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御用地遺跡 土偶 28:秋葉三尺坊の獅子塚

安城市の百塚古墳(ももづかこふん)から南東740mあまりに位置する獅子塚古墳に向かいました。

●後頭部結髪土偶

獅子塚古墳は鹿乗川(かのりがわ)に架かった秋葉下橋のすぐ西に位置していた。

1MAP獅子塚古墳

秋葉下橋という橋名は獅子塚古墳に祀られた東町 秋葉神社に由来している。
獅子塚古墳の南側には石造八幡鳥居が設置され、石鳥居の下をコンクリートでたたかれた表参道が獅子塚古墳に向かって延びており、山道の左側にはウラジロガシではないかと思われる葉を茂らせた巨木が幹を空に伸ばしている。
南から望む獅子塚古墳は墳丘をほぼ雑多な樹木で覆われている。

1猪子塚古墳

南々西から望む獅子塚古墳は墳丘の裾は雑草で覆われてはいるものの、土手を露出している。
墳丘上に茂っている樹木は高木が多く、獅子塚古墳を大きく見せている。
ここでも墳丘の北西の麓に、はるみみかんが鈴なりに成っていた。

2猪子塚古墳

一方、南東側から望む獅子塚古墳は多種多様な樹木に覆われている。
そこにはこの地域に多い松が2本含まれ、自然に生えたものだけではなく、人為的に植えられたシュロも見られる。

3猪子塚古墳

獅子塚古墳脇を通っている道路を隔てた向かい側の緑地には複数の桃の木や梅の木が植えられているから、その流れで、獅子塚古墳の麓にも手を入れたのだろう。

南側から北北東に延びる表参道を辿って獅子塚古墳上に向かうことにした。
道路沿いには「秋葉神社」の社号標が設置されている。

4東町 秋葉神社

鳥居をくぐると、参道脇には2対の石灯籠。

5東町 秋葉神社参道

年末ということで、カーブしながら上に延びる石段の麓に門松が設置されていた。
石段の上には社殿がのぞいている。
石段脇の墳丘の麓には教育委員会の製作した案内書『獅子塚古墳』が掲示されていた。

市指定史跡    昭和40年11月3日指定

洪積台地の端に位置し、前方部を南西に向け、全長55メートル前後の前方後円墳でしたが、明治年間に鹿乗川の堤防工事のため前方部の封土を削り取り、現状は後円部だけが残ります。後円部の高さは4.6メートルで頂上に秋葉神社があります。
面積は、2194平方メートルで、破壊された前方部の長さは、約28メートルに及びます。古くから獅子が北に向いて伏しているように見えるところから、獅子塚と言われ、この地の字名としても用いられています。

円墳かと思ったら前方後円墳だった。
この案内書からは鹿乗川に面した、道路を隔てた向かい側の緑地(南南東側)が前方部だったと推測できるが、現在の安城市の公式ウェブサイトには「前方部を南南西に向けた前方後円墳または前方後方墳であった可能性があります。」と、前方部が逆側にあった可能性が紹介され、前方部が削り取られた理由は紹介されていない。
そして、全長は60~70mではないかとしている。
そうであれば、この日寄ってきた二子古墳に匹敵する規模の古墳であったことになる。

石段を上がると、石畳の参道が延びており、その両脇には1対の常夜灯と1対の石灯籠。

6東町 秋葉神社

参道の突き当たりには瓦葺コンクリート造で格子戸が閉じられた覆屋が設置されていた。
周囲は社叢に取り囲まれている。

太い注連縄をくぐって参拝したが、屋内を見ると白壁に囲まれた奥に棚が設けられ、中央に秋葉神社、向かって右隣にも不明の祠が祀られていた。

7東町 秋葉神社

秋葉神社の前には珍しく1対の雪洞(ぼんぼり)が設置されており、軒から下がっている簾(すだれ)や左隣の紙垂(しで)と相まって、雅な雰囲気を醸している。
ここでも神社に関する情報は掲示されていなかった。
秋葉神社の総本社である浜松の秋葉山本宮秋葉神社の主祭神は明治以降、火之迦具土大神(ヒノカグツチのオオカミ)が当てられたが、江戸時代までは秋葉大権現として祀られてきた。
秋葉大権現とは実在の人物、秋葉三尺坊のことで、愛知県小牧市の佛心宗 福厳寺には以下の尊像が伝わっているようだ。

8秋葉三尺坊

袈裟掛けの僧衣を身に纏い、頭には帽子、左手には経巻、右手には錫杖(この尊像では折れている)を持ち,足には高下駄を履いている。
福厳寺の公式ウェブサイト(http://akiba.fukugonji.com/akiba-sanjakubo/)の紹介している秋葉三尺坊を要約すると、以下のような人物だったようだ。

秋葉三尺坊は長野県水土内郡隠村の岸本家に生まれたとされ、4歳〜10歳まで新潟県の蔵王権現堂で修行し、26歳の時、比叡山の千日回峰行を終えて大阿闍梨となり、蔵王権現堂十二坊のうちの第一である三尺坊に住持を務めた。
27歳の時、真言秘密不動三昧之法を修得し、人間七難八苦のうち、火難を救うべく身火心火の術と悟りに至った。諸国を遍歴して教えを説き、のちに現在の静岡県春野町にある秋葉山に脚を留めた。

秋葉三尺坊は不動明王の化身とされ、白狐に乗って神風のごとく移動すると言い伝えられている。

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獅子塚古墳の名称由来に関しても安城市の公式サイトでは以下のような二つの別説が紹介されていました。

・塚に獅子面が埋納されたため
・周辺にある姫塚古墳に葬られた姫君の乳母「いし」が葬られた「いし塚」から「しし塚」に転嫁された

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