もう一浪?、後ろ髪をひかれてしまう

今月、四年間続けて挑戦した大学受験に落ちて、同月、プログラミングの説明会に参加。就職まで支援してくれる研修に入学することが決まった。

いざ、入校が決まって就職への道が現実的になると、申し訳ないないけれど、やっぱり大学受験に未練があることに気付いた。それまで私のスタンスは、

「四年も受験して、頑張った結果落とされた。」

だった。

だけど今は、冷静に、四年間とか、何年浪人したかなんて、関係ないと思う。
5年、6年、7年がんばって受験している方もいるし、なんなら結婚して、お子さんがいらっしゃる方も挑戦している。30代から受験に挑戦している方もいる。定年退職されて、年金を貰っている高齢の方も挑戦している。
逆に大学を中退された方も世の中にはたくさんいらっしゃる。
浪人した年数よりも、そこで得た知識や経験、確かな実力が一番大事。
気にしているのは世の中であって、世の中が勝手に年齢で人を差別している。
現役の受験生の方も勿論がんばっている。だけど上記で述べた様々な状況の中で、社会的にイレギュラーの中挑戦している方々も、実は、真剣に本気で受験に挑戦しているのだ。
世の中の大半がそういう挑戦をしてこなかった方のほうが多い。だから大半の人が無理だと言う。
だけどそれは、その大半の人の価値観でしかない。少数派で受験をがんばっている方の価値観が完全に間違っている訳ではない。

逆に、一概に、「多浪にはもう受験を諦めた方が良い」、「社会人になってから受験なんて」と思っている人の視野が狭いだけだし、そういう方は、そんなに人の事を心配している余裕があるのか?。そんなに自分の人生が上手くいっているのか?。
……割と挑戦していない人が挑戦している人に対して口出ししているだけなのかもしれない。
面白い。そう仮説すると、ただ単に、挑戦している人に干渉的な意見を持っている人は自分の事を客観的に見れていないだけだったのかもしれない。
挑戦しない人が挑戦している人に対して否定的な意見を言っても何の意味もない。だって挑戦してこなかった未経験者の否定的な意見なんて、素人で何の知識もない人の意見と同じだろう。真に受けとめる必要はどこにあるのか。アドバイスは言えても。

経験上、主張が強い人はバイヤスが強くて、視野が狭い傾向にある。
でも主張が強いから、まるでその人が正しいように錯覚する。流される。
考えないと気づかない本質。

まぁ確かに、世の中の大半の意見が全て間違っている訳ではないと思う。そこにはちゃんと真実もある。大半の方が生きてきた経験上の意見なので。
ただそれはそれで受け止めて、皆んなそれぞれ好きなように生きていけばよいと思う。勿論責任は伴うけれども。責任を伴うから好きに生きれる。

私の就職の話に戻すと。

「四年も費やしたのに諦めてしまうの?」

というのが世の中の意見。

でも私は年数へのこだわりよりも、そこで得た知識と身につけた技術に満足したからやめただけ。
受験生時代は精神的にも、技術的にも課題や試練が絶えなかったけど、自分の欠点に対して攻略を考えたり、試行錯誤して解決していく事は楽しかったし、充実していた。
もう一浪しても恐らく楽しめてしまう。
それはもう一連の流れとして攻略出来たからだと思う。
大学には合格できなかったし、浪人をどう過ごしたかの証明書がないのでぱっとこないけれど、
結果として合格できなかったけれど、そこで得た技術と知識、精神的な鍛えは今後自分の役に絶対に立つはず。流石にただ四年間同じところを足踏みしていたわけではない。そう見えていても。

そう思うとさっさと次のステップに進まねば。
また、自分に出来ていない事を探る為にちがう世界に飛び込む。その為の経験に就職を決意した。

就職っていうとマイナスなイメージしかないけど、一度は経験しなければもったいない。

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