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麻生田町大橋遺跡 土偶A 173:産婆神の正体

岡崎市才栗町の白髭神社から才栗橋を渡って県道35号線に戻り、南に370m以内で、秦梨町(はだなしちょう)の乙川に架かった友久橋に至りました。

岡崎市秦梨町
岡崎市秦梨町 友久橋/大橋/産婆神

友久橋上から上流側を眺めると、川幅は30mあまりあるのだが、両岸は護岸されておらず、自然の岩や岩に堆積した土砂で守られているようだ。

岡崎市秦梨町 友久橋上流側

友久橋の上流60mあまりの場所には、ここまでで最大の堰が設けられており、堰の上流側はプール状態で水面は静か(ヘッダー写真)。
下流側はその分、水位が下がっていることもあって、川床には多くの巨石が姿を露出している。
一方、友久橋の下流側は巨石がすべて取り除かれ、左岸側の川床には10m近い幅に土砂が堆積していた。

友久橋から35号線を南に1.1kmほどたどると、35号線は同じ秦梨町の乙川に架かった大橋を渡っていた。
大橋の乙川上流側を眺めると、やはり両岸とも護岸されておらず、左岸(下記写真右手)は雑草に覆われ、堤防と土手と川床を連続して雑草が覆ってしまっており、どこまでが川幅なのか分からない状況だ。

岡崎市秦梨町 大橋上流側

大橋の橋幅は40mあまりあるのだが、左岸の川床の土砂の堆積幅は20mあまりある。
左岸だけではなく川筋の中にも石に土砂が堆積して背の高い雑草が生い茂っている部分があり、右岸(上記写真左手)からは樹木が枝葉で川面を覆っている。

大橋の足元を見ると、上流に向かって船形に尖った旧い大橋の基礎が残っていた。

岡崎市秦梨町 大橋上流側 旧大橋基礎

大橋の下流側も雑草が川筋内に生い茂っており、岸のラインがどこなのか判然としない状況になっていた。

地図をチェックすると、大橋の南西240m以内の山中に「産婆神」というプリミティブな名称が表記されていた。
寄らないわけにはいかない名称なので、そこへの登り口を探しながら大橋から35号線を南に向かうと、140m以内の右手に白地に「←鏡山弁財天」と墨書された大きな道標の前に出た。
産婆神は鏡山弁財天に向かう途中にあるようだ。
「←鏡山弁財天」道標脇から脇道に入り、上り坂を110mも進むと、そこから先の道幅が3mあまりと、狭くなり、右手は下に水田の広がる崖、左手は山裾と道路の間を流れる深い用水路になっていた。
この道に愛車を駐めると、地元の方々の4輪車は完全に通れなくなるので、道幅が狭くなる手前の路肩に愛車を駐めて歩くことにした。
愛車を駐めて20mも歩かないうちにステンレス製の手すりを設置した石段の麓に出た。

岡崎市秦梨町 産婆神 社頭

用水路には石橋が渡され、表参道が始まっている。
石段の先には複数の建物が見えている。

石橋を渡ると、石段の右脇に「産婆神」と刻まれた社号標が設置されていた。

岡崎市秦梨町 産婆神 表参道 社号標/石段

その先に踊り場があり、その先からさらに少し長い石段が立ち上がっている。

その石段を登り切ると、二つ目の踊り場があり、表参道の左手の建物は塩化ビニールの波板を屋根として張った吹きっぱなしの資材置き場のようだった。

岡崎市秦梨町 産婆神 表参道 石段/社

3つ目の石段の麓にだけ、コンクリートでたたかれた床が設けられ、そこから始まる石段には両側に縁石が設けられていた。
その石段の上には瓦葺切妻造平入で2間幅の素木の躯体を持つ堂のような建物が設置されている。

最後の石段を上がると、前面は格子戸の閉め立てられた建物で、なぜかアルミスチールの雨戸が横に倒して格子戸にもたせ掛けられていた。

岡崎市秦梨町 産婆神 社

ここも秦梨町だ。
建物の前で参拝したが、現場には社号標以外に産婆神に関する情報は無く、後で調べてみると、「ウバ神」と呼ばれている神社で、祭神は「宇賀の御霊」とされているようだ。
ほかに諸説あるようで、中にはここの山崩れで亡くなった産婆さんを姥神として祀ったという説まである。
私見では「ウバ神・姥神」と言えば直ちに「セオリツヒメ」だと考える。
宇賀の御霊(=水神)という説があるのも、セオリツヒメ(瀬織津姫)であることを裏書きしているように思える。
ただ、セオリツヒメは記紀に登場しない神なので、表からは隠されている存在になっていることが多く、「ウバガミ」という呼称から、「産婆神」、「宇賀の御霊」を含めた諸説が当てられることは各地で起きていることだ。

産婆神前から脇参道が水平に北に延びているので、表参道を戻らず、脇参道を回って社頭に戻ることにした。
脇参道を10mも進むと、眼下の杉林の中にも、下っていけば二股に別れた道が延び、片方の道の先には社頭とは別の石橋が架かっているのが確認できた。

岡崎市秦梨町 産婆神 脇参道

奥の広い道が表道路で、上記写真右手が産婆神社頭、左手方向に鏡山弁財天が存在するようだ。

脇参道の山側を見ると、角の取れた巨石と角の有る巨石が複数、頭を出していた。

岡崎市秦梨町 産婆神 脇参道 巨石群

この地域は岩相の連続性が悪く、孤立して分布する石が多いというので、岩を特定するのが難しいようだ。
これらの石が乙川に落ちているのだと思われるが、それらも単一の石ではないのだろう。

表道路に出て産婆神社頭に戻ると、目の前には水田が広がっていた。

岡崎市秦梨町 産婆神 社頭からの眺望

上記写真右手奥の住宅の間を抜けている道が35号線だ。

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現在、小生の住んでいる近所には「姥子山(うばこやま)」という地名が残っています。この「姥」も個人的には「セオリツヒメ」だと解釈しています。かつて姥子山には湧き水があって、江戸時代には不動尊が祀られていました。東北では不動尊はセオリツヒメと習合しているのです。


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