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泣いてはいけない

 母は、私が泣くことを許さなかった。
幼い日、ちょっとした事で兄達にからかわれて、真に受けた私は許すことが出来ず、声を上げて泣きながら、本気で家を出ようと、あてもなく道路を歩いた。その声に慌てて母が追いかけて、連れ戻されるのだが、その時母から言われた言葉は決まって、「泣くんじゃない」だった。母は私の気持ちを汲み取ろうとする事ができない人だった。
多分それは誰に対しても同じだったのだとは思う。

「泣く」という行為は、いや行為というより自然現象だとも思っているが、私にとっては心の浄化。まさに感情を洗い流すことなのだけれど、母はそれをみっともないことだと思っていたのだろう。

一番小さい頃の出来事では、乳児期にの頃のこと。当時父の生家で間借り生活をしていたので、母は農家の手伝いを子育てと共に担わされていた。未経験の若い母には、相当な負担だったのだろう。だから、赤ん坊の私が泣いて要求することよりも、舅兄嫁の顔色をうかがうことが何より大事なことだった。
 幼い私が泣いて母を求めても、それは母にとってとてつもなく厄介な事だったのだろう。

小学生になって、クラスに馴染めなくて、学校に行きたくなくて休むと言った時も、母は力づくで私を学校に行かせようとして、泣けば泣くほど、母は強引に父の車の中に私を押し込んだ。学校についても泣いていても、母は私に容赦なかった。

私が嫁いで最初の子の妊娠を中絶しなければならなかった時も、生きてはいない子を産み出さなければならない時の陣痛の最中に母がやってきたけれど、思わず涙を流した私に向かって、
「泣いてはいけない」と母は言った。
 
父が亡くなった時に、自分はヒステリックに泣き叫んでいたのに、私が泣くことは、父が死んでも、初めての子を亡くした時も、母は許さなかった。