自作小説詰め合わせ

1.チョコブラウニーの恋人 (2400字程度)

チョコレートの包装をとく時は、いつもわくわくする。丸ごと一枚の大きな板チョコを丸裸にして、まな板に出してしまう刹那。ちょっと悪いことをするような、秘密をつくるような、この生暖かい心地と言ったらたまらない。板チョコを包んでいたアルミホイルはごみ袋に捨て、水を入れた鍋に火をつける。湯煎のためだ。チョコレートを細かく刻む包丁は、妻と恋人同士だったころ旅行の土産にと二人で選んだものだった。渋い趣味をしたものだと、過去の自分たちに苦笑する。けれど過去の自分こそ、今の私、真白俊彦を笑ってやりたいと思うかもしれない。背中を丸めて、娘の恋人に食わせるチョコブラウニーを作る私は、滑稽だろうから。扇風機の風が風鈴をそよがせて、夏を思った。
チョコレートの湯煎には、いつもたっぷり時間をかける。時間をかければかけるほど良いというものではないだろうが、まあ、趣味だしいいだろうといつもなんとなくひと手間を好んでしまうのだ。
「父ちゃんこっち向いてっ。るみ姉に貰った浴衣、似合う?」
ばたばたとした足音と弾んだ声がやってきて、意識してゆっくりと振り返る。弾んだ声は、今年16になる娘のまみのものだ。恋人と祭りに行くからと、彼女は今日ずっとにこやかだ。分かりやすい。
「あんまり走ると浴衣が着崩れるよ。それにまだ四時前だ。浴衣を着るには早いんじゃないか。」
「いいの!まだるみ姉にメイクも髪もしてもらうもん。余裕もって支度してんの。それより似合う?可愛い?」
「はいはい。落ち着きなさい、似合ってるから。」
「本当に?」
「本当に。サイズもちょうどじゃないか。るみちゃんにお礼は言った?」
「言ったよ。まみ、るみ姉にたくさん感謝してる。浴衣着るのって、幼稚園生の頃以来よ。」
「よかったな、まみ。」
まみは照れたようにはにかんで、照れを隠すようにか大袈裟にくるくるとその場で回って見せる。
「父ちゃん父ちゃん、私今日のデートでばっちり決めてくるから応援してね。絶対健太に実家に挨拶させてくださいまで言わせてやるよ。」
「挨拶なんていい、いい。まだ若いんだから。」
「ううん、父ちゃん達に心配かけたくないし、会ってほしいな。それにそのくらい私にべたぼれさせてやるっていうかなんていうか、そういう心意気だから。」
湯煎を終えたチョコレートをかき混ぜる手に、力が入った。まみは浴衣を父に褒めてほしいと思うくらいには子どもだけど、こういう時大人に成長しているのだとふと気づいてしまうのだ。それは嬉しいことだけど、同時に気まずい思いを抱いてしまう。碌に子どもらしい反抗期を迎えずにこんなに大人びてしまったから慣れなくて。それだけだろうか。まみの問題ではなく、利彦の問題ではないか。本当はそう、どこかで気が付いている。取り繕うように、だけど本心を口にする。
「明け透けだなあ、かっこいいぞ。だけど、そんなに全部父ちゃんに報告しなくていいんだよ。まみのことは、まみの好きなようにしていいんだ。」
「ううん。私が言いたいんだから、父ちゃんはこれからもお菓子作りしながら聞いててよね。今日はチョコ?私がお祭り言ってる間に食べきっちゃわないで、残しといてよね。」
あっけなく否定されて、そういえばチョコブラウニーのことを伝えていなかったなと気持ちを切り替える。
「ああ。チョコブラウニーだよ。大丈夫。これは、まみとまみの恋人君に食べてもらおうと思って作ってるから、持って行って分けて食べてくれ。」
「まみと健太に?」
怪訝な顔をするまみに、ふと夏にチョコブラウニーは季節外れだろうかと思い至った。クッキーやドーナツくらいがよかったかもしれない。もう型に入れて焼くだけのところまできたので、後の祭りではあるけれど。嫌かと尋ねると、そんなことないよと食い気味に否定したまみはるみちゃんに呼ばれて私に手を振った。
「じゃあまたね、父ちゃん。」

オーブンからチョコブラウニーを取り出すと、香ばしい匂いがキッチンを包んだ。おいしそうにできたなと頬を緩ませる。
「まみ!るみちゃん!チョコブラウニーができたからおいで!」
まみは明るくて優しい子だ。幸せになってほしい。幸福な家族をつくって。幸せに。そう思うことは、傲慢だろうか。まみが幸福な家族をつくるとき、お菓子を持って近くで見守っていたいと思う親心は、傲慢なのだろうか。
「おじさん、またおかしつくったの?まみに聞いたよ、お祭りにチョコブラウニーは無いわ。空気読みなよ」
「いいじゃんるみ姉、おいしそうだもん。これ、健太にはまみが作ったことにしちゃおうかな。」
「悪い女ねまみ。でもお祭りにチョコブラウニーよ。かなりやばいわよ。親に無理やり持たされたって言いなさい。」
酷いことを言ったるみちゃんはそれから、そうだと手を叩いた。冷蔵庫からラムネを持ってくる。
「お祭りにはこういうものの方が似合うでしょ、まみ。ラムネも持っていきな。」
「あ、それお隣の川岸さんが私と妻にくれたラムネだよ。気づいてたの。」
「気づく気づく。ここは若いものに譲りなよおじさん。」
「ええ。そんなに持ってけないよ。浴衣のセットの鞄、ちいっちゃいんだから。チョコブラウニーで精一杯だよ」
「いいからいいから、おりゃおりゃ。」
「やっぱりチョコブラウニー迷惑か?お父ちゃんモンスターペアレントか?」
そういうと、まみが噴き出すように笑って、つられて私とるみちゃんも笑った。覚えたての言葉使うのやめてよと言われて、すっかり自分も年寄り扱いだと思う。それはすっきりとした爽やかな気持ちだった。私がしていることは、滑稽かもしれない。自分勝手かもしれない。傲慢で、迷惑で、毒親じみたことかもしれない。だけど今、今だけは。もう少し、こんな自分と家族でありたかった。たくさんのチョコブラウニーを抱えた恋人に、健太君は幻滅してしまうだろうか。家庭的だと喜ぶだろうか。幻滅された時には、帰ってきた娘をるみちゃんと一緒に抱きしめてあげたいと思う。どうか、許されますように。


2.虹が出る(3200字程度)

「君がそんなやつだとは思わなかった。」
梅雨入りしたばかりの、梅雨を感じさせない晴れた昼だった。突然長岡が語気強く迫ったのは。慌てて口の中の冷凍ハンバーグを飲み干す。ちょっと詰まった。
「いやいやいや、私が言ってるんじゃないよ。みんなそう言ってるんだから。」
長岡のあご下には大きな火傷あとがある。私はそれを病院で治療すればいいのにと善意からアドバイスしただけで、それに火傷あとが見苦しいということは私が勝手に言っていることではなかった。
「みんなじゃなくて、君が今言ったんじゃない。デリカシーがないと思わないの。」
「軽口でしょ。なんでそんなに怒るのよ。親にちゃんと頼んだら、普通に治療して治るんじゃないの、そんな火傷あと。分かったわ。治療しないのは同情を引きたいからだったり。」
図星でしょと言い募ろうとしたけれど、できなかった。言う前に長岡が私の頭を思いきりはたいたからだった。私の弁当と長岡の菓子パンの袋が机から落ちていくのが、とてもゆっくりに見えた。

長岡は次の日から、私と昼ご飯を食べなくなった。昼休みは他の友達とグラウンドや体育館で遊んでいるみたいだ。おはようと声をかければにこやかにおはようと返されるけれど、それ以上の会話をしようとすると避けられた。大袈裟な。口の中でつぶやいて、呆れて挨拶をするのをやめた。面白くなかった。昼休みは、好きな俳優が同じで話の合う高梨と秦野と過ごすようになった。元々私と長岡が一緒に昼を過ごしていたのは、出席番号が隣同士で、席が近かったからというだけだった。入学してしばらく経った梅雨の今趣味の合う友達とつるむようになるということはとても自然なことのように思えた。
案外あっけなく私と長岡は友達同士ではなくなっていって、まあこんなものだよなと思った。ぶたれたことを謝られていないけれど、まあ許してやろうとさえ思えた。それだけだった。

それだけだと思えなくなったのは、長岡にぶたれてから一か月がたった雨の日の放課後だ。まだ梅雨は明けなくて、晴れが恋しくなってきたその日、私は高橋に驚くべきことを聞いた。
「ねえ新名。新名って長岡さんと仲良かったよね。長岡さんの治療費の話、どうする?」
「どうするって、なに?」
「聞いてないの?皆で長岡さんの火傷あと治す治療のために集金しようって、クラスラインで話してたじゃん。」
長岡さんいい子だもん。協力してあげようって、皆もう大盛り上がりだよ。そう続ける高橋は、長岡が突然私をぶって無視しだしたことを知らないからいい子だなんて表現できるんだ。意地悪な気持ちになって、顔をしかめた。
「そんなの、長岡本人の家でお金出してもらえばいいじゃない。」
ところが、高橋は声を潜めてこう答えたのだ。
「それが、長岡さんの親、ちょっと問題あるみたいでさあ。治療とかそれどころじゃないんだよ。だから私はママに頼んでお金持ってこようと思うんだけど、あれ。どうしたの新名。」
問題。それがどんなものかピンとこなかったけれど、私があの日言ったことは長岡を傷つけたのではないか。急にそう思えて、怖くなった。遠くで雷が鳴っていたから、それがより私を悲観的にさせたのかもしれない。お気に入りの傘を握りしめて、私は黙った。首をかしげていた高橋が、ふと後ろを見て声を上げた。
「長岡さん!長岡さんも一緒に帰ろうよ。」
長岡?つられて振り向くと、気まずそうに昇降口のロッカーをなでる長岡がいた。
「ごめん。私傘を忘れちゃって。走って帰るから、今日は遠慮するよ。」
じゃあね高橋さん、新名。そう言って私たちを追い越そうとした長岡の腕を、思わずつかんでいた。
「待って。傘、貸すよ。天気予報で、もうすぐ少しの間晴れるって聞いたから。私、家が近いし。高橋の傘に入れてもらうし。」
傘を貸す理由を言い訳みたいに作ろうとする自分が情けなくて、友達ともいえない間柄になった長岡の腕をつかむ自分が怖かった。
「いいよ。新名の傘新しそうだし、申し訳ないから。自分で使って。」
断られると思っていなくて、動揺する。
「け、けど、雨に濡れたら風邪ひいちゃうよ。親心配するよ。」
「だから、いいって。大丈夫だから、手離して。」
押し問答だった。私はなんだか悔しくて、何に対しての悔しさなのかわからない自分がまた悔しかった。ただただ長岡の腕を強く握る私と、困ったようにそれでも明確に私を拒否する長岡は、全然友達じゃなかった。
「新名、長岡さんの腕痛そうだよ、落ち着いて。長岡さんも、傘くらいいいじゃん。」
ね。と高橋にたしなめられて、でも。と粘ると、高橋はいいこと思い出した!と顔を明るくした。長岡は高橋に対しては気を使うようで、彼女に合わせて表情を柔らかくした。
「私、折り畳み傘持ってるよ。教室に置き傘してるから、取ってきてあげる。それなら三人で帰れるし、みんな濡れないよ。待ってて長岡さん!」
「え?いいよ、高橋さん。」
長岡が止める間もなく、高橋は靴を脱いで踵を返した。
「行っちゃったね。」
「うん。行っちゃった。待ってようか。」
「待ってくれる?」
「今帰ったら、高橋さんに悪いでしょう。」
「そっか。」
急に気まずくなって、長岡の腕をそっと離した。長岡は、腕を目で追いかけた。
「ごめん、止めようと必死で、その、腕。」
長岡は腕を見るのをやめて、小さく息を吸いこんだ。息を吸い込む喉までよくわかるほど、私は長岡を凝視していた。彼女の一挙一動に、私は不安を抱いていた。
「新名。私もごめん。仲直りしよう。」
仲直り。長岡は否定的なことを言うと思っていたのに、急に子どものようなことを言った。私たちは子どもだけど、あんまり子どもみたいなことは恥ずかしい。長岡の凛とした声は寧ろ私を幼稚に見せてしまう気がして、ずるいと思う。
「なんで、仲直りしたいの。長岡はもう私のことが嫌いなんでしょう。」
「なんでって。」
不安で不安で長岡を見つめると、それに気が付いた彼女は慈しむように私を見つめ返した。
「だって虹が出るから。」
気が抜けて、なあにそれ、と情けない声がでた。大きな虹でも出ているのかとつい外に目をやったけど、虹なんか出ていない。大きな音を立てて、まだまだ雨が強く地面を打ち付けている。
「もうすぐ雨、ちょっとだけ止むんでしょう。だったらきっと、虹が出るよ。」
「そうかなあ。」
「そうだよ。賭けてもいい。」
「じゃあ私も虹が出るに賭ける。」
「困った。それじゃあ賭けにならないね。」
「ねえ。長岡はえくぼがかわいいから、火傷あと治ったらきっとモテるよ。」
「そう。そっか。ありがとう。」
長岡は拙く笑った。唐突に、もっと大人になりたいと強く思った。私がもっと大人なことを言えたら、長岡はもっとえくぼをへこませて明るく笑うのだろうと予感したからだ。
「でも、今の長岡も実はモテてるよ。」
「さっきから新名、基準がモテるばっかり。恋バナしたいの。」
「そうかな、そうかも。」
「そうなんだ。でもクラスも学年も、男子少ないからなあ。恋バナするには不遇だね」
真剣そうに悩む長岡を見つめていると、視線に気が付いた長岡は顔を上げて、少し目線を彷徨わせた。それから口を開く。
「きっと私たち、これからもっと仲良くなれるよ。」
長岡は、さっきまで私が思っていたことと全く反対のことを言った。能天気なことだ。それに、恋バナには結局答えてくれない。真剣に答えなくたって、ちょっと気になる人や好みのタイプを話すくらいで十分楽しいのに。たくさん文句を言ってやりたい気持ちとはうらはらに、私の心は軽くなって、目元は緩んでしまう。
それもきっと、虹が出るからだ。だから今日は、悪い日にはならない。
高橋が戻ってくる軽快な足音がして、私は好ましい気持ちで耳を澄ませた。喧嘩と仲直りをしたからって、私と長岡がこれから特別に仲良くなるとは今も思えない。だけど、私たちは友達だ。虹の出る今日も、虹の出ない明日も、私と長岡は友達だ。
澄ませた耳は、雨音が遠ざかることも私に知らせた。



3.出会い(系)(1500字程度)


こんなの気の迷いだ。魔が差しただけだ、こんなこと。
夜8時の銅像前。俺は今日、友人達の就活を尻目に女と待ち合わせしている。出会い系で見繕った知らない女とだ。ありえない、この俺が。ネオンの光たちを目で追いかけていると気が滅入ってきて、やはり今からでもすっぽかしてしまおうかと腰を浮かす。すると見知った声に呼び止められた。
「あれ。遠藤?」
「せ、先輩。」
勢いよく振り向いて後悔する。出会い系の登録の名前をエンドウ豆にしていなければ振り向かなかった。もっと早くここを立ち去っていれば声をかけられなかった。後悔先に立たず。高校の頃部活で一個上の先輩だった彼女は、友人が多く噂話が好きな人だった。待ち合わせ相手を知られたら、瞬く間に噂が広がることが予想できた。
「やっぱり遠藤だ。超久しぶりじゃん。最近何してんの?元気だった?」
「はは。大体先輩の一年前と同じじゃないすかね。就活生っすよ、普通に。」
機嫌よく話す彼女から早急かつ穏便に離れなければ。苦笑いで当り障りの無いことを答える。
「ああ、お前が就活生。就活生かあ。感慨深いなあ。」
「珍しいことじゃないでしょ。」
「いやあ。当たり前といえば当たり前だけどさ。やっぱり違うじゃん。理屈と、実際にあんたが目の前で就活生みたいな顔してるのじゃ。実感かな。分かんない?まだまだね後輩」
「ば、馬鹿にしているんですか」
「まさか」
意地の悪い笑みだ。危ない危ない、この人のペースに乗せられて無駄に相手をしていると本当に相手が来てしまう。服装の特徴を送ってしまっているから、俺を見たら声をかけるだろう。別れを切り出そうと分かりやすくスマホの画面に目を向ける。時間を気にする人の素振りだ。待ち合わせ時間をもう5分過ぎているらしい。ついでに通知を流し読みして、相手は茶色い革の鞄と肩につかない程度の髪の長さが目印だと認識する。そして先輩を見やった。先輩は確か保育士が夢で、子どもと動き回るとき邪魔にならないように髪を短くしているのだと高校の時からこだわりを持っていた。彼女が右手で持っている鞄は、茶色の、革だ。
「気が付いた?私も驚いたよ、遠藤が出会い系使うって意外だし、私がってのも、意外だろうし。どうしようかなあ、と思ったまま声かけちゃった」
先輩は、気が付いていたのか。アイコンは加工で元の顔があまりわからなかった、知らないはずだった女との、今までの出会い系内での会話が頭をよぎる。ばれた。ばれたのだ。口の軽そうで共通の知り合いも多い、この女の先輩に。
「馬鹿みたいって、笑います?」
「え?」
口をついて出た言葉は、取り繕えないくらいにうまくいっていない就活生じみていた。
「笑ってほしいの?」
「笑ってほしかったら、出会い系で連絡とるような相手じゃなく友達と酒でも飲んでます」
「じゃあ笑わない」
笑わないよ、ありふれた俗っぽい色気を滲ませて、彼女は重ねた。それがありがたくて、自分よりよほど大人びていて、そういえば彼女は一つ年上だったなと思った。これが先輩の言う「理屈じゃなくて実感」なのかとふと気付く。この感覚が心地よい。先輩が私のことも笑うなよと言うから、俺も気が抜けて彼女をからかった。彼女の怒るふりがわざとらしい程にわざとらしいから、もっと気が抜けた。

先輩行きつけらしい居酒屋に向かう俺たちは、多分恋人同士みたいに楽しそうだ。


.なにかのはじまり (1700字程度)

「山本くん。私と親友になってよ。」
坂口真理子。いつもクラスのカーストで上位のグループとつるんでいる派手で苦手なクラスメイトがこう言ったのは本当に突然だった。
「なにそれ。こ、告白?」
放課後の体育館裏に呼び出され親友になれと言われる。こんな日が普通の高校生にあるだろうか。俺には今までなかった。愛の告白だって今時放課後の体育館裏じゃないだろう。愛の告白。そうだ。まるで告白のようなシチュエーションで、突然のことにあまりに驚いたのだから、思わず声が上擦ってしまったのも、こうやってうろたえてしまうのも仕様がないことだ。
「うん、告白。私の一世一大の告白よ。恋心はないけどね。」
仁王立ちの坂口はいつもの自信に満ち溢れたような態度で言った。
「俺、そういう冗談嫌いなんだけど。」
「へえ。そうなんだ。山本くん。いいえ、夏樹は冗談が嫌いなのね。夏樹のこと、1つ知ったわ。冗談じゃないけどね。」
勝手に名前を呼び捨てで呼ぶな。訳が分からない。
「何?要件はそれだけ?俺はやく帰りたいんだけど。」
「待ちなよ。親友になろうって話の返事は?」
なんなんだ。どっきりか。こいつの仲間が動画を撮っていて後でTwitterで晒すのか。いや、坂口のような今時の女子は、インスタなのか。TikTokなのか。そんなことは、本当はどうでもいいのだけど。
「お断りするよ。」
目的なんてどうでもいい。だけど、その手段に俺をからかおうとしていることは明白なのだ。惨めさに虚しくなる。これ以上虚しく思いたくなくて、足を後ろに踏み出した。
「まってってば!」
坂口の呼び止める声は無視した。せめて、晒されるならLINEがいいかもしれない。炎上とかしても困るし。
「夏樹!」
でも、LINEにしても、グループライン?俺、面白いって笑われちゃうようなことしてないかな。ちょっときょどっちゃったし。不安はあるけれど、校門へ向かう足はとめない。とめることなんてできなかった。
と、突然肩を勢いよくつかまれる。
「もう。夏樹ったらせっかちね。私達家の方向一緒でしょう。一緒に帰ろう。」
坂口は笑った。本当のところどう考えているかなんてわからないけれど、少なくとも一見無邪気そうに、笑った。
俺は、坂口に確実に聞こえるように大きなため息をはいてみせる。無言で坂口を見やると、坂口は歩くのはやいね夏樹、脚が長いからなのかしら、背が高い人って憧れるわだなんて一人大きな声で話しながら隣に並んで歩き始めた。家の方向が同じことは事実だから、一緒に帰ることになってしまったのだ。
「うるさいな。俺は背が高いの、あんまり気に入ってないからやめて。」
しょうがない。こんな日だってあるある。自分を励まして、坂口の歩調に合わせた。人の歩調に合わせて歩くのは、久しぶりな気がした。
「あらごめんね。貴方といっぱい話をしたくて。夏樹のしてる生け花には身長はいらなそうだものね。運動部の子とは違って当たり前ね。」
あれ、と首をかしげる。俺は確かに小学生の頃から華道を続けている。でも誰にもそんな話したことなかったのに。
「坂口、なんで俺が華道やってるって知ってるの。」
「見たのよ、貴方の作品。憧れたの。私も、夏樹みたいにかっこいいことしたいと思って。」
「え?華道、あ、生け花のこと。かっこいいって思ったの。」
「うん。先週見た、枝がすごいやつが特に。だからまずは、製作者さんの夏樹とお近づきになろうかなと思いまして。声かけてみたの。夏樹ったら理由も聞かずに帰ろうとしちゃうから焦ったわ。」
坂口の言うところの「枝がすごいやつ」が何かはすぐに分かった。近所のデパートで展示してもらっている、俺自身も最近のもので一番気に入っている作品だった。枝の広がりにこだわった。華道の先生にはおじさん趣味で渋い作品だと笑われたものだった。
「…。分かった。」
いつか、笑いものにされたとしてもいい。LINEでもツイッターでもいい。だけど、自分の趣味をかっこいいと、憧れたと言ってくれた同級生の女の子を無下にするのは、本当に笑いものだと思った。ずいぶん現金だねと言う俺は、華道を教えてくれている親戚の塾に彼女を紹介する算段を立て始めていた。坂口は親友になろうという誘いの承諾に気付いて、嬉しそうにしている。こんな日だってある。明るい気持ちでそう思い始めた俺こそ、現金なやつなのかもしれない。


.記憶の中の人

人に愛されたという記憶は、ただそれだけで愛おしい。
私と小学生の頃仲の良かった友人Aはバラバラの中学校に進学して以来連絡をとることが無くなり疎遠になった。半年ほど前SNSを通じてAと再会したが、Aは私の記憶の中のAとはもう変わっていた。私とAの会話はあまり弾まなかった。当たり前の時の流れだろうが、私は哀しく思った。
だけど、私の記憶の中のAと私は互いを愛おしく思っていた。そう思えるのは、私のAにまつわる大切な思い出が一つあるからだ。Aは、よく私に手を差し伸べた。子どもだった私は、その手を握るのは気恥ずかしくて、私の手でAの手を勢いよく弾くようにして遊んだ。Aはそのたび笑ってくれたが、一度だけ「いつも手をつなごうとするとそうやって遊ぶね」と拗ねるように私に言ったのだ。私はそれを聞いて、Aが私と手をつないで歩きたいと思ってくれていたのだと気づかされた。その愛おしいよろこびは、忘れがたいものだった。正直この記憶だって確かではないし、私の中で美化されたものなのかもしれない。それでも記憶の中のAが記憶の中の私を愛してくれていたことは、本当だ。今のAと私が友人でなかったとしても、この記憶のもつ優しいぬくもりと愛おしさは変わらない。私はAに愛された記憶を、これからも大切にし続けるだろう。



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