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麻生田大橋遺跡 土偶A 1

豊川市の麻生田大橋遺跡(あそうだおおばしいせき)からは複数の土偶が出土していますが、その中でも土偶A(仮称)が気になりました。

1麻生田大橋遺跡土偶

縄文時代晩期
麻生田大橋遺跡:豊川市麻生田町大橋
所蔵:豊川市桜ケ丘ミュージアム

●土偶A

麻生田大橋遺跡土偶Aは円形の頭部のみで、首部で割り取られており、顔面の中央に丸い窪みがある。
推測だが、別のパーツとして製作した鼻が取り付けられていたのではないだろうか。
そして、わざわざ別のパーツとして製作するからには、ある程度のボリュームがあり、単純な形態ではないのではないだろうか。
顔の両側に突き出た耳に当たる部分には天地の中央に焼き鳥の串で開けたくらいの大きさの穴が空いている。
目と口に当たる表現はまったく無く、やはり焼き鳥の串の尖った先で引っ掻いたような浅い線で、左右対称に6種類の3本セットの線が引かれている。
まず、鼻に当たる丸穴を中心にして、耳部分と反対側の側頭部を結ぶ2種類の3本セットの斜線が「扁平な×形」に描かれ、その「扁平な×形」を天地で挟むようにおデコの部分と口の部分セットで凹レンズ状に反った3本セットの線が引かれている。
さらに左右の側頭部と同じ側のアゴのエラ部分を結ぶ左右セットで凹レンズ状に反った3本セットの線が引かれている。
この3本セットの描線が、個人的にこの土偶に興味を惹かれた要因となった。
そして、この顔面でもっとも強い線が顔面の中央、頭部から鼻に当たる丸穴を通過して口の部分の3本線まで、縦に引かれた一本線だった。

●麻生田大橋遺跡

まずは土偶Aの出土した麻生田大橋遺跡を観に行くことにした。
麻生田大橋遺跡は東名高速道路と国道151号線の立体交差点の南南東490m以内に位置しており、これまで取材した3ヶ所の本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)、中条遺跡、御用地遺跡とは位置が離れている。

1MAP麻生田大橋遺跡
2MAP麻生田大橋遺跡

もっとも近い御用地遺跡とも31km近く離れている。
御用地遺跡と麻生田大橋遺遺、つまり矢作川(やはぎがわ)と豊川(とよがわ)の間で主な土偶が出土していないのはこの2つの河川の間に低位段丘が北東部から三河湾に向かってせり出しており、平野部のように土地開発が進んでいないのが原因だと思われる。

最初に手に入れた資料による麻生田大橋遺跡の場所は不正確で、麻生田大橋遺跡の40m近く西にあった看板製作企業の撮影をして帰ってきたのだが、正確な場所は『愛知県埋蔵文化センター調査報告書 第21集 《麻生田大橋遺跡》』で知ることができた。

現在の県道31号線は麻生田大橋遺跡を埋め戻した上を通過しているが、麻生田大橋遺跡の発掘調査が行われた1990年には、県道31号線は国道151号線とぶつかる西側にしか存在しなかった。
遺跡の半分ほどが現在は緑地となった中央分離帯を持つ県道31号線となっており、31号線の両側には銀杏並木が連なり、その外側には農業用ビニールハウスや畑地、住宅が並んでいる。

2麻生田大橋遺跡

下記の航空写真は発掘調査が行われた時期のものだ。

3麻生田大橋遺跡航空写真

上記航空写真内の大橋公園は調査されずに排除されてしまった古墳のあった場所であり、見に行ってみると、平地の大橋公園になっていた。
大橋公園は低位段丘の端に位置し、南東側から向かうと、公園の敷地は2m以上の高台になっている。
公園に上がってみると、面白いものがあった。

4大橋公園

色からすると、メスのライオンかと思われる動物の頭部の形をした公衆トイレだ。

●中央構造線と麻生田大橋遺跡

ところで、麻生田大橋遺跡は中央構造線のすぐ西脇に位置している。

3MAP中央構造線

長野県下伊那郡にある大鹿村中央構造線博物館のウェブサイト(https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/whatismtl/)による説明を要約すると以下のようなことになる。

中央構造線は関東から九州に伸びる長大な大地の中のズレ目(断層)であり、この大断層を境に日本海側を内帯(ないたい)、太平洋側を外帯(がいたい)と呼んでいる。

内帯のこの地域に位置する麻生田大橋遺跡の意義のひとつは磨製石斧に適した石材が豊富とはいえないものの、産出したことだ。
麻生田大橋遺跡からは以下のような縄文時代晩期を中心とした暗緑〜黒色の磨製石斧(ませいせきふ)が数多く出土している(※下記写真はモノクロ写真です)。

5磨製石斧
磨製石斧(麻生田大橋遺跡/縄文時代晩期)

麻生田大橋遺跡における磨製石斧の石材は周辺で採取された、おもにカコウ岩類、変成岩類であることが石材の分析で明らかになっており、外帯に存在する石材、火成岩類やそれらを源岩とする結晶片岩とは異なっている。
磨製石斧は一般に木の伐採や加工に利用されたとみられるが、こうした作業に必要な大きな打撃力が得られ、しかも身の厚い刃をつくるために硬くて粘性が高く比重の大きい塩基性の岩石が選ばれたものと推定されている。
その塩基性の岩石は分布が限られていることから、縄文時代〜弥生時代の頃、この地域から石斧ないしはその石材が広く流通していた可能性が考えられるという。

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麻生田町大橋遺跡の最初の頁を書くのに材料の取捨選択が難しく、過去最長の6日間を要してしまいました。やはり、愛車が故障していることが、メンタルに大きく影響しており、その遠因として菅政権の失政が関係しています。菅政権の失政により、皮肉なことに規制に引っかからず、一人で趣味が楽しめるバイク・ブームが起きており、懇意にしているバイク屋に仕事が殺到しているのです。修理部品はとっくに届いているのに修理に取り掛かるスケジュールが取れなくなっています。それで、15年ぶりに新車を購入してしまうことにしたのですが、バイク購入にも人が殺到していて、注文は済ませたものの、いつ納車されるのか、皆目見当がつかない状況となっています。
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