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麻生田町大橋遺跡 土偶A 157:千万町棚田

岡崎市千万町町(ぜまんぢょうちょう)の水源北側から水源の南側に向かうために西側に迂回して、南に下っていると眼前に広がったのが千万町棚田(ぜまんちょうたなだ:上記ヘッダー写真)でした。

北から南に階段状に下っていく千万町棚田の東側(下記写真左手)に沿って、乙川(おとがわ)は下に向かって流れているのですが、道路は棚田を挟んで西側を千万町棚田に沿って南に下っていた。

背の高いワイアー・ネット柵に囲われた千万町棚田の中腹に立ち入れる場所があったので、そこに入って行って、上方に向かって撮影したのが下記写真だ。

乙川水源は上記写真の右外側の尾根の上に位置している。

千万町棚田脇を下っていると、案内書のパネルが掲示されていた。

「千万町」は「千万町町」の旧名なのだろうか。

千万町棚田を下まで下ると東西に延びる県道333号線に出た。
水源に登って行ける通路があるかチェックしながら333号線東に向かったのだが、333号線は水源らしいポイントに最も近い場所でも360m以上離れており、山頂に向かう通路は存在しなかった。
つまり、さっき登ったポイントが入って行ける場所ではもっとも乙川水源に近い場所なのだと思われた。

333号線を千万町棚田に分岐する場所まで戻り、南西に向かって流れている乙川と並行して通っている333号線を辿ったのだが、折悪しく、千万町棚田への分岐点の前後は乙川側が長区間メンテナンス工事中で、片側交互通行になっており、乙川側を観るどころか、途中で車を停車することもできない状況だった。
そうした状況から最初に乙川を観察できたのが、333号線が乙川を渡っている千万町町大栗に架かった不明の名称の橋上だった。
その橋上から上流側を見下ろしたのが下記写真だ。

水量は多くないのだが、すでに川幅は8mに広がっていた。
川床はコンクリートでたたかれている。
橋から20m以内の水路内には落差20m以上の段差があり、さらにその上流にも段差があった。
橋下で川底までは5mくらいの深さがあり、この日の水量からは大きすぎる水路に思えるが、雨が降った時の水量に対応するにはこのスケールが必要なのだろう。

一方、橋上から下流側を見下ろすと、水路は左にカーブしているが、早くも右手前に土の堆積が見られ、川床は赤茶色に染まっている。

右岸(上記写真右手)は個人宅で、左岸には水田が設けられている。

333号線をさらに下り、80m以内にあった通路に徒歩で入って行ってみると、無名橋が架かっていた。
橋上から下流側を見下ろすと土の堆積はさらに増え、豪水で上流から流されてきたと思われる石も溜まっている。

ここまで護岸は打ちっ放しのコンクリートだったのが、このあたりからコンクリートブロックに変わっている。
水路の正面には鉄塔が建っている。
ケータイのためのアンテナ塔だろうか。
333号線をさらに降って行くと、この鉄塔は乙川の左岸にあることが判った。

150mあまり333号線を下ると、千万町町郷家(ごうか)の乙川に架かる名称不明の橋があったので、徒歩で橋上に上がって下流側を眺めると、20m以内に位置する無名橋が見えた。

川床の土の堆積は川幅の70%に達している部分もあり、その表面は雑草で覆われている。
下流の橋の手前右側に護岸の切れ目があって、枝水路の合流口が設けられている。

333号線に戻って130mあまり下ると、333号線は直接、乙川に沿う形になった。
この千万町町郷家に架かっている橋上から上流側を見ると、乙川の川床は深さ2mほどと浅くなていた。

その川床には1mくらいの厚さの土の堆積が出来上がり、水路を塞いでいるのだが、流れている水路には石が溜まり、上流に見える橋のすぐ下流は石で水面を塞いでしまっている。
土の堆積している部分も、下には石が隠れているようだ。
住宅のある右岸の護岸はコンクリートブロックだが、333号線側は打ちっ放しのコンクリートに戻っている。
右岸のコンクリートブロックの護岸とブロック塀には切れ目が見えるが、そこには住宅から川床に降る石段が設けられている。

一方、同じ橋上から下流側を眺めると、20mあまり下流の手摺の無い鉄板を渡した橋と、手摺を持った鉄板の橋が50m以内に見えている。

鉄板の橋はいずれも個人宅用の無名橋のようだ。
川床の土の堆積は減少したり、途中から増えていたりと、変化している。
行く手には尾根が立ちはだかっており、乙川は左手にカーブしているようだ。

333号線を80mあまり下ると、乙川で初めて橋桁に橋名のネームプレートを持つ橋に到達した。
ネームプレートはブロンズ製で「前田橋」とあった。
橋幅7m、橋長10mの小さな橋だ。
前田橋上から上流側を見下ろすと、川床には土というよりは瓦礫が塞いでしまい、水路が10%しか残っていない場所があるほどだ。

水流が当たる右岸側(上記写真左手前)にはかつての護岸の上に護岸壁が追加されている。
途中までコンクリートブロックと打ちっ放しのコンクリート壁で護岸されていた護岸壁はカーブの部分だけ石垣で護岸されているが、右岸側の石垣が一部、崩れ落ちている。
左岸の333号線脇には空き地が設けられ、大型車が駐められるスペースが取られていた。

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千万町棚田は乙川が流れていることからできた棚田ですが、昨年、農水省主催の「つなぐ棚田遺産」に選出されたそうです。西側の渓谷にあるミツマタ(旧くから和紙の原料とされた落葉樹)群生地とともに千万町棚田は千万町町の山里交流の場とされ、ウォーキングイベントや都市住民との交流事業が行われているようです。

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