御用地遺跡 土偶 40:市場の弁財天
安城市 上条 弁財天の南西840mあまりに位置する西尾弁財天に向かいました。
西尾弁財天もまた、碧海台地の端に位置しており、おそらく湧き水に由来する弁財天だと思われました。
西尾弁財天の杜は緩やかな坂道に面しており、最初に訪問した時は12月の中旬だったので、楓が鮮やかに紅葉していた。
朱地に「西尾弁財天」と白抜きされた幟が道路に沿って林立しており、
この杜で最大の巨木が鳥居脇に太い幹を伸ばしている。
道路に沿って板碑や案内板らしきものが並び、それらを高さ50cmくらいの玉垣や朱色にペイントした高さ1mくらいの鉄柵が囲っていた。
鳥居脇の巨木は下部の枝は剪定されていたが、安城市の製作した保護樹木指定標識が脇に掲示されていて、樹種は「クロガネモチ」とあり、昭和50年に指定された時点では幹の周囲は「240cm」となっている。
クロガネモチは常緑樹なのに冬には葉が全部落ちて丸坊主になるため、枯れ木と見間違えられることがあるというが、確かにここのクロガネモチも下部に枝が全く無く、枯れ木に見られても不思議ではなかった。
クロガネモチは「苦労が無く、金持ち」に通じることから、縁起の良い樹として、神社に植えられることがある。
改めて『庭木図鑑 植木ペディア』で調べてみると、以下のようにあった。
漢字表記:黒鉄黐(くろがねもち)
別 名:フクラシバ/フクラモチ/イモグス
・若い枝や葉柄が黒紫色であることや、葉が乾くと鉄色(=黒金色)になることからクロガネモチと名付けられた。
・冬期に赤い実を付ける庭木としては最大級のもので、この実は鳥が好んで食
べ、鳥の糞から勝手に生えることもある。
・初夏になると葉陰に花をつける。
・本州から沖縄まで幅広く分布する
・樹皮からは鳥もちや染料を採取できる。また、材は農具の柄に使われる。
社頭に立つと石造八幡鳥居は朱塗りの欄干のある石橋をまたいで設置されており、鳥居から10m以内の正面奥に瓦葺切妻造棟入の覆屋が位置している。
コンクリート造の石橋の渡してある池は、濁ってはいないようだが、水の色は暗い。
周囲の社叢の落ち葉が池底に沈殿して黒く腐葉しているようだ。
覆屋前の拝所からは左右に石橋が延び、陸に架かっている。
覆屋の前面は舞良子で抑えた板壁にガラス格子窓の付いた舞良戸が建てられている。
拝所で参拝したが、表道路沿いに掲示されている教育委員会の製作した案内板『西尾弁財天』には以下のようにあった。
市指定史跡
昭和46年3月10日指定
弁財天は、台地の上から降り立った清水の湧き出る地点に祠を祀っています。水に関する福徳の神で、農業神として祭られています。そのため、稲作感慨の溜池を作り、その中に、祠が設けられています。また、信貴庄時代に庄内に二か所設けられた市場の一つであり、その守護神であったとする説もあります。
信貴庄に関する情報が無いのだが、弁財天が市場であったということは、先に訪問した一姫神社で扱った情報と一致する。
ガラス格子越しに屋内を見ると、部屋を仕切った奥には棚があり、蒲葡色の神前幕の奥、中央に素木の祠が祀られており、その祠の軒下には4本の紙垂(しで)の下がった牛蒡注連(ごぼうじめ)の注連縄が張られていた。
祠の向かって左隣には琵琶を抱えた弁財天立像の陶像。
右隣には白くて小さな陶器の香炉(?)のようなものが置かれている。
拝所前から右手に渡る石橋を渡って陸に戻ったが、弁財天の祀られている覆屋は島の上に祀られているものと思っていたのだが、なんと、覆屋は直接池の中に建てられた柱の上に設置されていることが判った。
ここで、西尾弁財天社の東950mあまりの場所を南北に流れている郷東川(ごうひがしがわ)を県道48号線との交点(撮影地A)でチェックしてみた。
上記写真は上流側を眺望したものだが、郷東川を渡る48号線の橋長は17mほどなのだが、橋下を流れる水面の幅は1.5mほどしかなかった。
この水路に西尾弁財天社の湧き水は水田を経由して流れ込み、郷東川はここから下流610m以内で西鹿乗川(にしかのりがわ)に合流していた。
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西尾弁財天社の南々西610mあまりの場所に「甲山寺」という字(あざ)があります。
かつて、ここには大同三年(808)に最澄が創建した長輝山 甲山寺が存在し、西尾弁財天社は甲山寺に関係した弁財天社だったとされています。
直前に寄ってきた上条 弁財天は真言宗系(三井山西覚寺)と思われ、系統の異なる弁財天のようです。
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