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御用地遺跡 土偶 20:墓地になった墳墓

安城市の藍染古墳(あいぜんこふん)から南南東470m以内に位置する印内北分(いないきたわけ)1号墳に向かいました。

●後頭部結髪土偶

1MAP印内北分1号墳

碧海台地の東縁上を走る県道286号線から住宅街を抜けて堀内川の形成した開析谷(かいせきこく)に下りた。
開析谷とは地形が侵食されて細分化されてできた谷のことだ。
その開析谷1つを形成している堀内川を渡って対岸の農地を通り抜け、住宅街に入った。
その急な坂道になっている路地を登ると左手に墓地があり、その路地沿いの墓地の入口脇にコンクリート板の垣根で囲われた塚があった。

1印内北分1号墳

上記写真は真北側から撮影したもの。
教育委員会作成の『桜井古墳群保存管理計画書』によれば、塚のある台地の標高は11〜12mで、直下の農地と住宅街の比高差は約2mだという。
塚の上には石垣の基壇が組んであって、6基の石碑が並んでいる。

2印内北分1号墳

6基の石碑は墳上の中央にあるように見えたが、航空写真で確認すると、墳上の北側の端に設けられていることが判った。
見えているのは裏面らしく、墓石のようだが、反対側には個人住宅が密接しているのと、墳上に上がることができないので、石碑の表面は見ることができない。

『桜井古墳群保存管理計画書』の2010年の確認調査によれば、印内北分1号墳の規模は南北約10m、東西約10m、高さ1.7 mの古墳とされ、墳頂部は広い平坦面となっており、中央部に0.5mほどの窪みがあるという。
規模からすると円墳の可能性が高いが、墳形は「不明」となっている。

下記写真は北東側から撮影したものだが、

3印内北分1号墳

墳上左手や左奥に複数の旧い石碑が点在している。
『桜井古墳群保存管理計画書』には「埋葬施設」に関して以下のようにある。

1号古墳の墳頂部中央に花崗岩が1枚露出していたとされ、現状でも花崗岩数点がみられる。また、墳頂部の窪みから横穴式石室の存在が想定されるが、詳細は不明である。

墳頂部の花崗岩に関しては上記写真の白波線内の2基の石碑の間に黒っぽい石が露出しているのが見えるのみで、他は確認できない。

路地に出て南側から撮影したのが以下の写真だが、路地に向かって墓石が並んでおり、もしかすると、ここの墓地の始まりは、近代になって、この墳上を墓地として使用したことから始まったのではないかと思われる。

4印内北分1号墳

上記写真の墳墓の向こう側に見えるのは新幹線の高架だ。

『桜井古墳群保存管理計画書』には印内北分1号墳の築造時期に関して、「横穴式石室であるなら古墳時代後半期の古墳であるが、確証はない。」とある。
出土遺物に関しては「明治初年に盗掘され、刀剣・玉類が出土したことが伝 わる。所在は不明」とある。

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印内北分1号墳に関する情報も少ない。

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