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麻生田町大橋遺跡 土偶A 116:3人の埋葬された玄室?

豊橋市石巻本町に位置する馬越長火塚古墳群(まごしながひづかこふんぐん)の中心になっている馬越長火塚古墳の後円部の南側に愛知県下最長最大の横穴式石室の羨道(せんどう:玄室に向かう通路)が口を開けていました。

下記写真では石室の入り口左右に頭頂がギザギザした板状の立柱石(りっちゅうせき)が立てられているが、これが羨門(せんもん)。

羨門の手前の窪みが葬送祭祀の行われた前庭(ぜんてい)だが、ほとんど土で埋まってしまっている。
前庭からは多くの須恵器が出土しているという。
羨門の向こう側の窪みが玄室への通路である羨道だが、本来は在るはずの天井石が失われていて、羨道の向こう側の玄室の天井石と、それを支える左右の立柱石の先からが穴状になっている。

羨道の左手には馬塚古墳碑が立てられており、下記写真のように角丸の四角形の罫線の中に「馬越古墳」と古墳の名称が刻まれている。

現在の名称には「馬越古墳」に「長火塚」が追加されているが、この古墳が「長火塚」と呼ばれることもあったのだろうか。
長火塚の「長」が、この墳墓が長い前方後円墳を表していたのかもしれない。

下記図版は石室の立面図と平面図だ。

前庭を羨道に近づいて見下ろすと、前庭の土が羨道に崩れないようにする土留めの石が前庭の土を押さえ、石の急斜面になっていた。

この石は、前庭の土が羨道に崩れ込まないように、調査が始まってから設置されたものなのでは。
ほかの古墳では見たことのないモノだ。
それでも、吹き込んだ落ち葉で羨道の地面は覆われている。

羨道に降りると、下記写真のように写真では暗く見えるが、石室内は充分明るかった。

上記写真のように、副葬品が収められていたという玄室前室の入り口に当たる天井石は立柱石から浮いていた。
この古墳の石室が愛知県最長となったのは副葬品を収めるスペースが必要だったことから、玄室を前後2室設けたからなのだろう。
玄室前室は少し腰をかがめば、下記写真手前の部屋である玄室前室に入ることができた。

玄室前室の天井は奥に進むほど高くなっており、腰をかがめる必要は、まったく無くなった。
玄室前室の天井石は大きくてプレーンだが、側壁の石組みには周辺で採取できる石灰岩が主に使用されており、緻密さはなく、荒い組み方だった。
玄室後室の立柱石も単独では天井石に届いてなく、右側の立柱石には複数の石が組み合わせてある。
ここの立柱石の真上に後円部の墳頂は位置している。
石室が南向きであることから、外光は1枚岩の奥壁にまで届いており、ストロボを使用しなくても充分撮影ができた。

遺体が安置される玄室後室(下記写真)に入ったが、現在の室内には棺は置いてなく、木棺が使用されたものとみられている。

玄室後室の奥壁の表面はプレーンで、荒い側壁から際立っている。
玄室後室からは人間の骨片が出土していて、少なくとも3人がここに埋葬されたとみられている。

玄室後室の天井石は3コの巨石が組み合わされているが、下記写真のように奥壁上の天井石も奥壁同等の巨石が使用されていた。

下記写真は玄室後室内から入り口を撮影したもので、唯一ストロボ撮影したものだ。

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次の記事では馬越長火塚古墳の前方部の様子と、この古墳から出土した副葬品を紹介します。

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