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20180329-0402 AI とニューメディアについて考えたのちに、太陽とかお相撲とか。

ちょっと考え込むことがあって、数日書くことをやめてみた。
私にとっては書くことは、瞑想に近いので、やっぱり書くことでしか整理できないと思って、またごちゃごちゃ書き始めることにする。

まぁ、それはさておき。

あるアプリを入れたら、それが素晴らしいほどAI化していて「あー人間のやることは創造的なことしかなくなるんだろうな」と思う。

その仕組のために今の人間は、せっせと最適化している。残業したりして。

人間の最適化ってなんだろうと考える。

いわゆるミレニアム世代の台頭を見ていると、というか、これからどんどん見ていくんだと思うんだけど、すごくデジタルだなと感じる。ゼロイチで考え方や物事が組み合わさっている。自然の草花でも、解像度を低くしていくと、□がいっぱいみたいな。

なので、人によっては非常にわかりやすい。感情と行動が省略化してるといったらいいだろうか。漫画みたいだ。

漫画も昔はそうじゃなかったと思う。凹天の時代なんかは、エネルギーが良くも悪くも溢れている。そして、ストーリー、オピニオン主義のような。

私は、なににおいても、境界線なしなほうなので、あわいばかりを見ている。□からはみ出る、にじみの方に人間を感じる。それは、温度があって、水分がある。

世の中の風潮として、インフォグラフィックやアニメーションみたいなわかりやすいものが好まれるって、それは人間が最適化しているってことだろうか?

いや、そうじゃないよな。人間って、感情があって、理性があって、割り切れなくて、ほんとバカなこともする。で、それでいいと思う。だからどんなに単純なインフォグラフィックやアニメでも、揺れがないものはつまらない。

今の時点では、社会に最適化した人間って、ロボットじゃん。プログラムに応答しているだけじゃん。社会とか教育とかからの一方的なオーダからのプログラム応答。わたしは、やだな。

智恵って、インスピレーションって、そうじゃないものだと思う。人から望まれたものではない。発露は自分。責任も自分。誰のものでも、誰のせいでもない。

そして、それは苦しいことや辛いこともたくさんあるけど、発露が自分ってことは、なんという幸せなことだろうかと思うのですよ。結構、至福が味わえると思う。

人間にしかできないこと、AIが得意なこと、協調してやっていくことになるのが未来なのだろう。

いわゆるニューメディアを作っていく、AIとの共同参画社会を作っていくっていう方向性が、これから20年位続くんだろうな。

私は、その間にきっと、もっと人間臭いつきあいを深めていくんだろうと思う。そこで、野生なことをもじゃもじゃやっていきたい。自然の力とか大地の力って、無尽蔵だよ。それは、太陽みたいに与えるだけだ。太陽にはなんの見返りもないけど。

おてんとさま、ありがとう、と思ってしまった。

そして、人間は、太陽とか土とか星とかに感謝するような、そういう意味での自然回帰が、AIと逆行して進むんじゃないかと思う。

人類の幅が広がるか、AI使ってしっちゃかめっちゃかにするか、古代からの智恵と現代の知恵がお相撲をとるんだろう。

相撲は神様への儀礼の舞だと思い出して、私は古代からの直観的な智恵のほうがひとを豊かにするんじゃないかと思うよ、ほんと。

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