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希死念慮が薄れる時


10代〜20代前半の頃はとにかく希死念慮がすごかった

抱えきれない闇に心が蝕まれる夜が何度もあった

でも、それだけ凄まじかった希死念慮が薄れたタイミングが人生で2回あった

・1回目
21歳の頃に、高校1年生の頃から仲が良かった友人が亡くなった。自死だった

遠方の友人だったため葬儀には間に合わず、四十九日の前にお線香をあげに行った

ご自宅に伺うまで実感が湧かず、共通の友人とも笑って話せていたくらいだったが

ご自宅に着いて憔悴しきったお母様と対面した時、
遺影と遺骨を目の前にした時、
今まで感じたことない感情になった
言葉が出なかった

遺影は成人式の前撮りの写真で、本当に綺麗だった

もう一度だけ会って話したいけど、それができない

あの日に「自分がもし命を絶ったら両親もきっと悲しむんだろうな」と初めて思った
自分も友人も涙を流していたし、今思えばあの日のおかげで気持ちに区切りがつけたけど その日の自分にとっては本当にショックな出来事だった

友達にも家族にも泣いてほしくないなーとぼんやり思った

・2回目
5年前の2018年に母方の祖父が亡くなった

元々入院や介護が必要なくらいの祖父だったので、自分としては「そうか、もうだめだったのね」くらいの気持ちだったけど
母親がほんとうに憔悴してしまっていて、それを見るのがつらかった

うちの母親が長女なので葬儀の諸々の手続きをやっていて疲労していたのもあると思うが、葬儀の時はほんとうにママは辛そうだった

自分が死んだらもっと泣いちゃうだろうなーとか
パパも喪主の挨拶なんて泣いちゃってちゃんと言えないだろうなーとか
そう考えると、両親が生きてるうちはまだ死ななくていいかもと思った

できることならわたしの死を悲しむ人らが全員死んだあとにわたしが消えたい


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そして今日2023年12月12日、母方の祖母が亡くなった

5年前に葬儀を経験したからか、祖母の容態がここ数ヶ月良くないことを聞いていたからか
少し自分の気持ちは落ち着いてた

ただやっぱり、んー親には悲しんでほしくないなあとか、
自分だったら遺影は何になるのかなーもしここ数年で死んだとしたらBeautyCamで撮ったやつでもいいかな?とか、
気持ちの踏ん切りつけるためにも自分の好きな人たちにはみんなには来てほしいなーでも遠いよなーとか、思った

今は全然健康のまま長生きする気満々だけど


そういうことがありました

でも全人類誰しもが明日交通事故で死ぬ可能性があるって考えるとこわいよねえ

死ぬ時は痛いやつとびっくりするやつは避けたいなー

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