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御用地遺跡 土偶 37:地蔵尊と弁財天

ここからは私見で土偶と関係があるとみている弁財天を祀った場所のうち、矢作川西岸に位置する弁財天社を巡ります。
まずは御用地遺跡の東側を南北に流れている鹿乗川
(かのりがわ)周辺から。

●後頭部結髪土偶

1MAP大友 弁財天社

安城市内の国道1号線を東に向かうと、御用地遺跡の南側にある岡崎街道との交差点から1号線は岡崎市に入る。
岡崎市に入ってなおも1kmあまり東に向かうと、県道26号線と交差しており、左折して両側に商業施設の並ぶ幹線道路26号線を北に向かうと、590m以内の右手に26号線に面した商業施設があり、地図ではその裏面に「大友 弁財天」と「東大友 地蔵尊」の表記があった。
26号線から東側に向かって路地に入るとすぐ、路地の北側には退色して緑のパステルカラーになったワイヤーネット塀が張られた砂地のスペースがあった。

1東大友 地蔵尊

松の巨木が枝葉を広げている。
愛車をワイヤーネット塀沿いに駐めて、ネット塀で仕切られただけの、この土地の中央にある塀の切れ目に立つと、正面奥には1対の常夜灯を持つ瓦葺切妻造平入の堂らしき建物がこっち(南)を向いており、ネット塀の切れ目脇に「東大友 地蔵尊」と刻まれた尊号標が建てられていた。
正面の建物は地蔵堂ということだ。

真っ直ぐ地蔵堂に向かうと、正面の縁台には造花だが、花が置かれていた。

2東大友 地蔵尊地蔵堂

地蔵堂の左手には滑り台やシーソーが設置されていて、公園を兼ねているようだ。

堂内には中央壇上に扉の閉まった旧い厨子が置かれており、その左右には地蔵菩薩の石仏が奉られていた。

3東大友 地蔵尊厨子石仏

厨子内にも地蔵菩薩像が納められているのだろう。
三河の平地では庚申塔や馬頭観音は少なく、石仏が奉られていれば、ほとんどが地蔵菩薩だ。

地蔵堂の裏面右奥に「大友 辨財天社」の社号標の設置された一角があった。

4大友 弁財天社

地蔵堂のある敷地の北東の角地だ。
塚があり、石祠が見える。

そこに行ってみると、水は張ってないが池があり、中央の島に渡る石橋が架かっており、島の中央に弁財天社が祀られていた。

5大友 弁財天社池

ここには地蔵菩薩と弁財天が奉られているが、それは偶然ではなかった。

金峯山(きんぷせん)修験本宗には要約すると、以下のような伝承が伝わっている。

役小角(えんのおづぬ)は、末法悪世に苦しむ人々を救うためにと、金峯山上で一千日の苦行を成し、衆生を救うための力強い神を求め一心に祈り続けました。
すると、地蔵菩薩が現れて来ましたが、あまりにも柔和なお姿なので、このような乱世にはふさわしくないと思い、さらに祈り続けていると、次には弁財天が現れましたが、「もっと強いお姿を」と念じていると、すさましいばかりの雷鳴と共に、青黒忿怒(しょうこく ふんぬ)の相の蔵王権現(ざおうごんげん)が火炎を背に出現したのです。
これこそまさに悪魔降伏にふさわしい神と感じ、そばにあった桜の木にお姿を刻み金峯山の山上と山下の蔵王堂におまつりしました。

以下の三体の蔵王権現大仏を奉った蔵王堂と地蔵菩薩を奉った桜本坊は奈良県吉野に現存し、

5B蔵王権現

弁財天が飛び去った天川村には天河大弁財天社が祀られています。
弁財天、地蔵菩薩と、身近に奉られていることの多い仏ほど、より庶民に親しまれているということなのだが、蔵王権現は滅多に奉られることのない仏です。
この蔵王堂の蔵王権現は開帳中に参拝に行ったことがありますが、極彩色に着彩された稀有な大仏であり、日本最大の秘仏が三体、片足で立って地面を踏み鳴らしており、凄い迫力でした。
基本的に60年に1度しか公開されない秘仏であり、現在の管長は現世を“乱世”と判断しているのでしょう、開帳の機会は増えています。
ちょうど、3月27日〜5月5日までは開帳されていましたから、吉野の桜とともに見ものだったと思います。

さて、大友 弁財天社周辺に河川がないか、地図を見てみると、大友 弁財天社の東8mほどの場所に南北に延びる緑道のような場所があることに気づいた。
東大友 地蔵尊の境内を出て路地を東に向かうと、水路・歩道・車道がセットになった道があった。

6旧用水路

水路は幅が1.5mもなく、河原石で美しく護岸されている。
この水路・歩道・車道がセットになった道は全体が用水路だったようだ。
用水路の周囲が水耕地から住宅街に変化したことで、用水路としての役割を終え、現在の形になったものだろう。
上記写真の水路と大友 弁財天社の社叢(上記写真左側)の間は、現在はウナギの寝床のようなトランクルームの私有地となっているが、かつては水路と大友 弁財天社の池はつながっていたのかもしれない。
写真ではこの部分で水路が大友 弁財天社側に寄せられている。

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大友 弁財天社が祀られる要因となった用水路を地図上で辿ってみたところ、トランクルームの北北東2km以内で矢作川から取水されていることが判りました。
一方、この水路はトランクルームから南西940mあたりまでは存在しており、県道26号線と国道1号線を超えてから地表から消滅していることが判りました。

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