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人生は一箱ぶんのチョコレートみたいなもの

Life is like a box of chocolates. You never know what you’re going to get.

映画『フォレスト・ガンプ』より

2023年は人生の谷底にいた。
今思えばそうだった。
春先からずっと悩まされた謎の咳や息切れ、微熱などの体調不良。全ての思考力と体力を奪っていくそれは、2023年の9月に私の左目に明らかなサインを送ってきて、11月にとうとう全身で弾けた。

これは私の闘病記というより、病と付き合う覚悟を決めた日からの記憶を文字にすることで次に進むための記録。

手に取ったのは腐ったチョコレートか、人生好転の気付け薬か。

35回目の誕生日を迎えてまだ2ヶ月ちょっと。
最初の診断では5つもの病名がついた。しかもそのうちいくつかはそれなりに生きるか死ぬかのレベルだった。

病室のベッドの上で「ああ、私の人生ここまでかな」とか考えながら、数日眠れない夜を過ごした。でも不思議とすぐにそれほど悲しくはなくなり、代わりにとにかく毎日毎晩昼夜問わず貪るように眠った。それはある種の諦めでもあったし、私にまさかそんなことが起きるわけがない、という抗いでもあった。
約1ヶ月の間血圧を下げ心臓の働きを回復させる治療をする傍ら、主治医が「その歳でこの状態はありえない。何か裏側にいる」と言って、地方の総合病院でできうるすべての検査をしてくださり、やっとやっと「クッシング病」という病名にたどり着いた。それは、2023年もいよいよ終わるクリスマス間近の日のことだった。
やっぱりまだ私は抗っていた。いや、「抗えて」いたのだ。

「怖い」よりも、やっと原因がわかったことに心から安堵した。
そして、そこから人生がもう一度上向きになるのを感じた。難病指定されている病気。発生原因はわからないけれど、治療法はある。
隣のベッドに私と同じ頃に入院してきたご婦人が「まだ命に縁があったのよ」と励ましてくれて、「そうか、あとはやるだけか」とその瞬間全ての準備が整ったような気持ちになった。
ふっと、紙飛行機が上昇気流に乗ったような心地だった。

さて、ここで冒頭に戻る。
映画『フォレスト・ガンプ』で、主人公の母親が主人公に贈った言葉。吹き替えの字幕は、こう言っていた。

人生は、一箱ぶんのチョコレートみたいなものよ。食べてみなければ何が起こるかわからないの。

映画『フォレスト・ガンプ』日本語字幕より

2023年の私が引き当てたのは、中身が腐ったチョコレートだったのか。あるいは悪いものをすべて外に排出するための薬だったのか。
体調だけではなく仕事もうまくいっていなかったし、私生活もメンタルもズタボロだった。すべてこんがらがっていて、自分でもどうしたらいいかわからないくらいに泥濘にはまって身動きが取れなくなっていた。
でも、すべてが明るみに出た。そこから一気にひらけたのだ。
その一粒は私の人生を好転させる荒療治のための薬だったのだ。

新しい一粒はビターで、でも身体にいい味がした

そこからは早かった。
地元に帰って入院していたが、毎日の階段登りとウォーキングの甲斐あって(看護師さんに何度もやりすぎと怒られたが)体調も東京に戻れる状態まで回復した。生活の不安もあったので、当初は仕事を続けるつもりだったが、色々な出来事が積み重なり、それはもうノイズでしかなかった。
だから、すっぱりやめて治療に専念することにした。
これが本当に良かった。

入院先の主治医に、自分で調べた病院リストとともに「東京ではどこの病院へ行くべきか」と尋ねたら「ここ。絶対にここへ行け。この先生のところに行け。そしていい治療を受けろ」と。
いやいや、すごい語気で断言するじゃん、と驚きつつ、今思えばあの時素直に従った私、本当にGood Job。あれがきっと、次のチョコレートを一粒つかんだ瞬間だったと思う。

それは、なかなかビターだった。でも体に染み渡る味がした。
現に、診療科に合わせて何通も作成された紹介状を持って行った先に待ち受けていたのは、目眩のするような数の検査と優秀な医師の診察のために片道1時間かけて家と大学病院を往復する日々だった。
先生方から聞かされる言葉は、時に呪文のようだったしそれに食らいつくのに必死だった。医者の卵が読むような「診療マニュアル」と名のついた本を頼りに、インターネット上にあるまともそうなリソースのさまざまな論文を片っ端から読み、なんとか消化して次の診察に挑む。そしてまたわからないことを質問し、それでも疑問が解消しなければ必死に調べる毎日だった。
受験勉強かと思うくらいに、自分の身体の中で起きていることを理解することに時間を使ったし、素人の疑問にも丁寧に答えてくださる先生方からは、惜しげもなく泉のように言葉が溢れ出て来た。それがどれだけの知識と経験に裏付けられているのかと、気が遠くなった。
(医師になるには私が使った時間の何千・何万・何億倍も時間を費やして、それをまたアップデートし続けているなんて、本当に尊敬)

そしてまた、たった一人の患者のために図書館で本を借りてきてくださったり、毎日朝晩必ず顔を見にきてくださる存在がどれほど嬉しかったか。
どれだけ言葉を尽くしてもその感謝は語りきれない。

その日々の先には、ちゃんと光があった。
「手術ができても半年から1年先」と地元の病院で言われた12月から、日本の医療の、文字通り最先端の部類に入るような先生方に出会えたことで「早く手術して、早く元気になりましょう」という言葉を聞けた1月。そう言ってもらえた脳神経外科の診察室を出てから、私の頬を一筋、涙が伝った。
神様はまだ、見捨てていなかった。まだ命に縁があった。

次の一粒はもう手元にある。さて、どんな味だろう

そして今、約5ヶ月に及ぶ療養の日々にひと段落をつけようとしている。
東京に戻ってから3回の入院と2回の手術。職業なし。肩書きなし。フリーターでもない。僅かなフリーランスとしての仕事はあったが、途中1ヶ月はお休みした。つまり、ほぼニート。
税金の重みよりも何よりも肩書きがないこと、社会につながっていないことがとても苦しかった。けれど、その代わりに私の身体を癒すための休養の時間が得られた。

まず、見えなくなっていた左眼に光が差し、結像した。
加えて、根本原因となる腫瘍の摘出も完了し、それが明らかに数値に反映された。
振り返ってみれば呆気なかったような気もするし、長い長いトンネルを駆け抜けたような疲労感もある。
地元での主治医には、全ての礼を伝える代わりに左眼が見えるようになってすぐに行った印象派展で求めた絵はがきを送った。それも、とびきり明るい色彩の。

さて、そんな達成感に似た感覚も冷めやらぬうちに、次の仕事が始まる。

諦めるしかない、と思っていたPRという仕事を「やっていい、やってくれ」と言ってもらえた先は、奇しくも私が昔憧れていた業種に近いところだった。

今手元にある一粒のチョコレートを、私はまだ口に入れていない。
けれども、それがただ甘いだけではなく、どちらかといえば厳格な職人が丁寧に仕立てた、上品な味だろうと予測している。

桜の花が落ち、新緑の本格的な息吹とともに、これからそれを存分に味わう時間が始まる。
次のフィールドはさらに高次元で、この期に及んでまたチャレンジしようとしている。もう力技で自分の人生を前に進められる身体ではない。でも、これまで身につけた知識や経験は、そんな私に新しい振る舞い方を示してくれるはず。

少し大人の戦い方を、いや、”身のこなし方”をしよう。
そして手元の一粒を、丁寧に味わい尽くしてみよう。

あと何粒入っているかはわからないけれど、それが私に与えられた一箱ぶんのチョコレートを存分に楽しむ方法なのだ。




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