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20180404 人生の目次を自分で作ること。社交と思索のライフログ。

目覚めて、朝イチで、連絡が入る。仕事先のひとたちは、さまざまな時間帯で仕事をしているので、できるだけ速攻で返事を返す。その案件は、夢に見ていたことなので(寝ているときの夢ですね)即答できる。

日々考えていると、そのプロジェクトを耕すことができる。頭のなかのみであったとしても。でも、実際は、現実の方がぴったりと連絡がきたりして、不思議な気持ちになる。最近、ベストタイミングが多い。

自分がどんな感じで仕事をしているか、こうやって書いてまとめることは大事だなと思う。

私に連絡をとりたいひとは、日々何を考えているか、何に興味があるか、誰と会っているのか、知ることができる。私は、自分が動いているプロジェクトに対して、誰かのフックになるような行動を書き続ける。

noteは、社交と思索のライフログだ。フリーランスで働くお母さんのライフハックでもあるけれど。

プライバシーがないのかと聞かれるけれど、自分の名前で仕事をしている時点で皆無だと思う。今の日本では、自由業のひとなんてそんなものじゃないだろうか?

特に2002年に「読めば宮古」を世に出した時点で、宮古でのプライバシーはない。加えて言えば、同時に宮古毎日新聞に署名記事を書いている自体で、あるわけがない。

さらに、子どもを生んで、育てる時点でも、意外とプライバシーは剥奪される。子どもは社会に対するスピーカーになり得る。家で、大人がやることは、全部ツツヌケだと思ったほうがいい。ほんと。

「やーなりどぅ、ぷかなり」という宮古の方言を思い出す。家で、やっていることは、そとでもにじみ出るってことだ。

私の場合、一日が24時間で回っているというより、週が154時間(あってるのか、笑)で換算したほうがいい。アクセントに子どもたちに御飯作ったりしている感じです。

これは、若い頃からの習慣で、仕事は出来る時にする、特に心が燃えていることを一番に、ってことにしている。人に決められた時間で決められたことをするより、パフォーマンスが上がる。義務的な気持ちでやるとろくなことはない。ミスるし、フォーカスできない。

自分がいつも高入力して、高出力できるように、時間と頭と心のコントロールを適宜する。たまに、電源切れてオチてます。

仕事の仕方は、常時ネットがつながっているというのが基本。それでも、取りこぼしますけど。「選択と集中」というけれど、今の世の中、選択をしている間に集中できなくなる。集中できる環境を自由自在に作り出さなきゃいけない。

と、今の時点では思っている。なので、おしゃれをする暇なんてないぞ。毎日サバですよ、サバ。日本で言うところのビーサンです。

ネットでやり取りして、大事なところは、電話、そして顔を見て打ち合わせをしている。いっしょに仕事するって、この柔軟性が、有給無給問わず、これから先を考えるうえで、私には必要。

駄文をネットの海に流すのは気が引けますが、こうしてアウトプットしていることが毎日の鍛錬だと思う。暇なんかじゃない、ほんと。たくさんの文章を読んで、感動しつつ、前のめりで書く。

ほんとに書かなきゃいけないときに、それは効力を発揮する。準備運動ですよ、準備運動。コミュニケーションも議論も同じ線上にある。

気持ちにそうような、ピッタリとした言葉を探す。文章の濃度を上げ下げする。そして、自分が何を見て、どう感じたか、誰に会って、何を学んだかを言語化しておくのだ。それがメモであり、駄文である。

自分の人生の目次を自分で作ること。一日にしてならず、ですよ、ほんと。

午前中は朝からKさんの広報戦略を立てる。広報という言葉ほどすごいものじゃないけれど、ネットで個人がものを売っていくって、どういう施策が一番良いだろうなぁと思う。学ぶことがいっぱいあるし、こういう地道な情報収集や人まねでないオリジナルな戦略は、将来価値が出るように思う。トライアンドエラーです。

勿論、そこには、人さまの協力が絶対的に必要。そして、実は、どんな相手でも、互助ができると思う。そのためにもやりたいことをやりたいと、はっきり明確に相手に伝えるための準備は怠らないようにしたい。これって、お金で換算するのは難しい。

ひと仕事終わって、夕方に友人の治療家のごんべえ君蟹江杏さんの展示会に行ってきました。シュタイナー学校の先輩後輩らしいです。このことについては、別で書きたいくらい面白かったです。

教育って、人を作るのだなぁ、と感慨深い。シュタイナー関係の本は、私が子育てしている時にひとりで読んでいたのですが、まさか数年後にこうしてシュタイナー関係の人たちと交流できるとは思わなかった。

今、シュタイナーの先生が、私の店兼事務所の近くで一軒家を借りて、新しい展開を考えている。小規模保育園を近くに考えていらっしゃるらしい。ほんとに面白い。私はIT関連のお手伝いをちょこちょこしています。

シュタイナーというと、日本では高等遊民的なオカルティックなイメージが正直あると思う。でも、個人的には、人間教育の側面が強いんではないかな。個性は美しさだと思うので、その美しさを最大限に伸ばす、というか。

私は、そんなイメージでとらえている。

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みんなのシュタイナー

夜は、遅れに遅れている凹天の最終リライト、校閲。賢い先生方にいろいろ教えてもらいつつ、文章をしあげていく。すごく勉強になる。大学のゼミにお金を払って行ったことないけど、多分こんな感じなんだろうなぁ。

お二人の先生には、うちの子の受験の作文のレクチャーをしてもらった。「字を丁寧に書くこと」など、意外に目からウロコだった。そして、内申書なし、作文と面接だけのチャレンジ校に合格したので、やっぱり的を得たアドバイスだったんだろうと思う。ありがたや。

大岡山は、いわゆる山の手の保守的な環境だと思うので、こどもたちには教育的には真逆のアプローチをするようにしている。ひいては、それが人間の幅を広げ、自分の人生を切り拓く活力になると思う。他の子たちにもいい刺激になると思う。みんな、同じルールの家庭だったとしたら、視野を狭める。

子どもたちには、人のせいにせず、かといって、自虐的にもならず、存分な喜怒哀楽、人生の季節を感じるような人生をおくってほしい。

一日中、人と会いながら仕事をしているけれど、自分のテーマにそっていて、本質的なやりとりなので、ストレスがほとんどない。体力が持つ限り、できれば一日をこうやって終えたい。

で、結局、店でまた深く寝てしまったのではあるが。

子どもたちは、大岡山の街を、いや村を、縦横無尽に自分のスケジュールで動いていて、三人で協力して、いろいろ解決できるようになった。家族でない人にも頼ることを覚えた。私は、今のところ、大成功だと思う。

春休みは、こどもの世話に忙しいお母さんも多いと思うけど、私は逆に仕事に打ち込みやすい。ありがたや。長女は友だちと遊び、次女三女は映画に行った。野生的に都会的に遊んでいる。

今日は、気が急いて、やらなきゃと思うことがいっぱいあるのだけど、毎日のこういう荷降ろしが私には必要なんだな、と思う。

ちなみに一昨日の夜、ものすごい長い講演録だけど、感動したのでメモ。

内田樹 言葉の生成について






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