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麻生田町大橋遺跡 土偶A 158:堰と樋門

岡崎市千万町町(ぜまんぢょうちょう)を流れる乙川(おとがわ)に架かった前田橋からさらに下流へ辿りました。

前田橋上から下流の南に流れる乙川を見下ろすと、前田橋の上流側では7m幅だった川幅が5mと狭くなり、その分、乙川の流水の速度は上がっているようだ。

千万町町柿平 乙川

護岸の石垣は右岸(上記写真右側)だけ10mほど続いているが、左岸は土手に変わっている。
前田橋脇から乙川の左岸に沿って、農道があるので、乙川を辿ることができると思い、入っていったところ、停まっているダンプカーのすぐ先で行き止まりで、先は水田になっていた。
乙川の流れて行く先には帯状になった美しい森が右手(西)に向かって続いている。
その森は樹高も高いのだが、上記の地形図を見ると、尾根の連なる山が立ち上がっているようだ。
やむ無く、県道333号線に戻り、乙川と並行して西に向かう333号線を下流に辿った。
ところが80mあまり走ると、左手に位置する乙川に向かって延びる農道が枝別れしていたので、その農道に入ると、30m以内で乙川の右岸に沿って延びる農道に入った。
農道の右手は畑地になっている。

乙川の下流方向を見ると、農道が沿った場所から川幅が8mに広がり、堤防の右岸(下記写真右側)の土手の角度は極端に緩やかになり、左岸の土手は右岸より傾斜が少し急になり、高水敷(水が被る河川敷)が設けられている(上記地図内「柿平1」部分)。

千万町町柿平 乙川

右岸の土手と左岸の高水敷は雑草が伸び放題になっている。
川幅は広がっているが、土手が広い分水面幅は逆に狭くなり、3m幅で流れている。
川幅は南に向かっている間、広がっていき、最後は9m幅まで広がった。
両岸の田畑は千万町棚田と同じように背の高いワイヤーネット柵が巡らされている。

乙川右岸を80mも走らないうちに南に向かっていた乙川は南西に向かってカーブしていた。
そのカーブを曲がり終えた場所(上記地図内「柿平堰」)の乙川には堰が設けられており、水面幅は7mほどに広がり、高さ3mほどの落差で水が下に落ちていた。

乙川 柿平 堰

落ちた水は2番目の堰で6mほどプール状になっているが、2番目の堰からは、さらに1.5mほどの落差で水が落ちている。
合わせて7.5mほどの落差になり、深い谷になっている。
プール状の部分と2番目の堰の下には巨石が落ちていた。
鉄砲水が出た時に流されてきたものなのか、左岸(上記写真向こう岸)の山から落ちてきたものなのか。
2番目の堰の下は9mあった水面幅が6mほどに狭くなっている。
その川床には人為的な石が不作為に並んでいるが、流水の速度を落とすためのものなのだろうか。

この堰の10mほど下流から谷は浅く戻り、水面幅は3mほどに狭まり、帯状の堰を連ねて階段状にしたような川床に変化した(上記地図内「村上階段状川床」部分/手前が川下)。

千万町町村上 乙川

こんな川床は初めて見るものだが、流水の速度を落とすのが目的だろうか。
両岸の緩やかな土手にもコンクリート・ブロックが縦列で並べられ、筋状に見える。
この階段状の川床だが、次の水路の落差のある場所(上記地図内「村上階段1」)のすぐ上流まで90mあまり続いていた。

ここまで3m幅だった水面幅は次の段差で10m幅に広げられていた。

千万町町村上 乙川 落差

上流にあった2段の段差からここまで100mあまり。
ここの段差に堰は設けられてなく、川床が広げられている上の段には人為的に加工された石が並んでいる部分もあり、上流から転がってくる石のストッパーの役割をしているようだ。
だから、上の段には転がって来たと思われる石が見られるのだが、段差の下には両端に片付けられた大きめの石が見られるものの、中央部には石が一つも見えない。
ここの段差の落差は1.5mほどで、段差の前後部分だけ両岸はコンクリートで護岸されていた。

コンクリートで護岸された部分を過ぎると、両岸は再びコンクリート・ブロックを筋状に並べた土手に戻った(下記写真手前が川上)。

千万町町村上 乙川

この部分には左岸(上記写真左手)から幅1mほどの水路が合流しており、その水路の川床は大粒の砂利で溢れ、乙川内に砂利が流れ出している。
このあたりで川幅は15m以上に広がり蛇行している(上記地図内「村上3」)。

さらに乙川に沿って下流に向かうと、土手のコンクリートブロックが消え、土の土手に変わった。

千万町町村上 乙川

上記写真は上記地図内「村上乙川」部分を上流に向かって撮影したもの。
川床の広がった段差からここまで240mほどだ。
もう一つの変化は川床の両端の土手の裾から川床に掛けて水平に近い角度で石垣が設けられたことだ。
そして両岸とも、その石垣の下部は水没し、上部は土手の土に埋もれ、2列の石だけが露出していた。

上記撮影場所から100mあまり下ると、鉄製の主桁(しゅけた)に丸太を並べただけの(村上)無名橋が架かっていた。

千万町町村上 乙川 無名橋

すぐ下流に堤が見えている。
個人、あるいは複数の家で必要があって架けた橋だと思われる。
橋上から撮影しようと、丸太に乗ると風化がひどく、丸太も乗せてあるだけなので、進む一歩づつで異なった方向に体がグラ付き、丸太はバキバキ音がする。
カメラ片手じゃ咄嗟の体勢が取れそうにないので、橋の真ん中まで出て行くのはあきらめた。

村上無名橋を咄嗟の時に土手に飛び降りできるギリギリの場所まで出て、下流側を撮影した。

千万町町村上 樋門/乙川 堰

無名橋の下流15m以内に堰(地図内「村上堰」)が設けられているので、堰までは水が溜まっており、堰のすぐ右手前に青くペイントされた樋門が設置されている。
前田橋以降、ここまで2ヶ所に堰が設けられていたのは流水のスピードを落とすのが目的ではなく、乙川沿いの水田に給水するためであることに気づいた。
樋門の枠が土手を少し下がった場所に設けてあるため、柱は土手の上に突き出ているのだが、バイク上からは樋門であることに気づかなかったのだ。
この堰の下流に再び川床の幅が狭く戻されている場所があるのが見える。

この堰から下流に大きな変化が無く、乙川沿いの農道を一気に530mあまり下ることになった。
そこには県道334号線が渡る千万町橋が架かっていた。
千万町橋上から上流側を振り返ると、50m以内に2段の段差があり、そこから再び水面幅が6mほどに広げられている。

千万町橋上から乙川上流を眺望

それに伴い、緩やかな土手は右岸(上記写真左側)が垂直に近いコンクリート壁、左岸がコンクリートブロックの石垣に変わっている。
川床が広がった結果、土の堆積が増え、そこに葦が繁殖するようになっている。
その結果、水面幅は上流の水面が3m幅の部分に近いものになってしまっている。

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川に堰が設けられた場所があると、水がプール状になり、水が透明であれば、川床が見通せるようになり、癒される空間が出現します。ですが、堰を設けるのはそれが目的じゃないんですよね。

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