見出し画像

1年半のフィリピン生活に終止符を打ちます

お久しぶりです。
前回投稿が「フィリピンに移住して半年経ちました」であったので丁度1年ぶりの更新となります。

2022年7月8日に日本を経ち、一度も帰国せず今年30歳を迎えフィリピンマニラでの二度目の年越しを迎えようとしています。

そして2024年1月に日本帰国を決めた今回の経緯、又1年半の生活で得た知見に関して以下記していきます。



先進国民として痛感した途上国で外国人として扱われ続ける暮らし

先進国民、途上国と書き分けるとどうも差別的な匂いがしてしまいますがやはりこれ以外の言葉が見当たらないのでそう記しています。

どれだけ自分が日本人として恵まれた環境で育ち、生きてこれたのか。
この1年半で数え切れない程痛感しました。

「東洋の奇跡」と世界に賞賛された経済発展の恩恵を生まれた瞬間から俺は受け続けてきたんだと。

勿論どんなことも慣れ、当たり前になっていくものです。
ましてや物心つく前から存在していた環境(公共の施設やインフラを含め)の恩恵にその環境のみで生活している人間が気付くことは中々できないことです。だって当たり前って当たり前なんだもん。

道を歩いていてもバイクが横すれすれを通ることもなく、狂犬病を持った野犬に襲われることもなく、やたらと点在する穴に躓くこともなく、排気ガスを吸い続けることもなく、警戒を張り巡らせながら道路を横断することもない、そんな道が存在する都市があるなんてここで生まれて生きてきた人間は信じられないと思います。

でも存在するんですよね。
そんなおとぎ話のような道が存在する都市が。東京って言うんですけど。

でも俺ら日本人にとっては上記のことが「起こらない」ことが当たり前だし「起こらないという質の高さ」に対して何も思わないですよね。でも途上国と呼ばれる教育レベル、文化レベルが低い国では「起こる」ことが当たり前なんですよね。

質、サービスに関して先進国の中でもトップクラスの環境である日本で育ってきた我々日本人が「途上国」にくることで得られる知見ってやっぱりこれだと思います。

俺たちはとんでもなく恵まれている。俺たちが異質である。

++++++

日本人の若者のパスポート保有率が過去最低を記録したりしているのも当然だと思います。
その日本のパスポートの権力(ビザなしで渡航できる国数世界1位)って、フィリピン人の多くの若者達からしたら喉から手が出るほど欲しいものなんだけど。
それでも日本から出たくないもんね。綺麗な枠で暮らせる環境を捨てる意味なんてないもんね。英語も話せないし、なんか海外とか漠然と怖いし、Youtube上で眺めてるだけでなんとなく分かった気になれるしそれで良いよね。刺激は楽しいし欲しいけど、そこに行き着くまでの勇気を持った行動を継続するとかダルいもんね。

日本の経済圏のみで日本人として日本だけで一生を終えることに何の不満もないですよね、よく考えたら。足りないものは何もない。良いじゃない、恵まれているんだから。低質な世界をわざわざ経験する必要なんてない。

そう、だから日本人が海外に出るって日本が恵まれすぎているから多くの日本人にとってはキツいことなんですよね。
海外行くとか旅するとか、ましてや生活するとかって刺激も知見も得られるし、人生の幅は確かに広がる。
しかし甘んじて許容しなければいけない理不尽、不条理に対するストレスも、振り絞らなければいけない勇気も大きいんですよね、日本人にとっては。だって一々「サービス、物事の質における絶対王者・日本」と比べちゃうもん「あぁ日本だったらなこれはな、、、」とか。

まぁでも大人になってから自分が明らかな弱者(外国人)として扱われながらも、日本にいたら絶対に経験できないことの連続の毎日ってのは俺は最高に疲れるけど最高に楽しいと思います。

みんなそんなに楽しいこと好きじゃないのかな?とかも思ったけどどうやらそうでもないっぽい。

勇気だけですね。本当に。思います。
別に在宅の仕事なんかも探せばいくらでもあるし、日本以外の環境で刺激とストレスにまみれた生活を人生の中で選択することは一昔前より容易になっています。

じゃあなぜ多くの日本の若者は外に出ないのか。

色んな理由を皆さん言いたがるとはお思いますが、シンプルに勇気がない。
全く道の世界、自分の相撲が取れない世界で生き抜いていくという勇気がないだけ。
俺はそう思います。

だから俺は日本の快適で何不自由ない暮らしを自分の意志で終わらせて、わざわざ不便で危ない環境に飛び込むの本当に嫌だったし、来たら来たらで外国人として邪険に扱われ低質な人間に騙されたりしながら、それでも脳汁出るような素晴らしい経験もたくさん出来て色んな人間、環境、運の巡り合わせに今感謝しています。

ここマニラで、先進国民として現代の途上国で暮らせて本当に良かったです。

+++++

お前は納得したのか

これに尽きます。

そもそも2021年12月にフィリピン行きを決め武尊さんの大舞台THE MATCHを見終えるまで東京に滞在し、2022年7月にフィリピンに実際来たあのタイミングでもそれだけを考えていました。

次に日本の地を踏む時は「俺が俺自身に納得した時間を過ごしてきた、俺自身に存在する可能性を潰し切れた」という想いだけがあれば良いと。

結果及第点だと思います。

もうどんなこともそうですけど、洗えばキリないです。
「あの時、あの時間、もっとこう過ごせた」これはもうキリがない。どこで理想の自分と実際の現実の自分の折り合いをつけるかだけ。
それを加味してこの1年半、実に550日以上に及ぶフィリピンマニラ生活、及第点は叩けたと納得しています。

もがきました、苦しみました、楽しかったです、気持ちよかったです。
ヒリつきました、絶望しました、諦めました、それでも歩き続けました。
途上国暮らしが嫌で帰るならとっくに帰っています。
納得感と希望と共に日本へ帰国できそうです。

ここら辺の言葉に帰結すると思います。

当然ですが2022年7月〜現在はもう二度と戻ってきません。
もう30歳にもなるし(当時29歳)一本自分の軸になる事業でも作りたいななんて思いながら色々試しながら失敗していたら、23打席目くらいでポテンヒットが打てました。突破の糸口が見えました。
これは自分の中でデカかったですし、ただ俺は打席数を稼ぎ続けただけであり大半は環境と運と周りの人間のおかげだと思っています。

+++++

そもそもなぜ「次に日本の地を踏む時は。。。」なんて重苦しい語り口調しているのかというと私飛行機がだいぶアレなんです。正しくはアレでした。

2012年から航空性副鼻腔炎を発症し、数度のレーザー手術、二度の全身麻酔下での手術を2013年〜2019年の間に行い(その間も飛行機に乗り成功したり失敗したり)漢方鍼整体等試し続けてやっと2021年末頃には不安はありながらももう乗れるんじゃないか?という確信を得られる状態まで戻せました。

それがあったんです。
2018年9月〜2019年3月にかけて札幌〜バンコク間を陸路と海路のみでウロウロしていたんですけど、その時も絶対に飛行機は乗らない徹底ぶりでした。

今では一時期最悪な時期よりは相当良くなりました。日常生活の呼吸も本当に楽になりました。もう実は俺としてはそれだけで生きてるだけでハッピー感はあります。

だから今回の帰国も大丈夫だろうと信じています。

にしてもポンポン二国間を行き来するような状態でもないので、マニラに来る前には「次に日本の地を踏む時は。。。」なんて重苦しい決断をしていたわけです。

飛行機に乗って帰国する程の納得感、満足感は2023年10、11月頃から強く芽生え始めていました。そして2023年11月30日、あの日を迎えました。


人生の指針となってきた2人の格闘家

11月30日、いつも通り昼過ぎに起きました。
Youtubeのオススメ欄に見慣れた2人の格闘家が揃って会見しているサムネイルが表示されていました。
キックボクサーの武尊さんと文筆家・総合格闘家の青木真也さんです。

この2人がどれほど20代の自分の人生を生きる上で指針となってきたか、勇気を貰ってきたか計り知れません。

今年7月に初めてアマチュアボクシングの試合にフィリピンで出たんですよ、俺。結果3R終了時点での判定負け。

あれ凄いっすね。あと1回でもパンチ出したら呼吸止まるんじゃないかってくらい疲れました。格闘家凄い。皆凄い体力がある。

勿論今好きな格闘家とか今まで観てきた格闘家だったり、試合があればチェックする位の自分の中でもそこそこノれてる格闘家って結構な数いるんですけどこの2人だけは自分の中で特別な感情を抱いています。

いつもありがとうございますって思ってます。
勇気と良質なコンテンツと刺激をありがとうございますって。

実は武尊さんが常々口にしてきた今回のロッタン戦、タイであろうと日本であろうと別の国であろうと現地観戦はしようと心に決めていました。
それがたまたま日本開催であり、青木真也さんも同日同大会に出場すると。

青木さんの試合も2022年3月の秋山戦のタイミングで現地観戦したいくらいノってたんですけど試合会場がシンガポールだったので前述の飛行機の件もあり断念しました。

密かに青木さん自身公言している「ONEでの引退試合はフォラヤンとフィリピンで」に関しては来年どっかのタイミングで訪れるのかな?その前には俺もこっちに戻ってきているからフィリピン現地観戦できるだろうと考えていましたが今回日本でも観れることになりました、ベストパフォーマンスでの最後の青木真也を。

いつぶりですかね、青木さんの現地観戦。

子供の頃家族で年末PRIDEとかよく現地観戦行ってましたが(恵まれた家庭科つ埼玉県民なので)それ以来だと思います。2007年以来とか?

大人になって2018年5月に青木さんの35歳になりましたというVoicyを聴いてから再度青木真也が自分の中でトレンドに上がり(子供の時に観ていた青木真也より解像度高く)ノり続けてきました。

生き方、見せ方含めて悔しい位大好きです。武尊さんと青木さん。

+++++

前述した通り2023年10、11月頃からは「もういつ一回帰っても良いしむしろ帰って消化させなければいけないことも溜まってきているなぁ、一回帰って日本で2−3ヶ月の充電及び日本ならではで出来る活動を経て来年春開け頃フィリピン戻ってこようか」くらいまでは考えていました。

しかしまぁこっちでの生活も板に付いてきたこともあり、戻ってくるとはいえしばらく日本帰国するとなるとこっちで仕舞わなければいけないことも諸々あり中々その具体的な日程を決めあぐねていました。

そこでのあの会見でした。

2024年1月28日に自分が有明アリーナに居ることが決まりました。

また救われました、ありがとうございます。

飛行機のチケットより先に、その日に試合のチケットを取りました。

+++++

ビザと保険と生活

ここら辺の問題も今年後半から頭の中を数多くよぎってきました。

海外で生活するにあたり先ずは「ビザと保険」です。

実はビザに関して俺は2022年7月に労働ビザにて入国しているので、現状問題はありません。しかし厳密に言うと、ってところはあります(黒じゃないですが、褒められた白でもないです)
また保険に関してもクレジットカードの利用付帯というのを繋いで使用しながらなんとかやってきたのですが来年1月で万策尽きます。
そして途上国暮らしではよく体調崩します。よく病院行きます。俺体力ないし。
今まで体に入ったことない菌やウイルスがバンバン入ってくるのでそれはそうなんですけどやはり保険は大事です、本当に。

生活に関しても一回このタイミングで日本に帰ることで、より来年以降のフィリピン生活を安全に快適に進められる方法が自分の中にはあります。

ここら辺の問題も一回帰国すればクリアにできるので、正直もう本当に「時は来た!それだけだ」感があります。

薄々意識はしていましたが、もう本当にといったところです。だいぶ粘った。


人生も事業も納得感の旅も続いていくので一旦日本へ、2024年も再度フィリピンへ

という決断になりました。

今は次来たらどれくらいの期間居ようとかそこまでは考えられてないですし時流が決める部分もあると思っています。

しかし!もう一回帰る!

前述しましたが精神的な摩耗や消耗、ストレスによって帰るならもうマジでとっくに帰っています。それこそ半年、1年という節目でも考えましたしそれ以外の嫌なことが立て続けに起こったタイミングで「だから途上国嫌いなんだよクソがもう二度とくるか!」で帰れたと思います。実際マジで何回かヤバかったし。

まぁしかし

こうなりました。

あのストレスを受け続けても「やり切れなかった、納得しきれなかった俺が場を去る」だけはもう絶対ダメだったんですよね。これだけは二度とやってはダメ。


青木語で言うと思想信念主義主張に当たるのかもしれないけど自分と大切な人たちの命の次なのかもしれないです、俺にとってこれって。マジでモノカネより上。


ということで1月28日のちょっと前に帰ります。ロッタンとセージノースカットと同じくらいのタイミングで日本入国します。


久しぶりの日本。感じることも沢山あるでしょうけど以下で発信していきます。今回の経緯も、この1年半の生活も下記で自分の記録用に残しています。
それではまた。

https://www.youtube.com/@sakumaruradio










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?