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麻生田町大橋遺跡 土偶A 70:巻藁舟を組む

レイラインAGの最後に津島市に存在する津島神社総本社の祭を紹介します。
7年前に初めて津島市に存在する津島神社総本社を目的に津島市にやって来た時、天王川公園の周囲は町をあげて大きな祭の準備が行われていました。その祭は前年度にユネスコ無形文化遺産に登録された「尾張津島天王際」でした。遺跡・旧跡名と住所以外のことを前もって調べて遺跡にやってくることは無いので、偶然でした。祭の正式名も内容もユネスコ無形文化遺産に登録されたことも知りませんでした。ただ、津島の天王祭で、「巻藁
(まきわらぶね)」と呼ばれる提灯舟が他の祭の山車や大神輿に当たるものであることは知っていました。
その日の津島市の道路は全てが歩行者用道路のような状況で、天王川公園の周囲には縁日が立ち並んでいて、愛車で津島神社に近寄ることは不可能で、津島神社に参拝するのは後日に変更して、祭を見学することにしました。モーターサイクルを駐める場所が見当たらないので、天王川公園の南に広がる畑地の中の、徒歩5分ほど離れた農道に愛車を駐めて、天王川公園に戻りました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP津島神社

2MAP津島天王祭

下記写真は今年の3月初旬に天王川公園の北岸に存在する御旅所の社殿前から、朱の伊勢鳥居越しに巻藁舟が出る丸池を望んだもの。

1天王川公園

この日の丸池には鴨がやって来ていた。

2丸池鴨

丸池の中には橋で渡って行ける下記写真向こう側の大きな中之島と、下記写真手前の神社の祀られた小さな島(名称不明)が浮かんでいる。

3丸池神社

手前の石垣で護岸された小さな島には朱の伊勢鳥居が南東向きに設置され、素木板の瑞垣が巡らされているのだが、岸からは瑞垣の中には何も無いように見える。
この島には鶏なのか川鵜なのか、鴨より大きな鳥の姿が見えていた。
社叢は中木の常緑樹の上を高木の落葉樹が覆っている。
この島に関する情報は現場にもネット上に見当たらず、不明なのだが、鳥居の向こう側は津島神社の方向なので、もしかすると津島神社の遥拝所になっているのかもしれない。
そして、津島天王祭で使用される島らしい。

7年前の宵祭(巻藁舟の出る祭)の日、愛車を駐めた場所から天王川公園の天王川に戻り、上記地図内の「見学ポイント」の堤防上に陣取った時は午後の3時くらいだった。
津島天王祭は宵祭の前後3ヶ月に渡って行われる、500年以上続いてきた神葭神事(みよししんじ)だが、「葭(ヨシ)」とは葦(アシ)のことだ。
「葦」は「悪し(あし)」に通じるので、御神事では「葭(良し)」に言い換え、それが一般にも定着している。
神葭は津島神社本殿に1年間お祀りされた葭で、天王川が封鎖されず、海につながっていた時代には下流に流され、漂着した場所で祀られたが、三河や遠州(静岡県)にまで流れ着いた記録があるという。

それはともかく、この時間にはすでに紺地に津島神社神紋の木瓜紋(もっこうもん)を白抜きにした幕と錦糸で花菱模様の織り込まれた幕の巻かれた祭舟である、車楽舟(だんじりぶね)は組み上がっていた。

4巻藁船.JPG

車楽舟は地元民は単に「車」と呼んでいるようだ。
車楽舟には2段の屋台が組まれており、能人形などの置物が飾られているという。
車楽舟は2叟の舟に板を渡して組んだ双胴船で、普段は上記写真の水上に存在する石垣を組んだ小島に上陸させ裏返しにして格納されている。
この5叟の車楽舟を組み上げる場所は「車河戸(くるまこうど)」と呼ばれている。
津島市本町には戦国期から五ヶ村が存在したことから、その五ヶ村がそれぞれ、車楽舟を保有してきたという。
車楽舟には1艘ごとに船長(?)に当たる「車屋」がいて、舟首に置いた床机に腰掛けるが、江戸時代には祭期間中、車屋には苗字帯刀が許されていたという。
車楽舟には稚児(ちご)、囃子方(締太鼓・笛・太鼓)、乗り方衆、祝司らが乗船し、天王川を奏楽しながら漕ぎ渡ることになる。

この時間帯(午後4時)にはまだ車楽舟に提灯を組んで巻藁舟とする作業は始まっておらず、舟の上には3m以上の高さの櫓(やぐら)が組まれているのみだ。

5巻藁船

櫓の上に見える丸い輪は鉄でできており、提灯の竿を挿せる仕組みになっている。

夕刻5時、陽が落ち、マジックアワーの時間帯になると、天王川の堤防には人が増えてきたが、もっと混み合うのかと思っていたものの、見学したポイントは混雑によるストレスの無い絶好の見学ポイントだった。

6津島天王祭夕刻

みんな、巻藁舟の提灯組み作業が始まるのを待っている。

陽が完全に落ちた午後7時ころから提灯組み作業が目の前で始まった。

7巻藁提灯

櫓の上にいる組み方衆に櫓の下の組み方衆が竿の先に着いた提灯のロウソクに灯を入れて1本、1本手渡すと、その竿を櫓の上の組み方衆が手際よく鉄の輪に差し込んでいく。

8巻藁提灯

時折、ロウソクの火が提灯に燃え移ると、その竿を持っていた組み方衆は、提灯部分を池に落として火を消し、別の竿を用意している。

提灯は1年を現す365個を同心円状、半球・山型に並べられるが、下記写真はその山形の向こう側半分あまりが組み上がった状態。

9巻藁船

1時間あまりで5叟の巻藁舟が組み上がると以下のようになる。

10巻藁船

やがて、乗り方衆の乗った、それぞれの巻藁舟は動き出し、天王川を漕ぎ出し丸池の方に向かうのだろう。

11巻藁船

12巻藁船

巻藁舟が漕ぎだすのは午後9時ぐらいになるという。
すでにこの堤防で4時間も立ちっぱなしで、食事もしていないので、帰途に着くことにした。
巻藁舟が丸池に出れば、提灯の灯火が水面に映り、幻想的な光景が観られるのだろうが、その幻想的な光景は幼児期に父親に連れて行かれた熱田祭で観ており、未だに記憶に刻まれている。

初めての津島天王祭宵祭は巻藁舟の提灯組みだったが、おそらく、津島天王祭でもっとも見応えのあるのが、陽が落ちてから行われる、この提灯組みだと思われる。

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津島神社境内に掲示されている案内板によれば、翌日の日曜日には提灯は外され、模様替えされた車楽舟となり、朝祭の「川祭」が行われるそうです。
ところで、レイラインAGの特色は、何と言っても津島神社の総本社がまともに存在することですが、ほかには複数の古墳が存在することも、このレイラインの特徴と言えます。巻藁舟の提灯の山型の灯火と円墳が相似なのは偶然なのか、必然なのか。双方は“
祭る”ということで通底している。


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