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麻生田町大橋遺跡 土偶A 101:龍神の水

豊橋市賀茂町 賀茂神社の表参道の西60m以内に、賀茂神社の摂社である貴船神社(きふねじんじゃ)が祀られていました。

貴船神社は賀茂神社の大鳥居と並行した位置に朱の八幡鳥居を持っており、鳥居のすぐ先を東西に延びる脇参道が横切っています。

その脇参道の奥70m以内に横に長い屋根を持つ社殿があり、その社殿の前にはノムラモミジが葉を紅葉させている。
そのノムラモミジの脇の奥、40mほどの場所に神前幕を張った拝殿らしき建物が望める。

鳥居をくぐって、脇参道を超え、ノムラモミジの脇を抜けると、30mほどで三段しかない石段に到達する。

石段下には左右に1対の雪洞。
石段の上には左右に1対の石灯籠。

石段を上がって、石段正面の拝殿前に出ると、30cmほどの高さの石垣を巡らせた土壇上に瓦葺切妻造平入の拝殿が設置され、正面に白地に五三の桐紋を染めた幕が張られていた。

これは神前幕ではなく、豊臣氏の陣幕を流用したものだ。
神紋が4つ入っているのはそのせいだ。
もちろん、豊臣家と何らかの関係のある神社なのだろう。
拝殿の正面は板壁に覆われ、中央部に2間幅の板戸が立てられ、板戸の前には木製の階段が設けられている。
拝殿の袖に延びる白壁の回廊にはブルーシートが掛かっていて、メンテナンス中なのだろうか。
よく見ると、幕の向かって右側の地面に白地に「貴船神社」と墨書きされた社号標が転がっている。

参拝するために階段下に立つと、階段の一番上の段に水を入れたガラスのコップが5つ並べられていた。

水は龍神に奉納するものだ。
この貴船神社も「摂社」だという情報しか見当たらない。
貴船神社の総本宮は京都市に祀られた貴布禰(きふね)総本宮 貴船神社だが、祭神は高龗神(タカオカミノカミ)となっている。
「龗」の中に「龍」が入っているように龍神である。

拝殿の階段下で参拝した。
拝殿前から右脇に回ってみると、白壁の回廊越しに銅板葺流造の本殿が見えた。

妻側の板壁は板の継ぎ目を感じさせない。完全に平らな板壁に屋根の軒下部分に軒に沿って黒鳶色の懸魚(げぎょ)や桟を一体の妻飾りにした、シンプルだが特色のある、おもしろい建物だった。

ところで、貴布禰総本宮 貴船神社の神紋だが、やはり葵紋で中でも賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)の神紋にイメージの近いものだった。

ここまでイメージが近いと、貴船神社も賀茂氏と関係があると思わざるを得ない。

賀茂町 貴船神社の手水桶の脇に「本宮山遥拝所」と墨書きされた素木の立て札が立てられていたが、立ち入り禁止になっている場所の奥に倒壊した遥拝所らしき朱塗りの木材が折り重なっていた。

現在は社叢が生い茂っており、本宮山をここから遥拝するのは無理な状況になっている。

貴船神社から賀茂神社の表参道には戻らず、貴船神社の参道を突き当たりまで南に下り、そこから賀茂神社の表参道に降った。
ちょうどそのあたりの表参道から社叢の中を東に下っていくと、神山古墳が森の中にあった。

周囲に接近する樹木に囲まれていて、全体像の撮影は不可能だった。
豊橋市の案内板『神山古墳』には以下のようにあった。

この古墳は円墳で、墳丘の東側と南側が旧間川(あいだがわ)にけずられて急な斜面となっていますが、ほぼ完全な形で残されている市内では貴重な古墳です。規模は直径28m、高さ3.5mで円墳としては県内有数の大きさです。
造られたのは6世紀前後と考えられ、 豊橋市北部をおさめた有力者の墓と推定されます。 かつて、この古墳の付近には前方後円墳と伝えられる弁天塚古墳や大塚古墳(埴輪が出土) を始めとするいくつかの古墳がありましたが、 現在残っているのは神山古墳だけです。
この古墳は、別名「竜神古墳」とも呼ばれています。 これは古墳の周囲にかかる霧が竜のような姿になって昇天すると言われるとこ ろからつけられた名前です。

墳頂から東側を見下ろしてみたのですが、現在はここから間川までは230mあまり離れており、視認はできなかった。

社頭を出て、賀茂たいこ橋上から東を見下ろすと、しょうぶ園内水路の東端に樋門があるので、観に行った。

この樋門はしょうぶ園内水路から池に水を落とすための水門のようだ。
しょうぶ園内水路と池は牟呂松原幹線水路とは繋がっていない、独立した水路のようだ。

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賀茂町 賀茂神社の紹介はこれで終わりです。
ここから、時間軸は最初に賀茂神社にやって来てカメラのバッテリーが無くなった日に戻ります。

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