御用地遺跡 土偶 69:藤の下の柿下遺跡
新城市作手保永(しんしろしつくてやすなが) 貴舩神社(きふねじんじゃ)レイライン上に柿下遺跡が存在するのを見つけたので、直線距離で東南東6.9kmあまりに位置する柿下遺跡に向かいました。
柿下遺跡は新東名高速のすぐ南に位置し、
県道26号線からマイナーな道を北上すると、道は茶臼山(ちゃうすやま)の中腹に向かって急激な上り坂になっており、三叉路でやや広い道にぶつかると、南側の眼下に茶臼山の斜面と道路を支えているコンクリート壁に挟まれた平地の空き地があり、そこが柿下遺跡跡地のようだった。
空き地には雑草や灌木の他には何も無く、空き地の1段下には瓦葺の大きな民家があり、そのお宅の私有地のようだ。
その民家の向こう(南南東)4.5mあたりには風切山がそびえているのが見通せる。
レイライン上に存在することから、取り上げたものの、柿下遺跡に関する情報は少ない。
『全国遺跡報告総覧』(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja)に以下の情報があるのみだ。
遺跡名 柿下遺跡
遺跡所在地 愛知県新城市上野
〈遺跡概要〉
時代 縄文〜古代(細分不明)〜中世(細分不明)/安土桃山〜江戸
主な遺構 堀立柱建物竪穴状/遺構土/坑等
縄文期遺物 押型文縄文土器/磨製石斧/石鏃
柿下遺跡は新東名高速下りパーキングエリアのすぐ南に位置しており、愛車はパーキングエリアの麓の空き地に駐めることができた。
三叉路に戻り、少し坂道の下に降って、東側に位置する茶臼山の頂上の在処を確認しようとしたものの、森が近すぎて、頂上を確認することはできなかった。
4月の中旬ということで、その南西向きの森の中に野生の藤の花が咲き誇っているのに気づいた。
藤は貴舩神社の前に寄ってきたくらがりにも存在したが、直射日光を好む植物なので、ここでは南西側のこちら側に蔓を伸ばしてきたのだろう。
垂れ下がっている藤色の花序は長いものでも40cmくらいだが、5月に向かって、これから、まだ伸びそうだ。
縄文期のこの地域、低山地は現在よりも暖かく、藤の好む環境だったはずだが、藤は民具の素材としてカゴを編むのに利用されてきており、縄文人がその性質を見過ごしていたとは思えない。
日本固有種である藤は高木に巻きつき、日光を遮ぎって、幹を締め付けて巻きついた樹木の成長を阻害し、枯死させることもある。
藤は米国では繁殖力の強い外来種として要警戒とされているという。
米国から日本に入り込んでいる、ミドリガメやザリガニの逆パターンだ。
一方、三叉路下から西方向を望むと、麓には田園が拓けていた。
下記写真は少し坂上から三叉路を撮影したもの。
上記写真右側のガードレールの外側の草むらも柿下遺跡の一部だ。
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柿下遺跡のある場所は、この次に向かう石座神社(いわくらじんじゃ)と関係のある石座石(いわくらいし)の存在する雁峰山への登山口になっていて、5月の初旬に再びやって来ることになりました。