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蒲郡 石4:性器崇拝から巨石崇拝に格下げ

蒲郡市(がまごおりし)捨石町 捨石神社(素盞嗚神社)のニノ鳥居から表通りに出て、東隣に位置する大巌神社(おおいわじんじゃ)に向かいました。

捨石神社(素盞嗚神社)末社:水神龍神八大龍王神社/大厳神社 雨乞巌

大巌神社は本来は参道であったと思われる一般道に面し、社殿は東南東を向いて設置されていた。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 拝殿

鳥居や手水桶は社殿脇の右側に捨石川の流れる北に向けて保存されている。
おそらく、鳥居は社殿前を通っている参道に建てられていたのだろうが、車を通す必要が生じて、ここに収められたのだろう。
その拝殿は鉄筋造トタン張切妻造平入の建物で、向拝屋根が前に突き出ている。
境内といっても、わづかなスペースだが、白い砂利が敷き詰められている。
壁も白壁だ。

拝殿の正面に立つと4間造の正面は全面に旧い木造の扉が流用されていた。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 拝殿

軒下を見上げると「大巌神社」と箔押しされた文字の入った扁額が掛かっている。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 拝殿 扁額

拝所で参拝したが、社殿の右手に『捨石神社縁起』の岡崎御影の板碑が掲示されており、そこには以下のようにあった。

末社 大巌神社  祭神 水速女命

吉祥女窟古い昔より素盞嗚神社神社の傍らに雨乞巌という大きな巌がある。柏原村の聖岩神と共に性器崇拝の信仰遺跡であって発祥は数千年の大昔にさかのぼると伝えられる。大昔は捨石神社の本祭りであったが、時代が下って素盞嗚命を奉斎した時、原始信仰の大巌神社様は本来生む力の女陰であり巨石崇拝と習合して大巌神になりさがり、捨石神社の末社に落とされたという説がある。
この岩に「大巌雨師命と称え奉る」とあり、寛永年間(1624〜1643)の大旱魃は厳しく五穀は枯死寸前となった時、昔からの言い伝えによって酒と餅で岩を洗って雨乞の祈祷をしたところ、大雷雨になって堤防は破壊し田畑は荒廃した。それ以後この岩を洗うことを禁止したという。
二百余年後の、寛永五年(1852)の大旱魃時村は協議のうえ、この岩を洗うことを決議して五夜五日・三夜三日・一夜一日の宮籠りして祈願したが一向に霊験がなかった。そんなある夜、村人の夢のお告げに「当時は神慮に背き神の怒りをくむりたり、故に此の度は信心を凝らし神勅を守り之を行うべし」と、そこで総代十四人を選び三夜三日、日を異にし、斉戒沐浴して祈願した。不思議なことに一点の雲のない空に雨意を起し忽ち白雨盆を覆すような雨が降り山川草本の総てが生気に満ちてその年は豊作であったという。以後大巌神の神徳を称え毎年四月に祭典を行っている。
                『塩津村誌』平成十年一日発行より抜粋

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 板碑

水速女命(ミツハノメ)は水神だ。
ここの拝殿は背後に位置する雨乞巌(あまごいいわ)を神体とする拝殿のようだ。

『捨石神社縁起』板碑裏面の石鳥居には注連縄が掛けられており、現役の体になっていた。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 鳥居/手水桶/板碑

脇に置かれた手水桶にも水道が引かれており、やはり現役だ。

石鳥居の左脇には『捨石神社縁起』の板碑と、頭頂の尖った石が並んでいる。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 石

『捨石神社縁起』に大巌神社が性器崇拝の信仰遺跡だとあるように、頭頂の尖った石は陽石だと思われるが、アスファルト舗装されていた場所に設置されていたものなのか、根元を固めたアスファルトの塊と一体になったまま保存されていた。

「大巌神社」という社名は大岩を神体としている神社であることを物語っている。
大巌神社社殿の裏面を観にいくと、片側には短い瑞垣が張られているものの、裏面には、物理的には立ち入れるようになっていた。
そこには太くて荒い注連縄と、頭頂下の細い注連縄が二重に掛かった地上高4mほどの巨石がそびえていた。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 雨乞巌

巨石には蔦がからまり、溝に落ち葉が積もっている。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 雨乞巌

1枚岩なのか、複数の巨石が重なっているのか不明だ。
だが、『捨石神社縁起』を読んでから上記の写真の雨乞巌を観ると、陰石と陽石が交合している形象に観て取れる。

岩肌は白っぽく、堅そうな石質だが、観た限りでは石英を主な構成鉱物とする変成岩(珪質片麻岩)と思われ、珪質片麻岩は深海に降りつもったマリンスノーからできた堆積岩(チャート)が、プレートの働きで日本列島に付加され、地下深くでマグマに熱せられて、変質してできた岩石と説明されている。
石灰岩の元になる石だ。
ここから現在の海岸線までは490m以内だが、縄文海進期には水面下にあった場所であり、プレートの働きで隆起した場所ではないかと推測できる。
三河には竜宮伝承が多いが、さっき訪れた水神龍神八大龍王神社の八大龍王も龍宮に関わる神である。

ヘッダー写真の石段から生えている横幅の広い緑の葉や、下記写真の太い注連縄が垂れている中央部下に生えている葉の植物がツワブキで、この区域には自生しているという。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 雨乞巌/ツワブキ

初冬に黄色い菊花を咲かせる植物だが、昔から民間薬や食用野草として知られる植物だという。
太平洋側では福島県以西の海岸沿いに多く自生し、岩の上や崖の上などに生える植物なので、このことも、大巌神社の巨石が深海で形成された変成岩が隆起したものである可能性を裏書きしている。

この巨石の裏面を捨石神社の拝殿前に上がる石段が通っている。
改めて、石段を登って見にいくと、最初にこの石段を登った時、祭りで使用されて廃棄された綱だろうかと思ったものは御神体にかけられた注連縄であることが確認できた。

捨石神社(素盞嗚神社)末社大厳神社 雨乞巌

この御神体には幹径30cm以上ある高木が根を張っていた。

捨石神社を出て、捨石川沿いに駐めた愛車に戻ろうとすると、大巌神社の向かい側の住宅の庭に石碑が立っていることに気づいた。

蒲郡市捨石町 荒神

観に行くと、「荒神」を祀った石碑だった。
生花が供えられ、ちゃんと祀られているようだ。
ここから東北東に位置する霊峰本宮山に祀られた三河国一宮砥鹿神社(とがじんじゃ)奥宮境内に祀られた荒神社まで23.6kmほどだ。

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捨石神社から西南西1.3 kmに位置する岩上神社(いわがみじんじゃ)に向かいました。

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