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麻生田町大橋遺跡 土偶A 78:八辟弁財天とイナンナ

愛知県岡崎市を通っている旧東海道沿いに建てられた関山神社常夜灯前から旧東海道を西北西に390mあまりたどると、旧東海道の南側に面して藤川宿内に廃寺らしき建物群がありました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP藤川宿十王堂

2MAP藤川宿十王堂

旧東海道をたどっていると十字路の左角(南側)に瓦葺寄棟造の堂があった。

1藤川宿十王堂

上記写真右奥に本堂らしき建物があり、地図ではこの建物に「十王堂」と表記されている。
しかし、そっちの建物には何かが奉られている気配は無く、上記写真の手前の堂内を覗くと十王像群が奉られており、この建物の前には、藤川宿まちづくり研究会の製作した以下の案内板『藤川の十王堂』が立てられていた。

「十王堂」は十人の「王」を祀る堂で、その「王」とは、冥土(死者のたましいの行くところ)にいて、亡者(死んだ人)の罪を裁く十人の判官をいう。

秦広王(しんこうおう)   初江王(しょこうおう)  
宋帝王(そうていおう)   五官王(ごかんおう)    
閻魔王(えんまおう)    変成王(へんじょうおう)  
平等王(びょうどうおう)  太山王(たいざんおう)  
都市王(としおう)     五道転輪王(ごどうてんりんおう)

の愛称である。
藤川宿の「十王堂」はいつごろ創建されたかは不明であるが、十王が座る台座の裏に「宝永七庚寅年年七月」(710)の記年があるので、ここの十王堂の創建はこの年であろうと推測する。
また地元では、忠臣蔵で有名な神崎与五郎に言いがかりをつけた箱根の馬子・丑五郎との伝説を伝えている。

上記内の「太山王」は一般に、同じ読みの「泰山王(たいざんおう)」の表記が使われることが多い。
悪行を行った人間が地獄に落ちるかどうかの裁定を行う、十王の中でもっとも知られているのが、裁判長に当たる閻魔王だが、現在の若者たちにどれほど知られているのだろうか。
「閻魔」は近代までの日本人には悪行に対する抑止力になる役割を担っていた、現代になっても子供には「嘘をつくと閻魔に舌を抜かれる」とか「悪いことをすると閻魔に地獄に落とされる」という標語が使われてきた。
戦後はそうした標語が「警察が来る」に変わったが、今やそれも、フジTVやTBSのドラマにサイコパスが重要な役割で登場するのが当たり前になり、18才以下の子供には抑止力にはならなくなった。

丑五郎に関する逸話は、神崎与五郎が赤穂浪士四十七士の一人であり、与五郎の箱根超えで、丑五郎に自分の馬を利用するよう絡まれ、討ち入りのために江戸に向かっていたことから、事前に騒動になることを懸念した与五郎が丑五郎の馬を利用しないことに対する詫び証文をおとなしく書いて渡したもので、赤穂浪士の討ち入り後、自分が詫び証文を書かせた相手が赤穂浪士の一人であることを知った丑五郎が己を恥じ、出家して神崎与五郎を弔ったというもの。
だが何故、藤川宿に箱根の逸話が残っているのか、説明する情報が見当たらない。
神崎与五郎は現岡山県の津山生まれで、現兵庫県播磨の赤穂藩士であり、藤川とは結びつきが無いことからすると、丑五郎が藤川と関係のある人物だったのだろうか。

日本列島を移動していると、各地で十王堂に出会う。
十王信仰は道教や仏教に由来する信仰とされているが、尊像を祀るのに最低10体の尊像が必要になる。
しかし、十王像は堂内で奉られることが多く、石像より木像が多く、尊像が多いことから、まるごと良い保存状態で残っていることが多い。
それどころか、十王に関連する奪衣婆(だつえば)や蓮華王など複数の尊像が追加されて残っている場合もある。
実際、ここの藤川宿十王堂内には以下の写真(3点の写真を合成したもの)のように16体の尊像と仏像が奉られている。

2藤川宿十王堂十王像

中央の仏像が閻魔王の本地仏である地蔵菩薩。
前列、地蔵菩薩の左隣が閻魔王。
上記写真の五色の繧繝縁(うげんべり)を持つ畳に座っているのが十王、あるいは十三王だ。
ここでは奪衣婆は見当たらなかった。

十王堂の北西側には十王堂の方を向けてコンクリート造の地蔵堂が奉られていた。

3地蔵堂

もちろん、十王である閻魔王の本地仏だから、ここに奉られたのだろう。
地蔵菩薩は釈尊が入滅してから弥勒菩薩として成仏するまでの仏の存在しない間に衆生救済を託された仏尊と紹介されている。
各地を巡っていると、路肩に奉られている尊像は地蔵菩薩の多い地域、庚申塔の多い地域、馬頭観音の多い地域、道祖神の多い地域が存在することに気づくが、尾張、三河は圧倒的に地蔵菩薩優勢の地域で、尾張には地蔵菩薩の大仏も存在するほどだ。
そこに少し馬頭観音と道祖神が混じっている印象だ。

地蔵堂の左脇には弁才天石仏が祀られていた。

4弁才天

おそらく、藤川宿十王堂の南側に存在する水路と関連して奉られたものではないかと思われる。

3MAP藤川宿十王堂

それは八臂弁才天(はっぴべんざいてん:腕を8本持つ弁才天)で、小生はシュメールの女神イナンナ(下記写真)や土偶と関連する神仏だと考えている。

5イナンナ

なぜなら、八臂弁才天とイナンナには持ち物に以下のような複数の共通点があるからだ。

・弓
・矢
・棍棒
・カギ型の道
具(弁才天では鍵)
・鉾(弁才天では剣)
・兜(弁才天では天冠)

また、イナンナ像の背後に輝く太陽と踏みつけている獅子は、神社では鏡(アマテラスの神体)と狛犬に変換されているとみることができる。
藤川宿十王堂内には十王と並んで鏡(前列、地蔵菩薩から右に2体目)が奉られている。
鏡は通常、本殿前に置かれるものだが、ここでは陰陽の「陽」を表す日辰として置かれているのかもしれない。
そして、何よりも八臂弁才天とイナンナには女性なのに戦闘神という共通点があり、だから戦闘具を持っているのだが、その性格と姿は下記の弓矢を持つのが基本形になっている神功皇后(じんぐうこうごう)にも反映されていると思われる。

6神功皇后

イナンナが太陽とセットになっているように、神功皇后は太陽神アマテラスの実在の姿とみられている。

そしてこの十王堂の八臂弁才天像は2ヶ所の土偶出土地を結んだレイライン上に存在している。

地蔵堂の右隣には旧東海道の方を向けて芭蕉句碑が塚の上に置かれていた。

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十王堂脇の交差点の斜め向かい側は藤川小学校で、その学校の旧東海道沿いには歌川豊廣の句碑や西側の藤川宿牓示杭(ぼうじぐい)、常夜灯などが保存されていました。

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