見出し画像

輪廻転生があるとしたら

【現役産婆うっしーの神官見習い日記.2】

前回の記事はコチラから。

・「輪廻転生」という宇宙のしくみ

スピリチュアルヒーラーとして瞑想をすることで神や仏と繋がることができるのに、なぜ今さら、昔ながらの修法をもってつながることが必要なのか?

これについては、話の根本に「輪廻転生」という宇宙のしくみがあるということが前提だとお伝えしておきます。

アジア人の宗教観には「輪廻転生」はあると信じている人たちが多いですよね。

私もその一人で、スピリチュアルな学びを始めてから、私自身も幾度となく繰り返された自分の過去世を垣間見ました。

現世では体感したことのない、その時々の過去世で体験した感覚が臭覚、触覚、視覚、痛覚としてカラダに遺っているのを感じた時、確実に過去世からの記憶は現世のカラダにも現れることがあるのだと知りました。

それらの過去世の記憶にはそれぞれに因縁があり、その因縁が今世まで紐づいてきている。

私たちの目の前にある環境や人間関係は、「袖振り合うも他生の縁」と言うように、

多かれ少なかれ、かつての因縁が複雑に絡んで創り上げられているものなのです。

もし、何度も輪廻転生してきているとしたら、

その時々に下りてきた魂は、毎回人生の目的やミッションを掲げて、何かしらを学ぶためにこの地上に下りて来ているということ。

それは、相当「チャレンジャー」な魂で、本質はとても強い人なのだと思います。


・過去世の記憶

これまでにも私の過去世についてはアメブロ(以下読んでみて~)に何度か書いてきましたが、一応ここにもリンクを。(ご興味おありの方は読んでみてくださいね)

自分のミッション(使命)に気付くということ
産婆の日に産婆卒業宣言!?

その記憶から、私は大まかに分けて3パターンの生き方をしてきたことになります。

1つは、生き物の生命の誕生のお手伝いをすること。

2つめは、ココロやカラダを病んでいる人のサポートをする使命。

3つめは、神仏と人とを繋ぎ人々を善き方へ導く役割。

若い頃に何かしら自然に惹かれる物事というのは、たいてい過去世でも携わっていたものだったりします。

なので、私が小学生の頃からお坊さんになりたいと感じていたのは、ある意味的を得ていて

ほんとは、過去世で幾度も僧侶や陰陽師だった頃の魂の記憶を持っていたことには薄々気付いていたワケです。

画像4

だけど、

学生時代の思いがけない挫折を挽回するために、手に職をつけると決めて看護の世界に入ったことで、女性のカラダの神秘に魅せられ、看護や助産が天職だと思って生きてきた。

今世では、1つめと2つめのミッションを早めに達成すべく人生の前半で看護師・産婆という職業についたのだと思う。

画像2


・3つめのミッションに向き合う時。

私のココロの奥底にある過去世の記憶から、3つめの神仏との架け橋を繰り返してきた魂であることは、薄々わかってはいながらも、

今世では神や仏に仕えることをずっと後回しにしてきた。

昔ながらのやり方で神や仏と繋がることは、もう今世ではやらない。と決めて来たのか、

それとも単に避けてきただけなのか、自分ではよくわからないけれど。

なぜかスピリチュアルな世界へは自然と導かれてきた。

ということは3つめのミッションに向き合う準備はすでに出来ているのでは?

よ〜く考えてみると、どうやら昔ながらの方法が単に「めんどくさがりなだけ」ではナイ気がするのです。

めんどくさがりについては、前回のnoteに書いたけど、

かと言って、決してめんどくさくて何にもやらずに神や仏と繋がろうとしてきたワケではなく、

滝に打たれて滝行をしたり真冬に水を浴びて修行をしたりはしないまでも、

脳波をシータ波に切り替える瞑想のトレーニングを積み、

ヒーラー仲間と潜在意識まで深く掘り下げるセッションを相当な時間とお金をかけ、回数を重ねることで、

自分のエゴやネガティブな思考、本質に繋がるために不必要なものを削ぎ落としてクリアにすることに時間を惜しみなく費やしたことは、ある意味、現代版の禊ぎを経験したと思っているので、

決して何にもやらずして神や仏と繋がれるようになったワケではない。

画像3

では、後回しにしてきたのはなぜか?


・封印したい過去の記憶とは?

それは、私の過去世の記憶の中に

何かしら自分の思い通りにならなかった無力感があるからなのでは?と思うのです。

過去世で感じた無力感については、私の中で今も古傷(だと思う)が時に疼くことがありますが、

何か大変なことをやらかしてしまったような、封印したい過去だったり、

もしくは、

自分の霊力、知力、体力を持ってしても、どうにもならなかった何かしらの障壁があって、

「私の全身全霊を持ってしても、神は願いを聞き入れてくれなかった、無念。」みたいな。

そんな無力感の中で命を終えた…みたいな残念なことがあったのではないかと推測。(検証しようがないからホントかどうかは何にもわからんけどね)

だとしたら、その時の格好とか、環境とか、立場とかにはもう戻りたくナイよね(^_^;)

こうやって掘り下げてる間も古傷が痛む(と感じている)

まぁ、そのあたりについては、

今後の修行の中で否応なく向き合う事になるかと。

今世での修行においては、新しい学びを得ると共に、もしかしたら過去世で封印した扉を再び開けることにもなるかもしれません。

もし、そこで何が起きたのかを知ることが出来たとしたら、

私の中にある無力感もキレイに消えて昇華(ミッションコンプリート)出来るのではないかと感じています。

だけど、

果たして、昔ながらの作法で神や仏と繋がる必要があるのか?

次回はそこのあたりについて書いていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?