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麻生田町大橋遺跡 土偶A 82:八幡宮なのに花菱紋

愛知県岡崎市天白町の天白神社から、県道48号線の渡橋で乙川(おとがわ)と矢作川(やはぎがわ)を渡り、対岸の西北西730m以内に位置する岡崎市の渡八幡宮(わたりはちまんぐう)に向かいました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP渡八幡宮

2MAP渡八幡宮

渡橋を渡ってマイナーな道を北上し、東海道本線の高架下をくぐると、その高架のすぐ脇の角地に南向きの渡八幡宮の社頭があった。

1渡八幡宮社頭

東海道本線の高架脇に沿った一般道と渡八幡宮の社地の間には玉垣や塀のような境になるものは無く、社頭には道路沿いに新旧の幟柱が建っているのみだった。
境内は砂地になっており、特に参道は設けられてなく、社頭の道路から10m以内に石造伊勢鳥居、そのすぐ手前には1対の旧い常夜灯。
鳥居の正面15mほど奥には石段と石垣を持つ土壇上に玉垣が巡らされ、その中に社殿が収められているようだ。

社頭脇の道路のデッドスペースに愛車を突っ込んで、社頭から境内に入った。

2渡八幡宮鳥居

拝殿は瓦葺の建物のようだ。

石鳥居をくぐって奥に向かうと、土壇下に1対の石灯籠、土壇上に2対の石灯籠が並んでいる。

3渡八幡宮拝殿

石垣の高さは1.5mほどで、その石組みは表面を平らに加工した、あまり観たことのない形式で、その組み方が美しかった。
9段の石段の正面奥に瓦葺入母屋造平入の拝殿が設置されている。
拝殿の正面の壁はすべて板塀で、格子窓の付いた板戸が締め切られている。

拝殿前に上がって参拝したが、社内にある案内書は渡八幡宮に存在する懸仏(かけぼとけ)大日如来を岡崎市指定文化財として紹介したものだけだった。
『愛知県神社名鑑』には以下の情報がある。

御祀神・【應神天皇】【保食神】【火之迦具土神】【大山祇神】4柱

建長年中(1249~56年)この地、数度水害に罹り社殿を流出する。止む無く御神体を民家の神棚に奉斎した。紀州国熊野の神官・鳥井法元道歓重氏の嫡男・忠氏、当地を領し居住し名を改め「渡伝内」という。伝内は社地を寄進し社地を盛上げ社殿を建て、民家の御神体を奉斎したという。武門の社で崇敬あつく、渡の総社を大宮とも称した。明治5年10月村社に列し、大正5年12月23日・字薬師畔20番の村社〈稲荷神社〉・字荒井43番の無各社〈愛宕社〉・字新田5番の無各社〈伊豆社〉を本社に合祀した。昭和16年9月29日・供進指定社となる。

渡伝内(八幡宮)とそれに合祀された神社と祭神の関係が以下のようになっている。

 八幡宮=應神天皇
稲荷神社=保食神
 愛宕社=火之迦具土神
 伊豆社=大山祇神

拝殿軒下に掲げられた扁額には「渡八幡宮」とあるが、地図上の表記は「村社八幡宮」となっている。

拝殿の西側に回ってみると、拝殿の裏面には窓の全く無い瓦葺で総板壁の渡殿と本殿覆屋が連なっていた。

4IMG_0060地蔵堂社殿

渡殿と本殿覆屋の間に板戸らしきものがある。

渡殿の大棟には2ヶ所に花菱紋を四角い枠内に収めた装飾瓦がはめ込まれていた。

5渡八幡宮神紋

「花菱」は唐花を菱形に和様図案化したものだが、「唐花」という花が存在するわけではなく、大陸の特定の花を図案化したものとする説もあるようだが、「唐風の花」という非在来のイメージを格好良いものとして、名称化したものだろう。
今でいうなら、Tシャツに英文を入れるようなものだ。
花菱は伊勢神宮の神紋でもあるので、八幡宮なのに鳥居が八幡鳥居ではなく、岡崎では珍しい伊勢鳥居になっていたことと関係がありそうだ。
もしかすると、神明社の社殿や石鳥居を流用したものだろうか。

本殿覆屋の裏面を抜けて、拝殿の東側に回ってみると、瓦葺切妻造棟入の地蔵堂が奉られていた。

6渡八幡宮地蔵堂

堂内を確認するまでは、立派な注連縄が張られているし、常夜灯も設置され、まさか地蔵菩薩が納められているとは思わなかった。

7地蔵堂地蔵菩薩

顔面は磨耗して、完全にのっぺらぼうになっている。
地蔵菩薩像といい、この神社に保有されている大日如来像といい、境内に石灯籠が多いのも、ここが神仏集合していた場所であることを示している。
地蔵堂には懸魚(げぎょ)も装飾され、蛙股には鶴に雲の浮彫装飾が施されていたが、この規模の堂には珍しいものだ。

8渡八幡宮棟飾

社頭の東100mあまりの場所に矢作川堤防上に上る登り口があったので、堤防上に上がってみた。

9矢作川下流

上記写真は下流方向を眺望したものだが、矢作川に架かっている東海道本線鉄橋が眺望を遮っている。
3月の下旬だったので、緑の草はほとんど生えてなく、川面までは遠く、堤防上からはほとんど見えない状況だった。
このあたりで、矢作川の川幅は500mあまり。
矢作川はこの堤防で日吉丸と蜂須賀小六が出会った場所であることから知られている川だが、想像していたより大河だった。

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ヘッダー写真は矢作川の上流側を眺望したものですが、このあたりまで来ると、山はかなり遠ざかっており、平地に降りてきたのが判ります。

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