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私たちは、揺り動かされて生きている弱い存在かもね 20200313

先日の311は、もう九年目なんだな。

ネット上でたくさんの人が振り返っていて、本当にあの時から人生がどんどん変わった人が多いのだな、と改めて思った。私もそうだけど。

ひな祭りが終わって、少しホッとして、春の兆しを感じるこの時期。東京で、私の好きな季節のひとつだ。

私は、その頃、三女をみごもっており、臨月前で息をフーフーいいながら、小2の長女と年長さんの次女の世話に明け暮れていた。

その長女は、都内の高校2年生、次女はこの春、宮古島で高校生になる。そして、三女は、その当時の長女と同い年になる。

なんと早いんだ。

そして、今年も実は九年前と同じ場所にいた。S大学病院の救急室だ。前回は耳石がとれ、救急車で運ばれた。

今回は、ボーッとして、熱い鉄の鍋をにぎった。コロナショックと言うか、今回はイタリア出張で神経を使いすぎたのだと思う。

運良く、ミラノから帰ってこれたが、パニクってもしょうがないとあきらめが過ぎて、逆に冷静というかぼんやりしていた。

9年前に311の混乱のなか、救急車を読んでくれたのは9歳の娘だった。

そして、今年は三女が救急室の手当をする私のそばで、見守ってくれた。

また、これも不思議なのだけど、宮古島で母と暮らす次女が合格発表だった。本人の強い希望なのだけど、私はとても逡巡した。結果、今は良かったと思っている。

こう書くと、なんだか母子の歴史とか、ほんわかした親子の愛情みたいな感じがするが、そんなことはない。

今日も長女とは怒鳴り合いになった。次女とはLINEでもめている。

子育てクエストというか、次から次へとわいてくる感じ。

9年前も毎日が綱渡りだったが、今も変わらない。私はまったく成長していない気がする。

でも、それも悪くないな、と思う。

さっき仕事が終わって、こんな時間に書き始めた。

あぁ、こんな日々を忘れたくないな、と思って。

命あっての物種だ。

私たちは、311を忘れてはいけない、いや、忘れられない。

命を失うなんて、思いもしなかった人たちが波間に、草葉の陰にいるのだ。

まず、娘たちにどう伝えようか、あの時のこと。そして、今回のこと、どう話そうか。

「私たちは、時代や自然に揺り動かされて生きている、弱い存在かもね、とお母さんは思うんだよ」と。

だから、支え合わなければ。喧嘩してる場合じゃないな。

頂いたお金は、宮古島の歴史と文化の活動をするために使いたいと思います。