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本刈谷貝塚 土偶 4:山ノ神とスダジイ

このページでは本刈谷神社(もとかりやじんじゃ・愛知県刈谷市)の脇参道に沿って存在する山神社(やまのかみしゃ)と神木の二つを紹介します。

本刈谷貝塚土偶ヘッダー

本刈谷貝塚の中心地となっている本刈谷神社は社頭〜ニノ鳥居〜拝殿〜祝詞殿〜本殿という南北のライン(表参道)よりも下記の写真のように社務所〜拝殿〜神楽殿〜明治川神社・神明社〜山神社〜スダジイ(神木)〜報国神社という東西のライン(脇参道)の方が不条理な祭祀物を包む社叢が豊かで、参拝者を包み込み癒してくれる魅力がある。

4本刈谷神社採掘地

上記写真を左右に横切るコンクリートでたたかれた参道が脇参道で、その手前の細かな砂利を敷き詰めた部分が貝塚の発掘調査が行われた部分の一部。
この脇参道の北側に脇参道の方を向いて並んでいる社殿の中で、おそらく最も最初にこの地に祀られたのが、山神社(やまのかみしゃ)だと思われる。ここ三河地域(愛知県東部)ではちょっとした丘陵上に神社が祀られていれば、その境内には必ずと言っていいくらい、山神社が末社として祀られている。
本州、四国を多く巡った体験では、そうした場所は三河しか思い当たらない。
山神社の現在の総本社は瀬戸内海に浮かぶ大三島(愛媛県今治市)の大山祇神社(祭神:大山積神)とされている。
本刈谷神社の末社山神社の祭神は大山祇神(オオヤマヅミ=大山積神の別名)だが、大三島に大山積神を祀った一族の関係者が三河地域にやってきた可能性はありえる。
大三島に大山積神を祀った人物は小千命(オチ)を初めとして諸説あるが、大三島と三河は海でつながっており、大三島から舟で東に向かった一族がいたとすれば、三河の海岸にたどり着く可能性はかなり高いからだ。

一つの可能性にすぎないが、この地に祀られていた天王社(「天王町」という町名として残っている)を八雲社という神社に変更した折、この地の地主神に挨拶をするために地鎮祭を行ったと思われるが、その際に神籬(ひもろぎ)を立てて呼び降ろした神が山ノ神であり、八雲社が成立した時点で山ノ神を祀る祠も末社として八雲社内に祀られたはずだ。
地主神が新たに祀られる神に土地を譲る出来事は記紀では「国譲り」という日本神話として書かれている。

日本神話のメインの書となっている『古事記』の「国譲り」神話を要約すると、以下のような出来事となっている。

高天原(たかまがはら)に住む天照大御神は、“葦原中国(日本列島)は私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)が治めるべき国である”と命に天降りを命じた。しかし、天忍穂耳命は天降りを嫌がり、その後選出した神たちも葦原中国を統べる(統治する)大国主神の元に国を譲る交渉をするために降臨させるのだが、派遣された神たちは大国主神の家来になってしまったり、自分が葦原中国の王になろうと企んだりで、使命は何年も果たされることはなかった。最後には建御雷之男神(タケミカヅチ)が派遣されることとなり、雷之男神は天鳥船神(アメノトリフネ)を従えて出雲国に降臨した。雷之男神は伊那佐之小浜(いなさのおはま)で十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて大国主神を恫喝し、大国主神の二人の息子は戦わずに国譲りを承諾したり、戦いに破れて降参したので、大国主神は建御雷之男神に恭順の意を示すが、国譲りの条件として天津神の宮殿と同じ大きさの、自分が隠れ住む宮殿を建てるように要求し、出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に宮殿が建てられた。

この宮殿が本刈谷神社の場合は末社山神社に相当するものと考えていいだろう。

そして、天照大御神に相当する神が八雲神社の主祭神須佐之男命ということになる。
つまり、本刈谷神社では山ノ神から須佐之男命に国譲りが行われたのだ。
ただし、妙なことがある。『古事記』には大山津見神(オオヤマツミ:大山祇神の別名)は伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれたとあり、『日本書紀』ではスサノオは伊弉冉尊・伊邪那美命の間に産まれたとあるのだ。このことから、大山津見神とスサノオは同一神とみる説もあるのだ。
ここで山ノ神(大山祇神)を特に取り上げたのはスサノオと同じく、其の母親がイザナミだからだ。イザナミは出産が原因で黄泉国(よみのくに)に行くことになったが、そのことと土偶の間には関係があると考えるからだ。
現在の本刈谷神社境内末社山神社は専用の石鳥居、手水桶、狛犬、常夜灯を持つ立派な社として祀られている。

5本刈谷神社境内末社山神社

上記写真は祭の日に撮影したものなので、下記写真のように本瓦葺の社殿は扉が開かれ、本刈谷神社の神紋「三つ巴に本の文字」を白地に墨染めた神前幕が張られているが、普段の山神社の写真を紹介しようと撮影に向かったところ、その日もやはり祭りの当日だった。どうも、本刈谷神社の神々は私を祭りに呼んでくれているようだ。

6本刈谷神社境内末社山神社

しかし、こうした日だからこそ、撮影できるものがある。それは本殿内の祠(下記写真)だ。
本来こうしたものは撮影はおろか、見たりしてはいけないものなのだが、情報社会なので許していただこう。

7本刈谷神社境内末社山神社

この脇参道の並びにはもう一つ観るべきものがある。
神木のスダジイだ。

8本刈谷神社神木

案内板『ご神木』には以下のようにある。

樹種名 スダジイ(ブナ科シイノキ属)
 所在地 刈谷市天王町4-9
 所有者 本刈谷神社
  樹齢 推定 300年
  樹高 11メートル
  樹周 3.2メートル
   診断年月日 平成22年11月10日

写真を見て、スダジイとは幹がこんなにスピンするものなのかと思うかもしれないが、そうではない。スダジイは幹や枝が分岐しやすい樹木であり、異形の形になりやすい樹木ではあるが、幹がスピンしているスダジイはここでしか見たことがない。

スダジイに限らず、各地の社叢を見て廻っていると、異形のものに出会うことが多い。スピンしたもの、斜め45度に幹が伸びているもの。大蛇のように地面を這っているもの、手で折ったように幹が途中から90度曲がって伸びているもの、別の種類の2本の幹が途中で融合してしまったものなど、様々なものを目にしてきた。こういう異形の樹木は街路樹で見かけることはまず無く、こうした現象が研究されているとは聞いたことがないので、神社特有の、あるいはこの地特有の何かが作用しているのだとしか説明がつかないのだが、やはり神社で遭遇する確率が高いものではないかと思っている。

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山神社はもしかすると、縄文時代から別の名前で祀られていた可能性もあると思います。このページの文を書くまでは末社と国譲り神話に関係があるなんて思ってもいなかった。ビックリです!

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