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麻生田町大橋遺跡 土偶A 63:津島、二つの街道に祀られたもの

津島市舟戸町の白山神社から同じ津島市内の北西360mあまりに位置する、橋詰町の秋葉神社に向かことにしました。そのために白山神社社頭から少し東に戻り、蛇行しながら北西に向かう津島下街道と呼ばれる道を辿ると、「鍵善」という呉服店(ヘッダー写真:暖簾)、長珍酒造(ちょうちんしゅぞう)という酒蔵の町屋前を抜けました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

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津島下街道をさらに辿ると右手の本町にまだ新しい町屋があり、1階の屋根の上に屋根神(やねがみ)が祀られていた。

1本町 屋根神

基本的には祭りなどの祭祀の行われる時以外は扉が開かれることはないようで、祀られている神は案内板が無ければ不明だ。
屋根神は尾張(愛知県西部)北西部、美濃(岐阜県)南部の地域に多く見られる、文字通り屋根の上に祀られた社(やしろ)で、津島社(建速須佐之男命)、秋葉社(秋葉権現 )を中心に他社も祀られることのある小社だ。
個人的な体験では津島市と名古屋城西部に多く見られる社だと思われる。
津島社の元の神は牛頭天王であり、秋葉権現は火防の神である。
つまり、両社の共通点は祭神が家を守ってくれる神であることだと思われる。

屋根神の祀られた町屋のすぐ先のT字路右角には小さな坂口神社が祀られていた。

2坂口神社杜

坂口神社もレイラインAG上に存在するのだが、地図を最大に表示しないと見つけられない神社であり、予定外の神社だった。
この坂口神社、銅版葺流造の社で、立派な社号標も新橋色にペイントされた鉄格子の神門も玉垣も持っているのだが、境内は間口2m、奥行き8mくらいしか無く、町屋と相似な間口と奥行きの比率を持った神社なのだが、社名と住所以外に情報の無い神社だ。

坂口神社前から、さらに津島下街道を辿ると、「左 津島神社参道宮道」と刻まれた大きな石造の道標が角地に建てられたT字路に出た。

3津島神社参宮道道標

津島下街道はこのT字路が終点となっており、上記写真道標の右方向も左方向も津島街道になっている。
津島街道はここで90度折れており、左手方向(南西)に位置する津島神社社頭までが参道宮道ということになる。
道標の裏面は「梅の屋」という和名の化粧品店だという。
目的の秋葉神社は参道宮道に面しているのだが、やって来た津島下街道があまりに風情のある道なので、右手に向かう延長上の津島街道をもう少し辿ってみることにした。
すると、道標から60m以内の左手にも神社が存在した。

4堤下神社社頭

この神社も予定外だが、レイラインAG上に位置しており、社頭には大きくはないものの石造伊勢鳥居が設置され、社号標は無い代わりに鉄の案内板と大きな石造の献灯台が津島街道に面して配置されている。
社名は堤下神社(とうげじんじゃ)という。
社頭が鬼門を向いている稀有な神社である。
鬼門を向いた神社は、記憶では過去2社目ではないかと思う。
鳥居からは表面の磨耗した岡崎御影石の表参道が一直線に奥に延びている。

愛車を社頭脇に駐めて社頭に立つと、玉垣の門柱は石柱に注連飾りを浮き彫りにした面白いものであることに気づいた。

5堤下神社鳥居/表参道

表参道の石畳の長さは社頭から10m以内くらいで、この石畳を江戸時代の人も歩いた可能性が高いことを思うと、感慨深いものがある。
参道の突き当たりにはさっき通って来た坂口神社と同じ規格の社が1.2mほどの高さの石垣の上に祀られ、瑞垣が巡らされている。

参道を進むと瑞垣内には堤下神社の左側に不明の境内社が祀られていた。

6堤下神社

瑞垣には観音開きの赤錆びた鉄格子の神門が付いている。

石段下に立つと、社の扉前の縁にあるのは対になった石造の狛犬であることに気づいた。

7堤下神社

4段しか無い石段下で参拝した。
社頭板書『堤下神社』には以下のようにあった。

もとは金燈篭社(かなどうらしゃ)と称し天明五年(1785年)天王川築留め以前は川を隔てゝ津島神社の遥拝所であったと伝えられる。
現在津島神社所蔵の愛知県文化財の鉄燈篭があった旧跡である。
祭神は須佐之男命奇御魂(すさのおのみことくしみかたま)となっているが
古くから乳児の夜泣き封じの信仰で広く知られている
〜以下略

現在の天王川は、ここから真南に390m以上離れているが、かつてはこの脇を流れていたのだろう。
社名の「堤」とは天王川の堤のことなのだろう。
「奇御魂」とは一柱の神を4つの魂に分解して把握する考え方で、その一つの魂であり、幕末の神道家の本田親徳(ちかあつ)の提唱した考え方だという。
例えば、本田は奇御魂は霊感を担うと分類しているのだが、なぜ4つの魂に分解して考え、なぜ奇御魂は霊感を担うのかという説明も根拠も存在しない。
つまり、意味が無いのだ。

表参道を戻ると、津島街道に面した玉垣の内側に井戸があった。

8堤下神社神社の井戸

脇に立てられた津島市の製作した案内板『堤下神社の井戸 一基』には、「この井戸は御手洗いの井戸として使用され、また近隣の住民の生活水としても用いられた。」とある。

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津島街道は堤下神社のすぐ先で県道129号線に出てしまい、レイラインAGから外れてしまうので、「津島神社参道宮道」道標まで戻り、橋詰町の秋葉神社に向かいました。

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