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御用地遺跡 土偶 63:二千年前祭祀?

愛知県内限定だが、土偶が出土している2ヶ所、本刈谷遺跡(刈谷市)と御用地遺跡(安城市)を結ぶレイライン上に存在する神社や遺跡などをチェックしてみましたが、本刈谷遺跡の西方向には伊勢湾まで、特に目につくものは皆無で、御用地遺跡の西方向には3社の神社が位置していました。
その内の1社、岡崎市の長瀬八幡宮に向かうことにしましたが、地図上で長瀬八幡宮を見つけたのは、永瀬貴規(ながせたかのり)選手が柔道81kg級で金メダルを獲得した直後のことでした。NHKが総合で柔道競技を放送していたのは、すべて録画でチェックしています。

●御用地遺跡 土偶

1MAP長瀬八幡宮

長瀬八幡宮は矢作川(やはぎがわ)の西側180mあまりの住宅街の中に位置する神社だった。
社地の南側に位置する神門前に着くと、神門の南140mあたりに大鳥居があることに気づき、神門前に愛車を駐めて、徒歩で大鳥居に向かった。

1MAP長瀬八幡宮

大鳥居は石造の台輪鳥居で、「長瀬八幡宮」の社頭学が掛かっていた。

1長瀬八幡宮大鳥居

神門まで一直線に延びるアスファルト舗装された表参道は一般道にもなっており、参道の両側は鳥居の手前から80m以内は基本的に砂利が敷かれており、その先は基本的に生垣と並木になっており、社叢が森となっている。

鳥居から70mあまりの場所に表参道が十字路になっている場所があり、右手に「浄土宗 長壽寺(ちょうじゅじ)」と書かれた案内板、参道左手には長瀬八幡宮の石垣を組んだ基壇を持つ石造の板書が設置されている。

2長瀬八幡宮表参道

板書のすぐ背後には参道の左右に対になった石灯籠が設置されている。
十字路の中央から左手を見ると、長壽寺の参道があり、長壽寺の門柱が立っていた。
門柱の正面が上記写真の表参道右側に沿って鎖が張ってある部分で、この鎖のすぐ奥には新橋色のネット塀を巡らせた池があって、白地に「森越辯戝天」と墨書きされた社号表が立てられていた。

3森越辯戝天社号標

弁財天が祀られているのは、まったくの予想外のことだった。
社号表の奥には石橋が掛かっており、橋の向こう側に森越辯戝天覆屋が見える。
社号標の脇に立てられた由緒書には祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)とあるので、現在の森越辯戝天は長瀬八幡宮の境内社となっているのだと思われる。
おそらく長壽寺の前身は真言宗寺院であり、長瀬八幡宮の別当寺だったのだと思われる。

石橋は一本橋ではなく、八つ橋になっている。
池には藻が繁殖しており、水の透明度は高い。

4森越辯戝天石橋池社

石橋は危険だからなのだろう、入り口にはロープが張ってあって、侵入禁止となっているので、池の右手の岸に沿って、覆屋前に迂回した。
池に沿って潅木の中を進んでいると、池の中の鯉が足音に反応した。
大きな鯉が複数いるようだ。

銅板葺切妻造平入の覆屋は上下を濃紅と白のコンビに塗り分けられた吹きっぱなしの建物だった。
濃紅の上部は中に納められた銅板葺流造の社に合わせた濃紅の木造部分で、下部は
白くペイントされたブロック造りという、森越辯戝天特有の珍しい覆屋だった。

5森越弁財天杜

覆屋の左手にはシラキ、あるいはコブシと思われる、弁財天の本殿周囲によく植えられている樹木が林立している。
現在は水が干上がっているものの、森越辯戝天覆屋の裏面にまで池が延びていた痕跡が見られる。
つまり、覆屋は池中の島に祀られていたようだ。
拝殿前で参拝したが、由緒書から、厳島から勧請された弁財天と解釈した。

鯉を撮影するために覆屋側から八つ橋の継ぎ目まで出ると、全長が40cmほどあるものの、スリムな真鯉が静かに遊泳していた。

6森越弁財天池鯉

入り口にロープが張ってあることから、この辯戝天に参拝する人はいないようだ。

森越辯戝天から表参道に戻ると、下記写真のような光景だが、参道左手は長壽寺が続いている。

7長瀬八幡宮表参道

この先の参道の左手には面白い樹木が2点、存在した。
根元で融合した樹木だ。

8長瀬八幡宮二子樹

樹種は特定できないが、3月下旬のことで、葉はまだ繁殖していない。

9長瀬八幡宮二子樹2

もう一セットの樹木が以下だ。

10IMG_0026二子樹二子樹

〈この項続く〉

◼️◼️◼️◼️
森越辯戝天由緒書の「祭神」の項目にただ、

「市杵島姫命(百四十年頃〜二千年頃)(広島県広島市厳島神社)」

と書いてありました。
???
それで、「森越辯戝天に祀られた市杵島姫命は厳島神社に西暦140年頃(2000年前頃)に祀られた神を勧請したものです」と解釈するしかなかったのですが、合ってるかな?

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