託児所

実は母も相当なお人好し。

小学校4年生の時、二つ年下の女の子が我が家に居候していた。
彼女の両親がフライパンを振り回すような喧嘩を毎晩繰り広げていて
ちょっと子どもを預かってほしいと言われたから。
ご近所さんではないので転校までして。
無事にご両親が別居できたので三ヵ月で戻っていったけど、
一人っ子のわたしは遊び相手ができて楽しかった。
父が二段ベッドならぬ縦長の縦列タイプのベッドを作ってくれたので
(ちゃんとベッドの下に引き出しも作ってあった)
足の裏を突き合わせて寝ていて、
成長が早い彼女のおっぱいを触らせてもらったこともある。

というところから始まり、
学校から帰ると両親はいないのに知らない人がうちで寛いでいるのが当たり前なくらい他人が自由に出入りしていたので、
うちは大人の託児所だなと思っていた。
そこらへんは母の独断で父もわたしも何も言わず受け入れるんだけど、
一度だけ父がわたしの前で、自分のことはほったらかしにされている と口を滑らせたことがあり、
この人も男なんだなぁと思えてなんだか可哀想なので聞こえていないふりをした。

高校生の頃のある日も学校から帰ったら知らないお兄さんだけが家に居て、
こんにちはの挨拶をして気にせず過ごしていたんだけれども、
夜遅くなっても翌日になってもずっと居るので母に聞いたら
『山で拾ってきた』
と捨て猫を拾ったくらいの感じで言われた。
当時24歳の彼が家に帰りたくなくて山の上の駐車場で車中泊していたのを可哀想だと思ったらしい。
わたしの向かいの部屋を自室として与えられ、
パソコンを組み立てたり、
ゴミ捨て場から拾ってきたFAXを修理して我が家初のFAXを設置してくれたり、
どこで見つけたのかわからない賞味期限が一か月前に切れたお豆腐が入ったすっぱい鍋を作ってくれたりする気遣いをたまに見せながら、
結局7年我が家に居候していた。
でもたった50万の借金を苦に部屋で自殺未遂事件を起こしたのでご両親に連絡して連れて帰ってもらった。
(居候中もちゃんと連絡してあったのでお歳暮とか届いてた)
ちなみに、自殺を図ったと言っても、
風邪薬とか頭痛薬とか家中の薬をかき集めて飲んで、ただただ丸一日半ぐっすり寝ただけだった。

その後も一人 わたしより一つ年上の男性が居候していたけど、
わたしは実家を出ていたし、原付やら何やら家の物がなくなるのでそう長くは居なかったと思う。
母は直接言わずに「わたしは知っています」と書いた紙をあらゆる引き出しに入れていたので、自分から出て行ったと記憶している。

そんな母はお人好しがゆえに対人恐怖症的なところがあり、
人間が大嫌いだと言っているし、
『信じる者は騙される』が口癖。

犯罪者が逃亡中というニュースを見ると、
うちの母が何も知らずにかくまっているんじゃないかといつも心配になる。

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