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麻生田町大橋遺跡 土偶A 55:謎の竪穴系横口式石室

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岡崎市の岡町 神明宮の次の目的地である経ヶ峰2号墳は神明宮社頭のほぼ真西180mあまりの場所に位置していました。下記地図には経ヶ峰1号墳と経ヶ峰3号墳も記入してありますが、これは後になって知った専門情報であり、一般の地図には経ヶ峰2号墳しか表記されていません。なので、この記事を書くまでは周辺に1号墳があったのだろうとは思っていましたが、1号墳が残っていて、それを自分が観て撮影して来たとは、まったく考えていませんでした。
         

レイラインAG(経ヶ峯1・2・3号墳)
レイラインAG(経ヶ峯2号墳)
レイラインAG(経ヶ峯1・2・3号墳)

岡町 神明宮の表参道脇に駐めた愛車に戻り、神明宮の社頭の面している県道35号線に出て、経ヶ峯2号墳に向かう通路を探したが、35号線の北側にある大宝山長徳寺という寺院の境内を通って山に登って行くしかないようだった。
「長徳寺」という寺院名から、岡町 神明宮南隣の臨済宗寺院「宗徳寺」と同系列の寺院かと思いきや、日蓮宗の寺院だった。
35号線から長徳寺に向かって登って行く急坂の麓には幟柱が設けられ、脇に「妙見台一町目」と刻まれた石標が建てられていた。
35号線から坂道を登って行くと30m以内で左に「長徳寺」、右に「妙見宮」と刻まれた石門前に出た。

大宝山長徳寺/妙見宮

妙見宮は現在の地図には「妙見閣」と表示されている。
石門の先10mあまりの場所には山門が設けられ、その奥に長徳寺の本堂らしき建物が見えている。
駐車場が見当たらないので、35号線に戻り、路肩に駐車し、徒歩で山門前まで出直した。

瓦葺切妻造の山門は類型の無い特殊な構造で、軒下には「妙見閣」と金箔押しが風化した文字が入っている。

妙見閣 山門

長徳寺の山門ではなく、妙見閣の山門という位置付けになっている。
長徳寺&妙見閣の境内には面白い石造物がてんこ盛りだったのだが、この日は10月だったのに猛暑で、山道を登りながら、それらの面白いものを全部撮影していると、半日は取られそうだったので、通路脇にあったものは撮影したのだが、基本的にはスルーして、つづら折りに長徳寺の裏山に登って行く参道を辿った。
参道は妙見閣の裏面を通過していたが、妙見閣の裏面に裏山の藪に登って行くための短い石段が設けられていた。

経ヶ峰 登り口石段

石段の左手には「南無妙法蓮華経ヶ峰」と朱文字の入った標石、右手には鯉乗リ童子の石像が置かれている。
この童子は坂田金時で、滝を登る鯉に乗る金太郎は“吉祥”を意味する縁起物で、床の間の飾り物として、よく陶器のモチーフになっている。

鯉乗リ童子にあやかって、マムシがいても不思議じゃない藪をかき分けて登って行くと、枯葉が積もって雑草も生えていない森の中に入った。
起伏のある森の中の地面には石室に使用されたものと思われるいくつかの花崗岩と思われる巨石が散らばっていた。

経ヶ峰 2号墳(?) 石

経ヶ峰2号墳の石室の石だと思われるが、周辺に墳墓らしいものが見えないことからすると、盗掘されて残された石だろうか。
ところが、後になって、石の散らばっている微かな盛り上がりが2号墳の痕跡である可能性があることが解かってきた。

だが、この時は墳墓とは思わなかったので、2号墳を探して、さらに森の中を北に向かって進むと、行く手に黒・黄のロープの張られた場所があった。

経ヶ峰2号墳(?)

ロープ内は盛り上がりがあり、石が綺麗に並べられている。

奥(北側)に回って見下ろすと、手前には大きな自然石が集められ、奥には人頭サイズの河原石が沢山ある。

経ヶ峰2号墳(?)

しかし、石は組まれていないので、これに盛り土をしても石室になるとは思えない。

ところが、反対側から巨石部分を見ると、組まれている痕跡が感じられた。

経ヶ峰2号墳(?)

大きな石に2ヶ所、鉄製のかすがいが打ち込まれていて、この石室を保持するためのものか、あるいは石をここに運び込むために打ち込んだものだろうか。
いずれにせよ、案内板は無く、ネットにも紹介されていないもので、田町 神明宮表参道脇にあった神明宮2号古墳と同じ竪穴系横口式石室という特異な石室だからこうなのか、あるいは単なる石室に使用されていた石材を保存するための置き場なのか、特定できなかった。

このロープで囲われた部分から,やってきた方向を望むと、下記写真のようにロープ脇に巨石が3つ存在するのだが、その内の1つは角材として加工されており、石室に使用された石ではないかと思われる。

          経ヶ峰2号墳(?)から観る南方向             

●経ヶ峰1号墳

この記事を書こうと調べていると、地元の岡崎市文化財保護審議会委員である山田伸子氏の『みかわこまち』というウェウブサイトに経ヶ峰1号墳の情報があった。
https://mikawa-komachi.jp/history/kyougamine.html

これによると、1号墳は2号墳の北側に位置し、「墳丘は尾根の高まりを利用してその一部を削り、一部に盛土をして築かれたものと考えられた」とあり、経ヶ峰2号墳だと思って観て撮影してきた黒・黄のロープの張られた積み石のある場所が経ヶ峰1号墳であり、最初に石が散らばっていたところが2号墳の可能性があった。
そして石が積まれていた1号墳の可能性のある方に見られる人頭サイズの河原石は葺石であり、石が露出していた現状が1号墳の表面であるようだ。
1号墳は帆立貝式前方後円墳であることが確認されているというが、後円部には断面U字形で周溝上端幅1.5~2m、深さ50㎝の周溝が巡らされているという。」やはり、1965年に石室が盗掘にあっているとのことで、それはすぐ北側に通っている東名高速道路が開通した4年前のことだ。
下記が経ヶ峰1号墳のデータだ。

《経ヶ峰1号墳》
●築造時期=5世紀後半
●墳丘サイズ
全長=35m
後円部 直径=27.5m
    現存の高さ=2.8m
前方部 長さ=7.5m
    幅=10m
    現存の高さ=1.3m
●墳丘上の遺物
朝顔形埴輪 円筒埴輪 短甲形埴輪 盾形埴輪 家形埴輪 囲形埴輪 須恵器 土師器
●石室内の遺物 鉄鏃 鉄刀 刀子 剣 鉄斧 頸甲 馬具 管玉(碧玉製)

ウェブサイト『みかわこまち』

下記写真は掘り起された経ヶ峰1号墳の円墳部に築かれた竪穴系横口式石室だが,盗掘で天井石は失われ、側壁の石材もかなり抜き取られているという。

経ヶ峰1号墳 竪穴系横口式石室(奥が石室の入口)

経ヶ峰登り口の薮の上から南の三河湾方向を撮影したのが以下の写真だが、長徳寺本堂前に建てられた『当山縁起』板碑によれば、すぐ眼下に立ち上がっている二層屋根の赤い瓦葺宝形造の建物が、妙見大菩薩の垂迹(すいじゃく:神の姿)である建渟淳河別命(タケヌナカワ)を祀った本殿のようだ。

経ヶ峰からの眺望(妙見閣〜三河湾方向)

建渟淳河別命は第8代孝元天皇の孫で逆巻く激流を利剣をもって切り,河水を二つに別ける霊験を示した人物だという。
この本殿の前には妙見大菩薩を奉っていると思われる本堂があり、二つの建物は渡り殿(階段)で繋がっている。
建物が神仏混淆している珍しい例で、他で見たことの無い形式の建築物だ。

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目的は経ヶ峰2号墳だったのですが、記事としては経ヶ峰1号墳の方がメインになってしまいました。
過去に観てきた古墳の石室はすべて、石室内に立ち入ることが可能な5世紀中期以降の横穴式石室でした。今回は初めて竪穴式石室から横穴式石室に移る過渡期の石室である竪穴系横口式石室に遭遇しました。しかも盗掘された石室だったので、完全な形の竪穴系横口式石室を観たことが無いため、自分がどの程度、正確な竪穴系横口式石室を観ているのか判断できませんでした。
なので、現在1号墳だと思っている古墳が2号墳で、1号墳はさらに北に存在している可能性もあり、確認できたわけではありません。

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