、

奪い合いをしてて、結局何も変わらない。

何も知らない人ほど、そういうことを、

永遠にしてる。

分かってる人でも、欲望と力には、

勝てなかったりする。

それが、闇の皇帝になる。

結局、

力に支配されて、力で返そうとする。

だから、力を求めることを辞めない。

力に憧れるからこそ、
 
本当に大切なことが見えない。

そういう負のループが、

永遠のループになっていて、

欲望と邪悪(力)に、

囚われてしまう。

そんなちょっとしたことを間違えるだけで、

理解の歯車が狂いだし、

真実は、自然と見えなくなってしまう。

そう考えると、恐ろしいことだね。

だから、

本当を知るってことは、

本当は簡単なことじゃくて、

自らを省みないと、気が付けないことなんだよね。

その自らを省みることが、

自身の闇を知ることで、

自身の闇を知ることが、

成り立ちそのものを知ることで、

成り立ちそのものを知ることが、

本当を知ることなの。

だからね、本当を知るってことは、

自身の闇を克服し、

知恵そのものの成り立ちを知らないといけないの。

力や知恵に囚われることじゃないんだよ。

知恵の実を食べることは、

力を認識することで、

力を認識することは、

知恵に囚われることで、

知恵に囚われることは、

知識に囚われることなんだよ。

現代がそれだよね。

だからね、

全てが、逆転しているんだよ。

究極の間違いは、自身の在り方と、

知恵にこそあるんだよ。

だからこそ、

自らを省みて、

知恵そのものを手放さないと、

知恵の外には行けないんだよ。

その知恵の外に行くことを、

自身を知る、と言って、 

自身の枠を越えることを、

創造と言うんだよ。

アダムとイブって、そういう意味なんだよ。

けど、その本質に誰も気が付けないの。

それくらいに、自身に囚われてるの。

それくらいに、欲望と邪悪に満ちてるの。

だから、自身の闇一つ受け入れられないし、

大切なことほど、分からないの。

だからこそ、

間違いを安易に否定したり、

いけないこととか、

恥ずかしいことだと思うんだよ。

でもね、

最も恥ずべきことってね、

偽ることなんだよ。

そこが、そもそも間違えてるんだよ。

偽らない為に何ができるか?

それが、正しいことなんだよ。

そういうことも分からないから、

全てがおかしくなってるんだよ。

間違いこそ、人を成長させる種なんだよ。

全ての理解が逆転してるんだよ。

だからね、

そういう間違った思い込みが、

負の連鎖を生んでいて、

本当に正しいことが分からなくなっていて、

本当に恥ずかしいことが溢れ、

何にも、

見えなくなってるんだよ。

だからね、

間違いを隠すことが、

そもそも愚かなんだよ。

闇を隠すことが、そもそも未熟なことなんだよ。

人は未熟が当たり前なんだから、

隠すことなんて滑稽だよ。

間違いは、認めあってなんぼだよ。

支えあってこそ、価値だよ。

だから、

当たり前を隠すことが、愚かなんだよ。

愚かなら謙虚になって、

学べば良いんだよ。

それを隠くし続けるから、ダメなんだよ。

隠くし続けるから、本当に大切なことほど、

分からなくなるんだから。

自らの首を絞めるって、

そういうことだよ。

自身の罪を、

無自覚でも自覚してるから、

どうしても隠してしまうんだよ。

恥ずかしくなってしまうんだよ。

だから、そこを認め諦めない限り、

何も変わらないよ。

一回認めてしまえばそういうことって、

案外簡単にできるけど、

それには、

確かな理解と支えが必要なんだよね。

だからね、

本気じゃないと変わらないって、

そういうことなんだよ。

誰かの支えが必要なんだよ。

人は一人で生きては活けないし、

支えあうことにこそ、価値があるんだよ。

そこを間違えては、いけないよ。

一人でできると思うことは、

愚かなことだよ。

全ての理解には、

そういう裏があるんだよ。

その裏の中にこそ、

自身の本当の姿が隠れてるんだよ。

だからね、

外の知識だけ追ってたら、

そういうことって、

絶対に見抜けないの。

理解の在り方が、逆になってるからだよ。

逆だからこそ、絶対に見抜けないんだよ。

そういう仕組みなんだよ。

だからね、

見抜けないからこそ、

大切なことほど、

分からなくなるの。

大切なことが分からないから、

何も変えられないの。

それだけなの。

歴史を読み解ければ、

そういうことも自然と分かるの。

そういうことを、

気が付けない時点で、

実は、闇に囚われてるの。

だからね、

気が付くには、

理解を巻き戻しするしかいよ。

自身の内面に帰るしかないよ。

でもね、

巻き戻しすることが、

難しかったりするの。

それができた時、

虚構と実像が見えるようになるよ。

4次元の扉もその時に開かれるよ。

歴史とはその扉開く、ツールで、

歴史の裏を知ることが、鍵になるよ。

ツールは、情報で、

鍵は、想いだよ。

見極めることが、全てだよ。

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