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麻生田町大橋遺跡 土偶A 167:最恐の石段

岡崎市鍛埜町(かじのちょう)を流れる乙川(おとがわ)に架かった万年橋から、乙川と並行して西に向かって県道35号線を移動していると、35号線は左手(南側)の乙川沿いに出ましたが、同時に乙川とは反対側の右手には神社の石段が壁のように立ち上がっていました。

鍛埜町 八幡宮
鍛埜町 八幡宮
鍛埜町 八幡宮

石段は45度をはるかに超えるような角度で立ち上がっているように見えた。
35号線の歩道沿いには高さ3mほどの石垣が組まれ、その石垣上にには踊り場があるようで、向かって右手には巨大な基壇を持つ常夜灯が設置されていた。
常夜灯の竿には「秋葉社」と刻まれている。
社号標と石鳥居に掲げられた社頭額には「八幡宮」とあるが、ここも鍛埜町内だ。

八幡宮の社頭脇に愛車を駐めて35号線の反対側に渡り、乙川の上流側を眺めると、乙川の幅10m未満の川面は上流側から一直線に八幡宮に向かって来ており、八幡宮前で35号線にぶつかって、川面を10mあまりに広げているのだが、上流から一貫して巨石の堆積が多く、その巨石の一部には、さらに土砂が堆積している。

鍛埜町 乙川 八幡宮前から上流側を眺望

対岸は鬱蒼たる原始林の状態だ。

同じ場所から下流側を眺めると、20mあまり下流で左にカーブしているのだが、そのカーブに差し掛かるあたりまで石の堆積が多い。

鍛埜町 乙川 八幡宮前から下流側を眺望

八幡宮の社頭側に戻って、石段の麓から上を見上げると、石造八幡鳥居の奥には2つ目の長い石段が立ち上がっている。

鍛埜町 八幡宮 鳥居/石段

最初の石段を上がり、鳥居をくぐって、2つ目の石段の麓に立って驚いた。
石段は急なだけではなく、踏み面の奥行きが狭く、足の裏を斜めにしないと踏み面に乗せられないくらい狭かった。
高所恐怖症の人間ではとても登れそうにない石段だったのだ。
途中で足を踏み外したら、麓まで確実に転げ落ちるだろうと思われた。
これまで、多くの神社の表参道の石段を登って来たが、もっとも急で登るのが怖かったのが、東京都港区の愛宕神社(あたごじんじゃ)だった。
ここ八幡宮の石段は踏み幅は同等ながら、傾斜はもっと急で、石段の横幅も狭い。
東京の愛宕神社は石段の横幅はかなり広いので、傾斜が急な割には恐怖感は薄いとも言えた。
当初、八幡宮の石段を登ろうかどうしようかマジで迷ったのだが、ここまで乙川沿いで観て来た神社ではもっとも規模が大きそうなので、なんとか登ることにした。
慎重に4つんばいで登ったのだが、かなり登って振り返った時、登るのより、下る方が怖いことが判ったので、もう一度そこで、登るのを中止するかどうするか迷った。
とても、写真を撮影する余裕は無かった。

下記写真は2つ目の踊り場の上から撮影したものだが、踊り場の下の石段は角度が急なので、そこからは見えず、鳥居だけが見えていた。
足を踏み外しても、踊り場で止まるのが判っているので、何とか撮影することができた。

鍛埜町 八幡宮 石段

この整備された長い石段を登りきると、土手に踏み石を並べただけの旧い石段に変わった。
ただ、この旧い石段は横幅は狭くなったのだが、踏み面が広く、傾斜も一般的な角度で、ホッとした。

なんとか石段をすべて登りきると、社殿群は登って来た石段の方向ではなく、少し西を向いていた。
石段上は整地されていたが、土のままで、幟柱を持つ拝殿の前にだけ縁石内に新しい砂利が敷き詰められていた。

鍛埜町 八幡宮 拝殿

拝殿は瓦葺切妻造平入で、木部も石部も黒紅に焼けている。
瓦だけが新しい。

拝殿右脇に二つの社殿が前後に並んでいるが、どちらかが常夜灯に刻まれていた「秋葉社」である可能性があるのだが、表札が無いので不明。

拝殿の扉の前には藁で編まれた立派な注連縄が張られていた。

鍛埜町 八幡宮 拝殿 注連縄

注連縄をなう氏子が存在するということの証明だ。
拝所に上がって参拝した。
この神社に関する情報は以下のような祭神情報しか無かった。

品陀和気命(ホムダワケノミコト:応神天皇)

格子戸越しに社殿内を見ると、拝殿の天井には装飾画のある提灯が並び、その奥に幣殿、幣殿の奥は階段になっていて、階段の上に本殿が祀られている。

鍛埜町 八幡宮 拝殿内〜本殿

拝殿前を降りて、拝殿の東側に回ると、本殿覆屋も瓦葺切妻造の建物で、板壁の上部には明かり取りの連子窓が設けられており、木部は焼けているのではなく、防腐剤で似せ紫色に染められていた。

鍛埜町 八幡宮 本殿覆屋

社殿群背後の土壁には蔦が這っていた。

鍛埜町 八幡宮 土壁の蔦

八幡宮の石段を降りる際は、石段を見下ろし、後ろに手を付きながら下ったのだが、登りで恐怖に感覚が順応してしまったようで、不思議に登りの時のような恐怖心は失せていた。

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最古の八幡宮は大分県宇佐市の宇佐神宮で、神亀(じんき)2年(725年)に創建され、八幡宮の総本社とされています。「神亀」は聖武天皇(しょうむてんのう)の元号ですが、聖武天皇は東大寺と大仏を建立するにあたり、宇佐神宮から東大寺守護神として八幡神を奈良の手向山(たむけやま:現雑司町)に招聘しています。

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