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麻生田町大橋遺跡 土偶A 161:狛犬の謎の漢字

岡崎市木下町(きくだしちょう)を流れる乙川(おとがわ)に架かった神明橋から県道333号線を西に220mあまり辿ると再び乙川に架かった木下橋に出ました。

木下橋では乙川は南から北に向かって流れている。
木下橋上から乙川上流側を見下ろすと、幅4mほどで細かな砂利で覆われて水面上に露出した石の見えない川床は左岸(下記写真左手)からは深さ8mほどの谷になっている。

木下町 乙川 木下橋 上流側

左岸側は確認できないのだが、右岸は石垣で護岸されている。
そして、右岸(西)からは乙川の支流である大沢が合流している。

一方、下流側はというと、川床が急に浅く変化しており川床に石がところどころ頭をだしている。

木下町 乙川 木下橋 下流側


さらに両岸の川床には土が堆積して、そこに雑草が生い茂っているために、川幅自体は12m以上あるのに、水面幅は狭い部分では3mほどしかなく、右岸には久しぶりに広い水田が広がっている。

木下橋を渡った333号線は直後から大沢に並行して南に向かうため、乙川を辿るには333号線から、北方で乙川に沿って延びる県道35号線に向かう必要があった。
木下橋からやって来た333号線を東に戻ると、30m以内に北に向かって流れる乙川に沿って35号線に向かうマイナーな道に入るT字路があるので、その道に入って、35号線に向かった。
この道は40mあまり走ると、乙川の水源から333号線に降りて以来、初めての山道に入った。
そのために、乙川に出ることもなく、2km近く北上して35号線に近づくと、大滝橋に出た。
この大滝橋は乙川に流れ込んでいる大法川(おおぼうがわ)に架けられた全長8mほどの橋で大法川は大滝橋の下流120mあまりで乙川に合流している。

大滝橋上から上流側を眺めると、橋の上流側は水の溜まった淵になっており、そこに北側から幅50cmもない水流が流れ込んでいた。

桜形町 大法川 大滝橋上流側

大法川水流の両岸には巨石が折り重なっており、その隙間を水は落ちて来ている。
目的の35号線は、この大法川に並行して北から乙川に向かって延びてきており、乙川にぶつかって方向を西に転換して向かっている。

大滝橋上から下流側を眺めると、上流側と変わらず、巨石の折り重なった間を縫って、激流が流れている。

桜形町 大法川 大滝橋下流側

上流側ではエッジの尖った石が目に付いたのだが、下流側のほとんどの石は角が取れて丸くなっている。
上流と同じく大法川の周囲は自然林だ。
この一帯は「かおれ渓谷」と、地図に表記されており、景勝地になっている。

大滝橋から170mあまりで県道35号線に出た。
35号線に出ると35号線は急な下り坂になっており、山道を710mあまり下ると、乙川の流れている左手が急に開けた。
ただ、35号線から乙川までは40m近く離れているので水路は見えない。
さらに640mあまり急坂を下っていくと、右手に石鳥居が建っていた。
石鳥居側にしか路肩が無いので、石鳥居前に愛車を駐めた。

西向きの石造明神鳥居は35号線とは直角に建てられており、鳥居脇には社号標が立てられているのだが、達筆で読めない。
地図で確認すると「村社 薬玉神社(やくだまじんじゃ)」であることが判った。

薬玉神社 社頭

ここは井沢町である。
薬玉神社の表参道は35号線と平行に東に向かっており、4段しかない石段を上がると、踊り場で90度近く北西に転換しており、北西に向かって急な石段が立ち上がっていた。

薬玉神社 石段 拝殿

石段を上がっっていくと正面に五間幅の瓦葺切妻造平入の拝殿が立ちはだかっていた。

薬玉神社 拝殿

正面は路考茶色アルミサッシのガラス戸が締め切られており、軒下は白壁になっている。

石段を登りきると、2種の常夜灯と2種の狛犬が表参道の両脇に並んでいるのだが、その最奥の狛犬が、この日最初に寄った八劔社の狛犬に続いて、

奇妙な狛犬だったので、やはり撮影してしまった。

薬玉神社 拝殿直前 狛犬

この狛犬は耳が完全に磨耗して無くなっており、ほかの部分もかなり磨耗している。
それだけが奇妙な印象を受けた原因なのか、もともと奇妙な狛犬像であるのかは不明だ。

そしてこの左側の狛犬の写真を見ていたら、右側面に2文字の漢字が刻まれていることに気づいた。

薬玉神社 狛犬に刻まれた文字

下側は「市」なのだが、上の文字が読み取れない。
解る方がいたら、コメントをお願いします。
現場では文字の存在に気づいていなかったので、対の狛犬にも入っているのか、反対側の面にも入っているのかはチェックしていない。

拝殿前で参拝したが、主祭神は大巳貴命と少彦名命になっている。
社名の「薬玉」は少彦名命の関連語だと思われるが、この神社の情報は他には残っていないようだ。

拝殿の左手に回ると、拝殿・渡殿の側面は退紅色に焼けた波トタン張りで、本殿覆屋は原型は藁葺だったと思われるトタン張宝形造で、壁は板張りの建物だった。

薬玉神社 本殿覆屋

もしかするとトタンが張られた内部には藁が詰まっている?

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大巳貴命と少彦名命の組み合わせは茨城県に多いのですが、愛知県では御嶽山信仰の場で見かけることがあります。

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