なんか嫌な日

今日は大井町のユニクロで、適当に「履きやすそうだな」と思ったズボンやスカートを3着買った。

バギージーンズとかハイライズジーンズとか色々なジーンズの種類があってよく分からず、
「名前が長い方がお得感ある」というアホみたいな理由でボーイフレンドテーパードジーンズを買った。


いつまで私はこういうものがよく分からないんだろうと悲しくなった。

多分一生分からない。
今、分かろうとしていないのだから、分かる瞬間などくるはずもない。


その後、せっかく外に出たから美味しいものでも買って帰ろうと阪急百貨店に向かった。
1階にある大井食品館が、ちょっとデパ地下っぽくなっていて、美味しいものが色々売っている。


向かう途中、ふと真っ黒な空を見ると、
細い月と、星が直線上に並んでいて、すごく綺麗だった。

あ! 写真に撮りたい

と思ったけど、人通りも多く、
「あの人、月撮ってる」と思われるのが恥ずかしくて、
スマホを取り出せないまま大井食品館に着いた。


でかい卵焼きと、湯葉を揚げたようなやつを買った。

今朝起きた時、膵臓のあたりがズキッとしたので、
「今日はお酒を飲むのをやめよう!」と決意したけど、
でかい卵焼きと、湯葉を揚げたようなやつを買った瞬間に、
「飲もう!」という気持ちに切り替わった。

どこまでも意志が弱く、変わる努力をしない奴め。


だめだ。服も分からなくて。
月も撮れなくて。酒もやめられなくて。
こうやって、自分は劣っていると感じたまま生きていくんだろうなぁ。
今年も変わらず。
劣っていることを改善する方法は知ってるはずなんだけどなぁ。
周りの大人たちが教えてくれるし。
それを実行しないっていうヤバさ。

イヤホンを忘れて何にも聞けないせいで、
心の中で自動的に流れる自分への批判を黙って聞きつつ、

あ? なんかこういう心の声が周りの人に聞こえちゃうドラマを
子供の頃に見た気がするぞ…
と思ってすぐに調べたけど分からなかった。
大好き!五つ子的な枠だったと思うけど、なんだろう。


駅に向かう。


駅に向かう途中、月に向かってスマホを掲げているサラリーマンがいた。

信号待ちで。
さっき、私が月を撮りたいと思ったまさにその位置で。
真っ直ぐ肘を上げて、スマホで月を撮っている。

それを見た時、なにも恥ずかしくなかった。

月を撮っている彼に対して、良い感情しかない。
月を素敵だ、綺麗だと思ってそれを自分のスマホに収めようとしている行動に対して、良い感情しかない。

さっき自分は「『あの人、月撮ってる』と思われるのが恥ずかしい」と思って撮ることをやめたけど、
「あの人、月撮ってる」と思われたとして、何が恥ずかしいんだっけ…

分からん。
なんとなく思っただけだったんだな。

誰も私のことなんて見てないのに、
そんな自意識ばかり膨らんで、かわいそうに。


帰り道、
旅行先でカメラを首にぶら下げながらも、
他に人がいる場所ではカメラを構えられない自分の姿を思い出した。

撮りたいものを見つめながら、カメラを構えられない、情けない姿。

周りの人に「写真撮ってる」と思われるのが恥ずかしかった。

これは、一時期「首からカメラをぶら下げている女子」を斜に構えたような目線で見る時期が自分にあったからであって、
いざ自分がカメラを首からぶら下げた時、あぁそんな目線なんか絶対に持つべきではなかったと思った。

斜に構えたような目線。偏見。
「プロでもないのに、カメラをこれ見よがしに持って、自己満足してそ〜」
と当時うっすら思ってた。ふわふわ女子とか。森ガール気取ってるとか。
正直、今だってそういう思考が全くないわけではないから、
「撮るの恥ずかしいな」とか思うんだろう。

いや、「全くないわけではない」どころか、
私なんて、偏見に溢れている。
斜に構えすぎて誰も目を合わせてくれなくなっている。
ずっとキョドキョドしている。目をどこに向けていれば正しいのか分からなくなっている。

偏見や、嫌な目線ばかり持っているから、自分も何もできなくなっている。
自分がそうしたいと気がついた時に苦しむ羽目になる。

TikTokで踊ってみたくても無理。撮影可能な美術展で、まるで自分が主役みたいに作品の前に立ってインスタ映えする写真を撮るのも無理。どちらかといえば撮りたい、自分大好きだから。でも無理。
スタバ店内でフラペチーノ撮るの無理。私は撮りに来たんじゃなくて「味」を楽しみに来たんですよっていう謎の演技する。香水を細い紙につけて嗅いでみるの無理。チェーン店で牛丼のつゆの量とか調整してもらうの無理。

したくても無理。


なんか書いてて嫌だな、ずっと嫌だね〜。
嫌な自分だ。可愛げがない。

とりあえず、でかい卵焼きと、湯葉を揚げたようなやつ食べます。


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