御用地遺跡 土偶 2入墨人面文
愛知県安城市(あんじょうし)の御用地遺跡から出土した後頭部結髪土偶とは一体何なのでしょうか。
さて、後頭部結髪土偶がお魚なのか人間なのか顔面を観てみよう。
顔面の明快なパーツは両目のみで、造りとしては丸い穴が貫通しており、目が両端で、しかも、顎に近いところにあるのは人間ぽくはない。
人間に見せるためには目を天地の上側に持っていく必要がある。
それで天地逆にすると、置けなくはなる。
もともと、置いて使用したとは限らない掌に乗るサイズと形態をしているから、置物というよりもポータブルなオブジェと考えれば、上記写真のような向きでない可能性もある。
天地を引っくり返すと以下のようになり、表情はイカツくなるが、魚より人間の顔に近くはなる。
そして首は胴に嵌めるような形態にも見え、結髪は襟足を関取のように後ろに延ばしたヘアースタイルとも受け取れる。
もう一つ、両目が貫通しているのは下記の仮面の女神のように、仮面である可能性もあるのではないだろうか。
顔か仮面かはさておいて、顔面には目の他に✖️形に横線を加えて引いた、入墨とされている装飾沈線が入っている。
これは以下の前の記事で紹介した本刈谷貝塚 土製品とも共通点があります。
上記記事で考察したように、顔面の装飾は「魔を防ぐ」呪詛の記号である可能性も考えられる。
以上のように後頭部結髪土偶に関して様々なことを考えていたのだが、御用地遺跡に伴って、安城市内の他の主要な遺跡を巡り、東町の亀塚遺跡を訪れた時、そこにあった案内板に以下の入墨をしたと思われる顔面を装飾した、ほぼ完全な人面文壷型土器(弥生時代終末期=およそ1,700年前)の写真(小川忠博氏撮影)が掲示されていた。
後頭部結髪土偶より400年〜600年新しいものだ。
上記写真の入墨と思われる人面文の模様は『進撃の巨人』に登場する巨人のような筋肉を露出した表現をしたものなのか、あるいは頭部のチャクラのエネルギーの流れを図式化したものなのか。
そして、いずれにせよ、人面文壷型土器の人面文の入墨と思われる模様が記号化されたものが後頭部結髪土偶の顔面の装飾文ではないかと思われる。
ただ、記号化された方の後頭部結髪土偶の方が人面文壷型土器の人面文より旧いから、両者に影響を与えた人面文が弥生時代前期以前に存在していたことになる。
それらの人面文の影響を受けたのか、あるいは他人の空似なのか『鬼滅の刃』の複数の鬼たちに入墨と思しき肌への装飾文(死化粧?)が見られるが、中でも猗窩座(あかざ)の顔面の人面文は人面文壷型土器の人面文と相似なものだ(以下図版:キャラクター商品)。
そして、人面文壷型土器の人面文と相似なものは猗窩座の人面文だけではない。
香川県の古墳時代後期の仙遊遺跡(せんゆういせき)から出土した箱式石棺の蓋石に相似な刺青を持つ人面文が見られる。
もし、後頭部結髪土偶の人面と仙遊遺跡蓋石の人面文が同じものなら、この人面文は少なくとも400年〜600年間使用され続けたものである可能性があることになる。
『仙遊遺跡発掘調査報告書』(奈良文化財研究所)によれば、この人面文は「被葬者に対する守護・鎮魂的意味を持って、あるいは、封鎖を目的として施されたもの」と見られている。
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仙遊遺跡からは石棺蓋石の人面文と共通した文様を施した壷の破片も多数出土しており、この人面文は何らかのものを統一するシンボルマークだったのか、あるいは単に故人を偲ぶ思いが重なったに過ぎないのか。
その人面文が香川県仙遊遺跡と愛知県亀塚遺跡を結びつけている。
人の移動があったのか、単に壺だけが流通されたのかははっきりしていない。
ただ、仙遊遺跡では亀塚遺跡のような完全な壺は出土していないようだ。
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