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「先生は人間じゃない、地球」農業インターン3日目

本日は二日間お世話になったジョニー農園さんを後にして、自然農園すまへ。

旦那さんの隼人さんは、就農二年目の今回お世話になる中では最も若手の農家さん。

前職が建築関係だったこともあって、必要な道具や小屋もサクサク自作します。今日は畑から離れて道具づくりを手伝いました。農業体験というか百姓体験。

作業後はおうちに二組の来客が。その中のおひとり、濱村さんは今まであったことのないトンデモない人で。。。

お世話になった人

自然農園すま
隼人さん、みほさん就農二年目の農家さん。二人とも朗らかで常に笑顔。隼人さんは農業、みほさんは猟師。

濱村さん
島根でジビエ専門の精肉を行う仙人。
日本最高レベルで猪肉をうまく捌いて、飲食店や個人におろしている。

作業行程

①きのこを立てかけるための土台づくり


②竹を拾いにいく


③帰り道にひなた農園さんのところで大根と春菊をもらう。


④ビニール小屋をつくる

食べたもの

昼ご飯
うどん、アレッタ、ワサビ菜のドレッシングあえ


野菜だけなんだけどがっつりボリュームがある。いつも野菜を炒めるときは肉を入れるものだと思っていたけど、野菜は魅力をしっかり引き出せばそれで充分すぎるほどおいしい。

夜ごはん
お好み焼き、猪肉の焼肉


はまむらさんからお好み焼きの焼き方を伝授される。
伸ばした生地は周りが浮くまで焼いて、麺を広げてカリカリに焼く。生地の上に麺、大量のキャベツ、豚肉、もやしをのせてひっくり返して蒸し焼きに。
ひっくり返すときは一気にひっくり返すのではなく片手でゆっくり裏返して、もう一方のへらで野菜を収める。キャベツの甘さに感動した。絶対表現を間違っているけど、とろけるような甘さだった。

猪肉ははまむらさんが解体してエイジングした肉。
焼いた猪肉はクラクラするほどのオスのにおいを漂わせていたが、僕はその匂いは嫌いではなかった。今まで食べたどんな肉よりも味が濃くて、強烈に美味しかった。
表面を焼いて、ホイルに包んで余熱でローストした肉は弾力があるのに噛むとプチプチ繊維が切れる。初めての体験。衝撃的。

雑記

情報や思いついたことはどんどん仲間に共有する。考えたことを具体的にするためにどんどん試すし、仲間で蓄積していくから、一人ひとりで考えるより圧倒的に早く全体のレベルが上がっていく。

農業は基本的に孤独になりやすい。近くに住んでいる仲間がいて横のつながりがあることはめちゃくちゃ重要。

必ずしも苦手なことを自分でやろうとしなくていい。頼ることと支えることが関係性をつくっていく。

固定費を限界まで下げると、ほとんどベーシックインカム状態になる。

すべてゼロ円になる。でも仕事をするのは自分の存在理由を求めるから。

みんな意味を求めている。意味を与えてくれる存在の価値がこれから高まる気がする。

ありがとう。と感謝することで、今この瞬間にお互いが満ちることができる。

害獣と呼ばれる動物たち、駆除された命はどう扱われるべきなのか。

捕まえると喜ばれる。でもその命をただ捨てるのは違う気がする。でも捨てるのもバクテリアの食事になるだけ。それでも自分が食べたい、おいしくしたいと思うのは自分が責任を取りたいからなのか?

食うということは殺すということ、それに罪悪感を持ったり卑しいものとするのは違うんじゃないか?

牛や豚を育てるために多くの穀物を消費する。それをそのまま全員で分配したら世界の飢餓問題は解決する。それでも肉を食う。それをどうとらえるか。食べることの負荷を忘れないほうがいいんじゃないかな。

でも結局肉はうまい。もう少し感謝して、ちょうどいい量を食べたらいいんじゃないかな。
そっちのほうがおいしく感じるし。

ちょうどいいって難しい。

精神的に満たされていることと、肉体的に満たされていることを人は分別できない。

土の様子は雑草に聞く。土壌が変わればそこに生える雑草が変わる。

何かを測ろうと思ったら、まずその基準となるものをつくる。

貯金は1年間自分が必要な生活できる分があればいい。そうすればチャレンジできる。

砥石は人類最初の発明。そして日本はその砥石に恵まれていた。
そのおかげで日本刀やかんなを作れた。

パートナーは相手が何もできない肉の塊になっても愛せる人を選びなさい。
どうやって判別するか、体臭は分かりやすい(笑)

先生は人間じゃない。地球。
自然やどうぶつから地球の使い方を学ぶ。

「人間の作った世界の中で生きて死なない。」
今の人間社会はたかだか人間が作ったもの。一つの命として純粋に対等に生きる。
持ったポテンシャルはすべて使わないとヒマになる。
意図してヒマをするのはいいけど、ヒマだったはダメ。自分の命を使い切って死ぬ。
自分のポテンシャルを従属させる力をまなべ。

1対1の命に重さの違いはない。
常に勝者と敗者がいるだけ。

子供ができて、その子がセミを捕まえてきたとしたら、自分はその子に何を言うか?
「好きにしろ」という。命は握り、握られるもの。
食べてもいいし、料理してもいい。握りつぶしてもいいし、逃がしてもいい。
それが命に対峙するということ。

では子供に人を殺すなと教えるか?
ひとを殺すと殺される可能性が高くなることを教える。奪うことはすべての生き物が持っている権利。ただそれは同時に自分も奪われるということ。

なぜ人は食べる以外に命を奪うのか?
それは猟欲。ちょうどいい練習として、子供は虫を殺す。
ゴリラも食べもしないゴキブリを殺す。

なぜ自殺する人間が多いか?
それは自分の命を大切なものだと思いすぎてるから。
社会に出たら自分の命を大切に扱ってくれることのほうが少ない。そのショックを受け入れられなくて、絶望して死を選ぶ。
本来命の重さはありや魚と変わらない。それらと同じだけ価値がある。

必要なのは残すことだけ。

地球からしたら、始まって終わるだけ。内側にあるものが内側で循環するだけ。
人為的なものも、核も、科学物質も自然。

感性は使うもの。
感性を持って知識の中から選び取る蓄積がセンス。

感性をもって野菜を切る。包丁で切るのでなく、包丁まで自分の手を拡張し削ぐ。それはどうやってやるか、感性。

エイジングしたか、エイジングさせたか。

奪った命を肉にする。技術がその肉を活かすことも殺すこともある。殺すことは罪だろう。

0度で2週間火を入れる。料理人に渡す前の料理人。

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