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ただ旅をしていた。きっと今も。(前編)

「人生とは長い旅路である」

そんな言葉に心から共感できる人はどれだけいるのだろうか。

僕は大学生活の間に二度の大きな旅を経験した。「旅」とは何か、「大きな」とは何か。そんな言葉が飛んできそうだが、それはそれでいいと思う。

どんな言葉も僕には僕の定義があるように、あなたにはあなたの定義があると思う。「本気」という言葉が「すべてをなげうって何かに打ち込むことだ」という人もいれば、「勇気を出して発言すること」だという人もいる。

旅の話をすると「旅と旅行の違いは何か」という問いが投げかけられることがあるが、自分が旅だと思えばそれは旅なんだろうと雑に定義している。

念のために自分のスタンスを述べると、「非日常を目的とした移動において、自分の知らない世界の不確定要素を楽しみにいくことがで、不確定要素を極力減らし自分に課したミッションを達成することを目指すのが旅行」なのではないかなと思ってる。

でもこの問いは100人に聞いたら100通りの答えが返って来るものなので、この記事を読んだ人は、旅と旅行の違いについて自分の解釈をリプライで語ってほしい。そうやって一つ一つの言葉を確かめながら、自分のものにしていく時間が自分にとって豊かな時間なんだと最近は強く感じている。

僕にとっての二つの旅とは、「四年前の広島から東京まで10日間の野宿自転車旅」と「二年前の世界半周旅行」だった。

一つ目の旅

最初の旅は一年生の夏。大学の留学プログラムに落ちた腹いせに、留学よりも価値があることをしようと考えた結果、思いついたのが自転車旅だった。

各県で様々な人(トヨタの営業マンからホームレスのおっちゃんまで本当に様々だった)にお世話になりながら、1日7時間自転車をこいだ。

基本的に幹線道路を使っていたこともあり、目に入るのはアスファルト、山、海、ショッピングモール、の繰り返しで風景に感動したのは最初の二日間だけだった。それ以降は自転車をただこぎ続けた。音楽を聴くことも、人と話をすることもできず、ただただ思考する。

この旅は自分にとって本当に有意義なもので、思い出せるだけすべての記憶を振り返り、それぞれの意味や、それが今の自分をどう作ってくれているのか、またこれからどう生きるべきかを10日間考え続けることができた。(もちろんくだらないことも山ほど考えた。彼女を作る方法とか)

旅が終わり、自転車を抱え新幹線に乗るころに、僕の中で非常に重要な決意をすることとなった。それが工学部から総合科学部への転学部だった。

働くこととは何か。

今でもこれは非常にむつかしい問いだが、その時僕は「人を幸せにすることだ」というシンプルな答えにたどり着いた。そして「それが目的ならば、幸せになる人を目の前で見たい」と、そう考えるようになり、消費者から距離のあるエンジニアになることをあきらめ、モノを作る人から、モノを売る人になろうと考えた。そして圧倒的に自分に欠落した教養を身に着けるために、総合科学部へと転学部することとなった。

二つ目の旅(前夜)

二つ目の旅は高校生の時からの夢だった、「世界一周」を志したものだった。

きっかけは二年生の夏休み。試験を合格し無事学部を変えた僕は、そこでできた友人と、初めての学生団体を立ち上げることとなる。

思い出すだけでも恥ずかしいのだが、この団体は「ビジネスコンテストで優勝して、その賞金で起業しようぜ~」という叩くと軽い音が「ポンポコ」なりそうな程、中身がなく、転学部試験の準備のうちにパンパンに膨れ上がった、意識だけを頼りに作った学生団体である。

そんなポンポコ学生団体であったが、必死の広報の結果、1年生3人と2年生3人の6人が集まってしまい、日々ビジネスプラン(笑)を作成してはプレゼンし、作っては捨て、作っては捨て、を繰り返していた。

夏休みが始まるときに、ビジョンも知識もない上級生にしびれを切らし、3人の1年生が突然グループラインを退会した。その後2年生3人でカラオケで叫び憂い、あえなく僕の最初の学生団体は幕を閉じることになる。あの時の5人には本当に申し訳ないことをしたと思っている。今読んでくれてたら、マジでごめんね。俺がバカだった。

そしてちょうど同じタイミングで、僕は当時溺愛していた彼女にフラれることになる。まさしく絶望の淵に立たされた気分だった。

お先真っ暗とはこのことか。膨れ上がった意識はすっかりしぼみ、残りの3年間の大学生活への希望などどこにもないと本気で思っていた。

グダグダと夏休みを消耗し、しばらくたって、おもいだしたのが高校時代に夢見た「世界一周」だった。

超ダサい自分を変えるにはこれしかないと思った。自分が生きる理由を見つけるために、1年後旅に出ることを決意し、100万円の資金をアルバイトで貯めた。その時は授業後に5時から8時でバイトをして、10時までマンドリンのサークルで練習した後に2時まで働くという毎日を繰り返していた。

そこからはマンドリンにドはまりしたり、ドカンと稼いでやると意気込んで始めた個人事業主の訪問販売営業で大失敗したりと、紆余曲折を経て、1年半後に世界一周の始まりの日を迎えることになった。

最初の国はフィリピン。冒険が今幕を開ける(!?)。


、、、、、ながくなったので続きはまた後日。

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