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麻生田町大橋遺跡 土偶A 106:雨の石巻山

豊橋市の「石巻」を冠した複数の町名の由来になっている石巻山の尾根に出ると、雨が大粒になってきました。しかし、山頂は近いようなので、ここから引き返すことはあり得ず、とにかく最大の目的である石巻山登頂を目指して尾根を登って行きました。

雨は本格的な降りに変わってきていた。
尾根に出て3分以内の場所に、複数の方形の石を組み合わせた高さが2m以上ある基壇の上に小型の板碑を建てたものがふたつ並んでいた。

上記写真は右手が尾根の上方だ。
石を組み合わせたように見えた基壇は後で写真でチェックしてみると、石灰石の露岩が風化して破砕されたり、雨による侵食を受けて深い溝が入り、複数の石に見えているだけのようだった。

2基の板碑の右奥には破砕された石灰岩が地面に落ちていたり、複数の露岩が露出していて、落ちている石をみると雨で侵食を受けた筋が複数あって、そこに落ち葉が埋まっており、最終的には複数の細かな石になってしまうだろうことが、容易に推測できる状態になっていた。

ところで、現場は写真より暗くて、写真側が表なのか裏面なのかも確認できなかった。
板碑の内容を見るには基壇によじ登る必要があるので、その余裕は無かった。
一応、明るい反対側も見てみたが、足場が悪く、そちらが正面とは思えなかった。
写真で見えている側が表面だと思われ、こちら側が登山道のようだった。
後でネットで探してみると、上記写真左の低い方の板碑が「下天狗」、右側の高い方の板碑が「上天狗」であるという名称の情報だけが見つかった。
石巻山には天狗伝承があるようだが、その内容に関する情報は残っていないようだ。
板碑は帰途に余裕があったら仔細に観ることにして、さらに尾根を登ろうとすると、意外なことに登山道は尾根の北側下方に向かって降りていた。
ここまで登って来た尾根の頂が石巻山山頂ではなく、山頂は別にあるようだ。

2mほど尾根から下に降りると、右手の尾根に沿って登山道は北に向かっているようだが、路面を風化して崩れた石灰岩が落ちて塞いでいた。

その石灰岩群を乗り超えて先に進むと、石灰岩が大きく壁のように露出している場所に出た。

その石灰岩の壁の前を通り抜けると、複数の鎖場や鉄の階段が現れた。
その中でもっとも長く高さの落差のある階段が以下の場所で、山頂が近くなっていることが予感できた。

それにしても、もはや階段ではなく梯子だ。
カメラは石巻神社内社頭から終始、右手に握ったままだ。
ちなみにカメラのストラップに着けたリングは小指に通してあるので、落とすことは無い。
雨足は強くなって来ているので、鎖や階段の手摺りからは絶対に手を離さないようにして登った。

そして、最後の階段が以下の場所だった。

最後の階段を上がると、もはや遮るものが何も無いので土砂降りの中だ。
頂を半周くらいすると、突起した場所に素木に「石巻山 三五八米」と刻まれた表札が掛かっていた。

もう、上を向くことは無いので、被っていたキャップのツバでレンズを雨から守りながら撮影できた。
もはや表札がどっちを向いているのか不明だ。
1眼レフなど使用していたら、こんな撮影には使用できなかったろうが、バカチョンカメラなので、雨に当たっても平気だ。

とりあえず、360度、見えるものを撮影した。

どっちを見ても、見えるのは周辺の山影だけだった。

雨は最高潮なので、とにかく、下山を目指すことにした。
帰途もカメラは右手に持ったままだったが、どうしても雨がカメラのレンズに当たってしまうので、結局、下山では1カットも撮影することは無かった。

雨は鳥居を出ても全く弱まることはなかった。
石巻神社の境内まで戻って、拝所に入ることはできたものの、もしかすると、車道に生えていた苔のためにモーターサイクルでは下山できず、愛車は登坂者用駐車場に放置して、タクシーを呼ぶことになることも想定していた。
下山の無事を祈って今度はお札を奮発して参拝した。

雨足はぜんぜん弱まらず、鳥居を出たら止むこともあり得るので、表参道を下って、愛車まで戻り、とりあえず、登坂者用駐車場に降りると、駐車場にあった建物は横に長いトイレだったが、壁に平行にすれば、愛車のモーターサイクルの90%が庇の下に入る幅になっていた。
トイレには広めの洗面所もあって、びしょ濡れになってしまっていたキャップとTシャツを脱ぎ、登頂の汗対策で用意して来たTシャツに着替えた。
パンツは替えが無いが、雨降りはまったく予想していなかったので、ポンチョタイプの雨合羽しか持ってなく、どうせまた濡れてしまうだろう。

洗面所を出ると、タイミングを計ったかのように雨は霧雨に変わっていた。
苔を探しながら、慎重に下山を開始した。
不思議なことに石巻山登り口まで下って来たのに苔は路肩に少し残っている場所が1ヶ所あったのみで、通路部分にあったはずの苔は姿を消していた。
雨で流れる程度の短時間で産した苔だったんだろうか。
いずれにせよ、お札の効果は抜群だった。

一般道に面した石巻山登り口脇をひょいとみると、広いアルミサッシの垣根内に石造物が集められていることに気づいたので、撮影していくことにした。
ところが愛車を降りた途端に、雨が猛烈に降り始めた。
カメラのレンズが雨粒だらけになってしまったので、しかたなく、来ていたTシャツの裏側でレンズを拭いて撮影したのが以下の2カットの写真だ。

上記の写真を見て、初めて写真右奥の垣根が扉になっていることに気づいたのだが、現場では土砂降りで気づかず、仕方なく垣根外からしか撮影できなかったのだが、手前の大きな拝石を持った石碑は菩薩らしき名前が刻まれた仏塔だった。

奥にあるトタン葺切妻造の覆屋内には3基の石仏と石祠が納められている。

石仏の左端は像容が読み取れないほど風化していて何なのか不明。
左から3番目は賀茂氏の一員である役行者像。
三河国が加茂郡とほぼ同一なように三河には賀茂氏が関わっている可能性があって、多くの役行者像が祀られている。

左から2基目は庚申塔(こうしんとう)だ。
愛知県では初めて遭遇したショケラ(人間の身体の中にいる虫で、裸の女性の姿で表現される)を左手に持つ六臂(ろっぴ:腕が6本)の青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)だ。
ショケラとは道教において人間の体内に存在するとされる三尸(さんし)の虫を裸体の女性の姿として表現したもので、本来は三尸の虫を封じるための呪文「しょうけら」が裸体の女性(三尸の虫)を「ショケラ」と代用して呼ぶようになったものとみられている。
ショケラはたいてい以下のように正面金剛(しょうめんこんごう:庚申塔の主尊)が左手で髪の毛を掴んでぶら下げている。

石巻山登り口の庚申塔はショケラが削り取られて、痕跡が残っているだけだが、もしかすると、現代になって小学生の通学路に裸の女性がぶら下げられている像があったりしちゃまずいという配慮がなされたのかもしれない。
しうしたことから、ショケラ像が残っている庚申塔は希少なのだ。
ところで、ショケラ(三尸の虫)とは人間の体内にいる寄生虫がモデルになっている発想だと思われるが、三尸の虫の役割は人間が不道徳なことをすると、その人間の眠っている間に、その人間の中にいる三尸の虫が天帝にその悪事を報告することだ。
庚申信仰では三尸の虫が天帝にその悪事を報告する日は決まっているので、その日の夜には皆で集って、寝ないで朝まで祭祀行事を行うのが習いになっていた。
この行事は庶民の間で大ぴらに徹夜でドンチャン騒ぎをする口実に使われた側面があり、祭りと同様、庶民のストレスのガス抜きの役割があったと見られる。
夫のいる女性が帰宅しないで徹夜で飲み歩いても、庚申の行事に参加していたと言えば、誰にも後ろ指を指されることの無い、好い行事だったのだ。

石巻山登り口まで降りたところで、雨足が強くなってしまったので、その近所にある石巻神社下社にも寄りたかったのだが、撮影ができる状況ではなかった。
やむなく、帰路に就くことにした。

(この項終わり)

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豊川市の市街地に降りると、すっかり雨は止んでしまいました。ところが、豊川市から岡崎市に向かう間にある山越えで、再び雨が土砂降りになり、しかも、気温が低くて寒さで震えが止まらず、運転できなくなる状況まで追い込まれました。それでもなんとか岡崎の市街地に降りると、やがて雨は止み、名古屋市内に入ってくると、道路はまったく雨に濡れていませんでした。家に着く頃にはパンツもすっかり乾いていました。

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