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島は試されている。宮古馬が死んだ理由とその背景【宮古馬002】

宮古馬が死んだ理由は、人為的です。天然記念物の宮古馬を飼うことによって、一頭あたり月5000円が支給される。そして、一頭生まれるたびに10万円もらえるそうだ。


前の報道をきっかけに、いろんな人から連絡がきた。

私のFBやメール、電話、対面などで、やり取りしている方は多種多様。当たり前だけど、いろんな意見がある。どの気持ちも愛情ゆえなので、取りこぼしてはならないと思っています。

背景として、島の歴史や仕組みの問題がある。

だからこそ私がイデオロギーや政治と絡めてはならない、と言っている理由は以下のエピソードを読んでいただければわかるかと思う。それは、中央マスコミに取り上げられたりすると、島には、悪意のない、でも、大きく迷惑なパワーが集中する。

そして、島のなかにも、勘違いした乗っかり方をする輩も増える。深く考えず、議論ができない人たちが落とし所のない暴れかたをする。私は、それを自分が島の歴史や文化に対する活動をしたり、子宮頸がんワクチンについてや、様々なことで内からも外からも打たれた経験で感じた。

友人から炎上職人と笑われるくらい、それは違うんじゃないでしょうか?とはっきり書くようにしている。意見が違ってもかまわないからだ。その先に見いだせるものがあればいい。

前置きが長くなりました。さて、わかりやすい例です。

数年前、自衛隊基地反対で、市長室に乗り込んで、反対運動をした人達がいる。ここまでは、私はあることだと思う。
その中心人物がFBで呼びかけた。フォロワーは現時点で6000人近くいる。当時はまだそこまでではないにしろ、シェアで、拡散した。私が見た時点でかなり広がっていた。

「宮古島市に抗議の電話を!」

そういう内容だった。ご丁寧に電話番号ものっていた。

そのタイムラインでは、みんな盛り上がっていた。まるで良いことをしている、自分たちが戦争反対している、と平和に酔っているようなコメントもたくさん見られた。

私は思い切って書いた。

「やめてください。宮古島市は小さな自治体です。すぐに電話がパンクします。それは迷惑です。せめてメールにしてください」

私は怒らせてしまった。そのあと、何度かやり取りが続いて、完璧にもう相手にしないつもりだと思う。知名度は勿論、あちらのほうがあるし、私は受け入れるしか無い。

「やめてください。宮古島市は小さな自治体です。すぐに電話がパンクします。それは迷惑です。せめてメールにしてください」

意見は、今も変わらない。これは当たり前のお願いだと思っている。扇動することと、声をあげて行動していくこととはちがう。

島の暮らしを混乱させるのは、簡単だ。日本全国から電話が鳴り止まなければ、すぐに崩壊する。

誰もその電話を受ける相手のことなど考えていない。市役所の職員は、ほとんどが島に残った島出身の人だ。

彼らは、本土の人を嫌いになるだろう。そういう電話はたいてい感情的だろうから。偏見を持つかもしれない。

私は、島には外野の思想なんかいらないと思っている。島人以外が、島に来るなら、少しずつ互いに手を取り合う距離にまずは近づけばいい。それは、島に関わる人はそうあってほしいという私の願いだ。

2018年にもなって、野蛮人じゃないのだから、少し頭を使って、相手の立場を考えてほしい。その正論ありきの(自分たちの)戦いの火蓋をわざわざ外から持ち込む必要はない。

まずは、人だ。人を傷つけたら、はいさよなら、ということを島の人同士はできない。それが島の小ささでもある。物事には理由があると考えるから、和解に向けて歩み寄る。

島は、人を捨てることはできない。

それは、島ごとにちがうし、いろんな特性があると思うけれど、だいたい離島はそんな気持ちの人が多いと思う。

外野は、慣習までも厳しく、問題ありだと、自分たちのルールを突きつける。現市長のオトーリ事件のときもそう思った。日本の常識や法律であって、宮古の常識ではない。市長の動きはいわばローカルルールに則っているのだと思う。

労をねぎらう時に、酒宴はある。東京の一極主義の今の時流からは考えられないだろうけど、職場で飲むことだってある。それが良いことだとは言わないが、糞味噌にあげつらう必要などないのだとも思う。

そして、台風の勧告だって、国や県がきめたこと。島の人は台風に対する備えは十分やっている。言われたからやるんじゃないし、慣れている。当たり前だけど、自分の身は自分で守るのだ。実際の人的被害はほとんどない。あるのは農作物や台風後の飛行機や流通の混乱だ。

書きすぎました。でも、もう少し書きたい。

自分の正しさを主張するために、他の人を傷つけるなら、そんな主張はいらないと考えるのが、島のメンタリティだと思う。くだんの「宮古島へ抗議の電話を!」の話で「電話してやったぜ、馬鹿な宮古島市に!」とFBのコメント欄に書いていた人は電話を受ける人の身になってくれるのはいつのことだろうか。

尊厳を踏みにじられた、と思うときだけ、島の人は怒る。烈火のごとく。でも、和解もある。

そういう認識をしてほしいと思う。体のいい嘘や建前は許さない、意見が違っても本当のことを言ってほしいと思うのだ。それが人を尊重することで、本音があれば、次の対策が考えられる。

それは、仲間だということ、共同体意識がしっかり根付いているからだと思う。

尊厳を踏みにじられた時、それは何か。愛情があるかないか、多分、それだけだと思う。相手に愛情があったと思えば、意見が違っても手をつなぐことができる。

まずは、まっすぐなやり取りが必要だと思う。そして、問答を重ねること。そこに物事の核がある。

祭祀行事からもわかるように、島の心には、言霊が大きな位置を占めている。外部からの罵詈雑言に耐えうる人は、島の中でも強い人だ。普通の島の人は、圧倒的な数の論理で迫ってくる外部に対して、弱いものだと思う。

宮古馬、動物愛護だけでは語れないことが島にはいっぱいある。一面じゃなくて、多面体で宮古を見てほしいと思う。


頂いたお金は、宮古島の歴史と文化の活動をするために使いたいと思います。