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御用地遺跡 土偶 42:弁天前の謎解き

直前の「土偶 41」までに目に止まった、矢作川西岸の安城市・岡崎市に主祭神として祀られている弁財天・市杵島神社を紹介し終え、イザナミを祀った神社や未知の神社を紹介しようと、すでに撮影を終えている神社の場所を地図で調べている時、安城市内で「弁天前」という地名を見つけてしまいました。それは安城市新田町に存在する字名でしたが、その名称からすると、周辺に弁財天が祀られているはずです。そして弁天前の真西180m以内には安城大池という大きな池があることに、すぐ気づきました。

●後頭部結髪土偶

1MAP弁天前

5月の下旬、久しぶりの安城市内にある(新田町)弁天前に向かった。
この日は気温が22度あり、暖かかったのですが、風は冷たく、自動車専用道路を使用するので、革ジャンパーを着用して出かけることにした。
通常ならバイクで出かけるところですが、愛車がメンテナンスから戻ってこないので、やむなく中型スクーターで出かけました。

弁天前の南端に位置する大東町(だいとうちょう)交差点に着くと、その交差点は5差路になっており、複雑な道路がその交差点に集まっていた。
弁天前はごく狭い範囲しかなく、地図を見ると、2ヶ所の駐車場と、1ヶ所の小さな緑地帯があるのみで、弁天前の75%は道路が占めていました。

下記写真は大東町交差点から北に延びる豊田安城線(県道76号線)の東側の歩道上から新田町の広がる北に向かって撮影したもので、弁天前にある2ヶ所の駐車場、セブンイレブンと幹配電(株)の駐車場が写り込んでいます。

1弁天前

そして、この大東町交差点には「弁天前」にふさわしい道路が通っていた。
それが下記写真の豊田安城(とよたあんじょう)サイクリングロードでした。

2豊田安城サイクリングロード向32号線

それは1点の写真では事情が飲み込めない道路でした。
上記写真は豊田安城線の西側の歩道上から豊田安城サイクリングロードの終点である安城市内の国道23号線に向かう西南西方向を撮影したもので、左の地下から奥に延びる、黄色い道路がサイクリングロードです。

2MAP豊田安城サイクリングロード

上記写真の階段は豊田安城線を渡るための地下通路に降りるための階段です。
豊田安城線のこの部分の地表には横断歩道が設けられていないのです。
この石段の右脇から奥に延びている緑地帯(背丈の低い潅木の生えている部分)は豊田安城線の歩道からサイクリングロードに入るための通路です。

街に帯状に延びる多くの緑地帯は河川が暗渠化されたり、廃止されたことで緑地化されたものが多く、この部分の豊田安城サイクリングロードを調べてみると、比較的川幅の広い暗渠の上面をサイクリングロード化したものと判りました。
サイクリングロードの路面が低地にあるのは、やはり大東町交差点の下をくぐるためであり、路面が低いのはこの部分だけで、上記写真奥のすぐ先で地表に上がっているのが見て取れます。
サイクリングロードが弁天前にふさわしいとしたのは、弁財天と関係の深い河川(サイクリングロード)が弁天前を通過していたことになるからです。

下記写真は豊田安城サイクリングロードの起点である豊田市に向かうサイクリングロード。

3豊田安城サイクリングロード向豊田市

サイクリングロード右脇の道路が県道76号線。
上記写真の階段左脇からサイクリングロードに入るための通路が下記写真。

4豊田安城サイクリングロード向豊田市

幹配電(株)の生垣の前を通り抜けて、すぐ先で、登ってきたサイクリングロードと合流している。
豊田市〜安城市間を自転車通勤する人たちには便利なサイクリングロードだが、この日は日曜日だったが、撮影をしている間に、サイクリングロードを走っている自転車は1台も見かけなかった。

上記写真右側の2階建アパートの前からサイクリングロード方向を撮影したのが、下記写真だ。

5豊田安城サイクリングロード弁天前

左端のビルが幹配電(株)。
手前の白いガードレールとすぐ奥の3本の並行する白いパイプのガードレールとの間がサイクリングロードだが、サイクリングロードの路面は外側からは見えないので、自転車を使用していない人たちにサイクリングロードの存在が認識されることは無さそうだ。

ところで、肝心の弁財天だが、安城大池の周囲の遊歩道の南端には等身の石仏が奉られており、そこから池の北側にある曹洞宗大平寺(たいへいじ)境内までは池に沿って小型の石仏2体をセットにしたものが転々と置かれており、安城大池が大平寺内の池らしいことが判った。
ただ、調べてみたところ、この寺院と池には弁財天は奉られていなかった。

そこで、地図でさらに周辺を調べていると、弁天前の東720m以内に「市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)」が存在するのを見つけた。

5MAP市杵姫神社

弁天前の「弁天」とは、この市杵島姫のことだと思われた。
しかし、「弁天前」にしては市杵島姫神社から遠すぎる。
弁天前と市杵島姫神社の間に何かあるのではないかと地図をチェックしてみると、名鉄西尾線・豊田安城線・県道76号線で囲われた三角地が「弁天町」であることが判った。
弁天町は新田町の中に割って入るように位置している。
そして、弁天町とは別に市杵島姫神社の南東100mあまりの新田町内に「弁天」という字名も見つけた。
名鉄西尾線を境に東側は水田地帯となっている。

弁天町に存在するものをチェックすると、日本モウルド工業本社を含めた3企業が弁天町の中央部に位置し、しかも弁天町の30%の敷地を占めており、他は住宅で、広い駐車場が町内のあちこちに見られた。
そして弁天町内に用水路跡が存在するのを見つけた(上記地図内 撮影点①)。

6弁天町用水路

地図上には水路が表示されているものの、水路と判る部分は用水北部のこの部分くらいで、南部はほとんどが道路となってしまっている。
弁天前と市杵島姫神社の間にはもう一つ重要なものが存在した。
それは明治用水が南北に流れていることだ。
弁天前の用水も明治用水とつながっている。
そして、豊田安城サイクリングロードの多くは明治用水脇を通っている。
それはさておき、おそらく日本モウルド工業本社を含めた3企業の現在の敷地にも用水路が通っていたはずだ。
この3企業が弁天町にやって来る前の時代には弁天町も水田地であり、そこに市杵島姫神社が祀られていた可能性を考えた。
もしそうであるなら、弁天前が現在地に存在することと整合する。
これは推測に過ぎないのだが、3企業(あるいはその前に存在した企業)がやって来たことで、そこにあった弁財天が必要とされる、水田地帯の中に市杵島姫神社として移転したのではないか。
時期は明治時代初期だろう。
移転に伴って、大平寺の前身である密教寺院と関係のあった弁財天が廃仏毀釈で、社名も明治政府が推奨した市杵島姫神社になった可能性はあり得る。

その市杵島姫神社に向かうと、すでに田植えの終了したばかりの水田地の中に杜が立ち上がっていた。

7市杵姫神社杜


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ヘッダー写真はマツバランという、根も葉も無い植物です😄
根も葉も無いのは比喩ではなく、本当に根も葉も無い植物なのです。
江戸時代から栽培の歴史があり、現在は準絶滅危惧種となっています。
県道76号線の歩道上からサイクリングロードを撮影した時に、足元にあるのを見つけたものです。
かつて苔の採集にはまっていた時に、公園の石壁の隙間で見つけて栽培していましたが、それ以来の再会となりました。ここでもコンクリート板とアスファルトの間に生えていました。
マツバランはキノコと同じく、胞子で増殖する植物です。


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