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麻生田町大橋遺跡 土偶A 98:賀茂別雷命のアイコン

豊橋市賀茂町で牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)に架かった神山橋を左岸(北東方向)に渡ると、小さな駐車場になっており、北東20m以内に朱塗りの欄干を持つ太鼓橋があり、その橋の麓に「(縣社)賀茂神社」と刻まれた社号標が立っていました。

太鼓橋の親柱には「賀茂たいこ橋」というネームプレートが付いている。

橋の向こう側には賀茂町 賀茂神社の杜が広がっている。
愛車を神山橋の脇に駐めたが、駐車場には観光案内パネルがあり、賀茂神社の入り口には賀茂しょうぶ園があることが判った。
太鼓橋に登っていくと鉄筋造の橋で、予想以外に長く、20m近くあり、太鼓橋なので頂点は思ったより高かった。
橋の左手を見下ろすと、水路が2本あり、菖蒲の葉の繁殖した帯やコンクリート舗装された緑道が延びていた。

賀茂たいこ橋の右手を見下ろすと、こちらにも賀茂しょうぶ園が広がっており、少し広い池もある。

太鼓橋を渡ると、その20m以内にも石橋が架かっていた。

この橋は短い石橋だが、やはり太鼓橋になっており、下を用水らしき水路が通っている。
この石橋を撮影していると、カメラに「電池残量少なし」の表示が点灯した。
ちょっとした山らしき賀茂神社に上がって行ったところで電池切れになると、続きを撮影するのに再度山に登ることになりそうなのと、すでに陽が陰ってきており、社地が広がっていれば、陽が途中で落ちてしまう心配もあった。
それで、翌週にでも出直すことにした。
それはともかく、石橋の先には素木の角材を3本組み合わせた結界門が設けられて、注連縄が下がっており、その奥には1.2mほどの高さの石垣が組まれ、10段以内だが石段が組まれ、賀茂たいこ橋と同じ朱塗りの垣根が巡らされていた。
ところで、石段の上には神明造の屋根が組まれた訳の判らないものが建っていた。

ここからは翌週、出直してから撮影した賀茂神社になる。
社頭の表参道の真ん中を塞ぐように建っていた建物は木造板葺屋根以外には柱と床墾しかない、吹きっぱなしの建物だった。

神門のつもりかと思いながらその建物に近づいていくと、その建物は石板を敷き詰めた上に建っており、床板も張られてなく、建物内のコンクリートで叩かれた床には下記の組み合わせの石が置いてあった。

それにしても杉の葉がいっぱい落ちている。
この建物は鰹木が5本で千木が外削ぎなので、男神を表しているのだが、祀られているものに関しては以下4通りの解釈ができるものだった。

1 置かれている石すべてで構成された祭祀物。
2 祀られているのは最も大きな角ばった石(男神ぽい)で、それ以外の石は単 
 に参拝者が縁起担ぎで置いたもの。
3 祀られているのは大きな角ばった石を基壇にした中央に乗せられた河原
 石。周囲の小さな石は参拝者が縁起担ぎで置いたもの。
4 祀られているのは大きな角ばった石の上に置かれたすべての石(※この解釈
 は無いと思う)

私見では3説押しで、よく石神(しゃくじん)と呼ばれたりするものではないかと思われるのだが、ここ賀茂神社のこれに関する情報は見当たらないので、確信は無い。
ここからは推測だが、地図でチェックすると、この神社は参道の奥が深く、社頭から拝殿までざっと230m以上ある。
往復470mくらいだ。
毎朝毎夕、地元の耕作者たちが挨拶するには時間が取られすぎる。
そこで、賀茂町 賀茂神社の祭神賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)を時短目的で、社頭で参拝できるようにした、お前立(おまえだち:神仏の身代りとして置かれた、今でいうならアイコンのようなもの)ではないかと思われる。
賀茂別雷命を祀った建物なら、鰹木と千木の示す男神とも一致する。
つまり、大きな角ばった石は基壇で、その中央に置かれた河原石がお前立という解釈だ。
仏教的な方法だが、ここが神仏集合していた場である証明でもある。

この、石神のすぐ先の5段ほどの石段の上には銅の「賀茂神社」社頭額の掛かった石鳥居があった。

この石鳥居のすぐ先にも10段ほどの石段があるのだが、その石段下の表参道右脇に銅板葺の不明の境内社が祀られていた。

なぜ、1社だけがここに。
この境内社に関しては市杵島姫命(イチキシマヒメ)を祀った境内社社ではないかと推測した。

実はここ賀茂町の賀茂神社に関しては元になっている総本社として以下の4社が考えられる。

・ 高鴨神社(主祭神:阿遅志高日子根命)
・ 賀茂別雷神社(祭神:賀茂別雷大神)
・ 賀茂御祖神社(祭神:賀茂建角身命/玉依媛命)
・ 松尾大社(祭神:大山咋神/市杵島姫命)

詳しいことは神紋に関す記事で紹介するが、ここは社頭に湿地帯と池が存在していて、それが元になって、しょうぶ園が設けられたのだと思われる。
こうした条件の場所に祀られるのが弁財天(市杵島姫命)なのだが、ここ賀茂町の賀茂神社には入り口に結界門が存在するのは社頭で紹介した。
結界門の裏の意味は「女性入場禁止」だ。
つまり、女性が奥まで入らなくても女性に恩恵をもたらす神に参拝できるように、もっとも入り口に近い場所に境内社として市杵島姫命を祀ったのではないかと推測したのだ。

この、実際には不明の神社の後ろの石段を上がって、未舗装の森の中を抜ける表参道を160mほど進むと、急峻ではないが50段くらいありそうな広い石段の麓に到達した。

石段の上に朱の鳥居がのぞいている。

この石段を登りきると、20mほど先にあるのは大鳥居であることが判った。

朱の大鳥居の先、80mほどの場所に神前幕の掛かった瓦葺の建物が見えており、その建物に向かって、初めて舗装された参道が延びていた。

(この項続く)

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全国の賀茂神社の総本社は高鴨神社が称しています。高鴨神社の存在するのは金剛山東山麓に位置する鴨氏一族の発祥の地である、現在の奈良県御所市鴨神です。鴨氏はこの地に氏神として高鴨神社を祀ったのです。賀茂町 賀茂神社が高鴨神社と関係があるのかどうかということは、この地賀茂町を開発したのが鴨氏裔なのかどうかということに関わってくることになります。

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