車の運転

1歳の頃にマイカーを入手した。
跨いでえっちらおっちら漕ぐアレ。
足けり玩具と言われるアレ。
わりと轟音を響かせるアレ。

手元にないので見せられないのが残念なほど生意気な顔で車に跨っている写真が残っていて、
写真の裏には1才半と記されている。

2歳の時にマイホームが建つが、
当時は両親共働きで近所の祖母の家に夜遅くまで預けられていたので
マイカーは祖母宅の玄関に駐車していた。

祖母の家の前に、今地図で見たところ100mほどの
座ったまま自転車漕ぐにはしんどいなーくらいの坂道がある。
その坂道をブレーキ機能未搭載のマイカーで爆下りしては担いで走って上がるということを延々繰り返していて、
近所から『怖くて見てられないからやめさせてくれ』と苦情が出て祖母から叱られた。

そして足けりカーからペダル式の足漕ぎカーと三輪車に移行するがスピード狂は相変わらず。
ペダル式車で坂道を下るとペダルに足を巻き込まれて単独事故を起こした。
なので、ハンドルの端から変なピロピロが出ているのをなびかせながら大股開きで三輪車に乗って坂道を下っていた。
お隣やお向いや近所には同級生や歳の近い子が8人くらいいたけど、坂道下りの時はいつも一人だったので
わたしだけ危険な遊びをしていたんだと思う。
祖母に止められるので〇〇ちゃんちに行ってくると言って家を出てこっそり坂道を下るが、
そのうち坂の下の洋品店のおばちゃんが出てきて『危ないからやめなさい』と毎日叱られるようになって仕方なくやめた。

その後母が在宅ワークになったので祖母宅で日中を過ごすことが減って坂道下りブームは終息し、
ペダル式のマイカーで自宅近所の一人暮らしのおばちゃん(他人)の家の庭にバックで駐車しに行くことがブームになった。
毎日通った。
バックで駐車して、降りて歪んでいないか確認をして、
『おばちゃん来たよ♪』と声をかける。
いつも何か飲み物を用意してくれていた気がする。
あ~今思い出した。ミロを出してくれていた。
家でミロは飲まないので、そこでしか飲まない飲み物だった。
わざわざそこに行ってという喫茶店のモーニング的な。
特に好きではなかったんだけど。
そして見えるほど近い自宅に帰る。
今でもリアルな車でバック駐車することは大好き。
バック注射は苦手だけど。
当時の夢はトラックドライバーだった。

幼稚園生になると普通の自転車になって遠出するようになったので、
親の知らないところで爆下りをしていた。
でも最初があれなので身内は危機を感じていて
『あなたは大きくなってもバイクに乗ってはいけません!車は軽自動車に乗ってはいけません!』
とうるさく言われ続けた。
幸い乗り物酔いが酷いので無茶な運転をする人にはならなかったけど、
そうでなかったら16歳くらいでえらいことになっていたかもしれない。

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