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御用地遺跡 土偶 49:かなひのみこと=蔵王権現

地図上で、安城市の大岡白山神社の東、200m以内に「蔵王神社」という名称を見つけたので、向かうことにしました。
蔵王権現という修験道の本尊を奉っていた場が明治初期の廃仏毀釈で神社に改変されたものと、推測できました。社名に「蔵王」という名称を持っている神社は初めて遭遇しました。

●後頭部結髪土偶

1MAP北山崎町 蔵王神社

周囲を全て住宅に囲まれた中に公民館とセットになった蔵王神社があった。
ここは北山崎町と言った。
社頭は南西を向いており、社地の南西部に面した道路の真ん中に楠の巨木が生えているために(下記写真左端)、蔵王神社の前はロータリーのようになっていた。

1北山崎町 蔵王神社杜

社頭には石造八幡鳥居が設置され、その脇に「村社 蔵王神社」と刻まれた
社号標。
社地は玉垣に囲われている。
鳥居の正面奥、10m以内に拝殿が見えている。

公民館側の道路沿いに愛車を駐めて社頭に戻り、石畳の表参道に上がり、鳥居をくぐると、境内には細かな砂利が敷き詰められており、参道の突き当たりに瓦葺入母屋造平入の拝殿が高さ50cmほどの石垣を持った土壇上に設置されていた。

2山崎町 蔵王神社拝殿

正面は舞良子で抑えた板壁と舞良戸で覆われている。
社地の北西の端には剪定されたクロガネモチと思われる巨木が2本、幹を伸ばしている。
石段を上がり、拝所で参拝した。
境内には情報が無いが、ネット上の情報によれば、祭神は安閑天皇と菅原道真となっている。

修験道と関係のある神社に安閑天皇が祀られている理由は徳川家康のブレーンであった朱子学派儒学者林 羅山の子孫である三河林氏がこの地を統治していた松平氏(=徳川氏)に仕えていたことと、関係している可能性がある。
林 羅山はその著書『本朝神社考』に、第28代安閑天皇(古墳時代に在位)の御霊を修験道の蔵王権現と同じと記しているからだ。
修験道は天皇直属の組織であり、林 羅山が仏教を否定していた儒学者であることも関係している。

しかし、「蔵王神社」という社名からすれば、安閑天皇と菅原道真が祀られる以前は蔵王権現の祀られた蔵王堂だったと推測されるのだ。
蔵王権現とは以下の姿をした権現だ。

「権現」とは仏教の仏や菩薩が仮に神として現れているとする考え方だ。
菅原道真は修験道とは関わりが無いので、おそらく周辺に祀られていた天神社が合祀されたものと思われる。

拝殿の軒下に掲げられた陶製の扁額には、蔵王堂から蔵王神社への発起に関してと思われるが、「明治参拾六(36)年発起人平貴村山崎?稲垣梅蔵?」とある。

3山崎町 蔵王神社扁額

額にある稲垣梅蔵を三河稲垣氏の一員と見るなら、徳川家康に高く評価されたことから譜代大名となった一族であり、林 羅山の学徒でもあったことは確実であり、三河での影響力は三河林氏よりも、むしろ大きかったことが推測できる。
当初、明治初期の廃仏毀釈で神社に改変されたものと、推測したのだが、明治36年に初めて神社に改変されたものである可能性も考えられる。

ところで、家紋からすると、三河林氏は小生の母方の一族と同族であり、三河稲垣氏を桓武平氏とする学説からすると、三河稲垣氏と小生は同族に当たる。

格子を通して拝殿内を観ると、渡殿を通して本殿まで繋がっており、階段の奥の本殿正面には大きな丸鏡が設置されていた。

4山崎町 蔵王神社殿内


拝殿を降り、本堂を観ようと、西側に回ると、拝殿には濡縁が存在し、仏教の本堂と思われるような社殿であり、本殿も瓦葺の社殿となっていた。

5山崎町 蔵王神社社殿

本殿は瓦塀で囲われている。

本殿の並び、西側には瓦葺寄棟造平入の社殿が祀られていた。

6山崎町 蔵王神社山神社

軒下には素木に「山神社」と墨書された額が掛かっている。

社内を覗くと。銅板葺流造の大きな社が祀られていた

7山崎町 蔵王神社社

ネット上には祭神は「大山積命(オオヤマツミ)」となっている。
当てた漢字は異なるが江戸時代に現神奈川県の大山詣が盛んであった大山阿夫利神社(あぶりじんじゃ)の祭神大山祇大神(オオヤマツミ)と同神であり、大山では雨降山(あぶりさん)大山寺を拠点とした大山修験が盛んであった。
ここ蔵王神社に山神社が祀ってあることは、蔵王堂の総本山である金峯山寺蔵王堂より、大山寺との方が関係が深いのかもしれない。

ただ、山神社の現在の祭神はオオヤマツミとされているものの、三河では山神社は地主神として祀られた例が多いと思われ、大山修験とは無関係に祀られたものともみられる。

蔵王神社の境内を出て、西側の路地から本殿を撮影したのが、以下の写真だ。

8IMG_0151山神社本殿

瓦葺の流造というのは少数派だが、瓦葺の拝殿の屋根に合わせたものだろうか。

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この記事のタイトル「かなひのみこと」は安閑天皇の和風諡号「広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)」の末尾を取ったものです。
北朝鮮初代最高指導者金日成の名は安閑天皇の和風諡号からパクったものとする説があります。
ヘッダー写真は渡殿の外壁が面白くて美しかったので、思わず撮影しました。


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