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御用地遺跡 土偶 57:龍神と稲荷神

主に安城市を流れる鹿乗川(かのりがわ)沿いに点在する古墳群の最南部に位置する加美古墳(かみこふん)の西南西600m以内に位置する小川神社の前を通りかかりました。
https://note.com/38rashi/n/n7f0ae12ba6ef

大きな神社であり、見たことのない社号標を見て、参拝していくことにしました。

●後頭部結髪土偶

1MAP小川神社

2月の中旬ということで、社頭には紅白の桃と梅の花が咲いていた。

1小川神社社頭

社叢に挟まれた鳥居は社頭前の路地から30m近く引っ込んだ場所に設置されていた。
手前にある社号標には「郷社 神明社・小河天神社」と2社が並列に刻まれている、初めて見る社号標だったが、地図には「小川神社(神明社・小河天神社)」と表記されている。
( )内の両社とも小生のテーマから外れている神社だが、大きな神明社には興味深い境内社が祀られている場合があるので、参拝していくことにしたのだ。

社頭が開けているので、その片隅に愛車を突っ込み、整地されているだけの表参道を鳥居に向かった。

2小川神社一ノ鳥居

鳥居も大きく、石造の伊勢鳥居が立ち上がっており、参道の20m近く奥にも石鳥居。
そのさらに奥、100mあたりに瓦葺の社殿が望める。

二つの石鳥居を抜けると、社叢は少しづつ開け、社殿前に出た。

3小川神社神門

それは3つの瓦葺の屋根を重ねた堂々たる、そして上品な神門と回廊だった。
神門に注連縄が張られているのは、小河天神社の為だろうか。

4小川神社神門

神門前には注連縄だけでなく、木柵も置かれており、神門内には入れなくしてある。
神門前で参拝したが、社頭に掲示されていた板碑「神明社・小河天神社 合殿略歴」には以下のようにあった。

鎮座地 安城市小川町志茂1番地
社号(旧郷社)神明社・小河天神社 合殿
祭神 天照大神 小河天神

由緒
当神社鎮座の地愛知県安城市小川町は古小川郷と称し菟王(※うさぎのみこ)の後小河眞人の居られるにより郷名となりしなり孝徳天皇(※第36代で飛鳥時代の天皇)大化年中小川郷間に悪疫流行し百姓多く害はれしを以て小川氏長其の氏人小川龍威の故事により天照大神と共に祖菟王を奉祀せり菟王は即ち三河内神明帳所載の従五位上小川天神是なり                      (※=山乃辺 注)

「菟王」とは第26代継体天皇の御子のことだという。
菟王は酒人公(さかひとのきみ)の祖と言われており、近江国上坂郷(かみさかのさと)を本貫としていたという。
酒人氏が近江国高島郡小川を領した事が「小川郷」の由来となっているようだ。
「酒人」というと、すでに参拝した、小川神社の北東2.7kmに位置する酒人神社に祀られた酒人親王(さかとしんのう)を想起するのだが、

この酒人親王は帰化人の子孫であることが判っているので、継体天皇の子孫とは別の氏族である。
しかし、「酒人」という当時の希少名称が、たった2.7km内で無関係で遭遇するとは凄い偶然だ。
片方が皇室と関係があるだけに、表に出せない情報がある可能性もありえる。

さて、本殿の東側に廻って、本殿を観ると、銅板葺神明造で鰹木は6本、千木は平削ぎで、天照大神を示していた。

5小川神社本殿

本殿の東側に回ると、本殿の隣には2社の境内社が祀られていた。
ここに至って、地面はパウダー状の細かくて白っぽい砂地になっていることに気づいた。
本殿側の境内末社は社号標に「貴船社」とあり、小型の石造伊勢鳥居が設置され、奥には瓦葺の覆屋が見えている。

6境内末社貴船社

鳥居をくぐって覆屋の前に出ると、高さ40cmほどの石垣を巡らせた土壇上に瓦葺切妻造平入の建物が設置され、正面には板壁と格子戸が立てられており、軒下には左に「貴船社」右に「天満社」の扁額が掛かっていた。

7境内末社貴船社覆い屋

「貴船社」は板碑「神明社・小河天神社 合殿略歴」に「境内末社」と記載があったが、「天満社」は記載の無い社だ。
本殿に小河天神(菅原道真公)が祀られていることから、別の道真公(天満社)がここに合祀されたものだろう。

参拝して屋内を見ると中央に貴船社、その右脇に素木の板に「奉斎天満社菅原道真公」と墨書きされたお札が白壁に立て掛けられており、その前に素木の御幣が置かれていた。
三河で貴船社(きふねしゃ)に遭遇するのは初めてのことだ。
小川神社で、興味を惹かれたのは本社よりも末社である貴船社の方だったが、境内には貴船社の祭神に関する情報は無かった。
貴船社の総本社は京都市の貴布禰総本宮 貴船神社で、主祭神は高龗神(たかおかのかみ)とされている。

1文字高龗神

「高龗神」という名称は『日本書紀』によるもので、『日本書紀』の一書では伊奘諾尊(イザナギ)が迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱とされている。
「高龗神」の「龗(オカミ)」は水をつかさどる蛇体の神とされている。
この神は縄文土器によく見られる蛇体の装飾とつながりがある可能性がある。

貴船社の右隣には「稲荷社」の社号標が立てられており、

8境内末社稲荷社

奥に朱の千本鳥居が立ち並んでいる。

9境内末社稲荷社千本鳥居

鳥居をくぐっていくと、奥には1対の使いの狐を従えた覆屋が祀られていた。
稲荷社も高さ40cmほどの石垣を巡らせた土壇上に瓦葺切妻造平入の建物が設置され、正面の壁は板塀を格子で抑えたもので、閉じられた戸は舞良戸(まいらど)に格子窓を付けたものだった。

10境内末社稲荷社覆い屋

稲荷社の覆屋の前で参拝したが、稲荷社は最も数多く祀られている神社であり、その分社は約3万社と言われる。
セブン・イレブンの現在の店舗数21,179店の約1.5倍だ。

稲荷社の中で最も多い分社を持つのが、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)ほか4柱の神を渡来系の一族とされている秦氏が祀った、京都の伏見稲荷大社を総本社とする系統の稲荷社だが、朱の千本鳥居からして、小川神社の稲荷社は伏見稲荷大社系の稲荷社と見ていいだろう。

伏見稲荷大社の創建も和銅年間(708年〜715年)となっており、旧くても奈良時代までしか遡ることはできない。
そして、宇迦之御魂神が稲荷主神として文献に登場するのは室町時代以降のことだという。

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この小川神社には特大の伊勢神宮遥拝所板碑(ヘッダー写真)が存在しました。
もちろん、ここから伊勢神宮が視認できるわけはないのですが、安城市では多くの神社に、伊勢神宮に向かって、伊勢神宮遥拝所を示す板碑が設けられているのです。


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