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麻生田町大橋遺跡 土偶A 114:ノタの水神

牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)を降り、豊橋市石巻小野田町の薮田に到達しました。

「小野田」という地名は各地に存在し、苗字にも使用されている。
「小」ほか、「中・大」などは接頭語。
一方、沼地・湿地を意味する「ノタ(野田)」の音のバリエーションは各地によって、変化があり、それに当てられた漢字も地方によるので、バリエーションはさらに多い。

        山形=クゴ・フゴ
     武蔵・甲斐=ヌタ・ノタ
      中部地方=クテ・ノタ
京都周辺・長門・土佐=ウダ
        九州=ムダ

石巻小野田町薮田に架けられた63号橋上から牟呂松原幹線水路の上流側(下記社員)を見下ろすと、40m以内で左に緩やかにカーブしており、下記写真右手(左岸)の丘陵を迂回しようとしているのが判る。

牟呂松原幹線水路の水量は牟呂幹線水路が変わらず、もっとも多いが、松原幹線水路の水量もそれに近くなってきている。
左岸側の用水路はカーブがあることから、カーブ下流では土砂が堆積して雑草が繁殖している。
カーブ部分に石巻小野田町で出現したジュラルミン製パイプによる、牟呂松原幹線水路への排水パイプは、よく見ると用水路にも排水するごく短いパイプが水路側に頭を出しており、水が落ちているのが望める。
この用水路用の短いパイプは上流側から見ると、完全に死角に入っているので、これまでも存在していたのを見落としてきた可能性が出てきたが、見えているくらいの水量では用水路内の堆積した土砂は流れない。
63号橋上から下流側(下記写真)を見下ろすと、堆積した土砂は徐々に少なくはなっているようで、左岸側の用水路内に見える水面は徐々に多くなっている。

63号橋上からは下流40m以内に架かった64号橋が望め、左岸の土手は豊かな樹木で覆われている。

64号橋上に移動して上流側を望むと、下記写真右手(左岸)には一般住宅が現れ、反対側の左手(右岸)は精密工業の工場施設になっている。

水路内の変化は用水路内の水面が増えていることくらいだ。
牟呂松原幹線水路の奥には迂回してきた丘陵が立ち上がっている。

64号橋上からは下記写真の下流50m以内に位置する黒谷橋(くろやばし)が見えるが、左岸の樹木が濃くなり、枝葉が牟呂幹線水路上にまで競り出している。

黒谷橋の橋名は橋の左岸に水神を祀った黒谷神社によるものだろう。
罔象女神(ミズハノメ)を祀った黒谷神社は麻生田町大橋遺跡と本刈谷貝塚を結んだレイライン上に存在しており、そのテーマの記事で、すで紹介している。

この部分の水路に大きな変化はないが、やはり用水路内の水面は増えてきている。

下流側から下記写真の黒谷橋を見ると、ガードレールを流用した欄干と落下防止ワイヤーネット柵越しに黒谷神社社頭の石鳥居と、丘陵上に祀られた拝殿がのぞいている。

黒谷橋上から下流側(下記写真)を眺めると、牟呂松原幹線水路は左岸(下記写真左側)から延びてきている丘陵を切り通して(削り取って)開削されており、牟呂松原幹線水路右岸に沿って走ってきている農道がスロープを描いて上り坂になっているのが見える。

これくらいの高さの丘陵なら、迂回するより、切り通してしまった方がコストが掛かっても農地を広く取れるのだろう。

上記写真を見ると、水路内では63号橋上流から土砂の堆積が始まった左岸側の用水路内に変化がみられる。
64号橋下流の左岸から樹木の濃くなった用水路内に、その樹木の枝が降り積もって、おそらく、そのことで64号橋下流域まで繁殖していた雑草が姿を消していた。
丘陵の北側で陽が当たらないのも雑草が消えた理由だろう。

黒谷橋脇沿いの農道を西北西に向かって100mあまり下ると、農道は県道69号線に合流し、牟呂松原幹線水路沿って延びる右岸の道路は69号線になった。

69号線に入って50mあまり下ると、三上町交差点脇の城下橋(しろしたばし)に出た。
城下橋上から上流側を見下ろすと、下記写真のように左岸(下記写真右側)用水路に陽が当たるようになったことから用水路内は完全に雑草で埋まっていた。

一方、上記写真のように69号線側からは69号線の歩道が松原幹線水路上を覆うように迫り出して設けられていた。
ただし、これは農道と69号線の合流点から城下橋までの30mあまりの間だけで、城下橋下流では姿を消していた。

城下橋上から下記写真のように下流側を見下ろすと、牟呂幹線水路だけ水量が分割壁スレスレまで水量が増え、左岸の用水側は完全に雑草で埋まっている。

城下橋脇が交差点であることからだと思われるが、城下橋には銅を流し込んで鋳造されたコストを掛けた橋名プレートが使用されているのだが、欄干が無い橋であることから、下記写真のように高さ20cmほど、長さ2mほどの縁石ブロックの側面に取り付けられていた。

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牟呂松原幹線水路を南西に迂回させている丘陵部は複数の古墳地帯となっています。この後はその古墳群を辿っていくことになります。

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